365 | ナノ


マヨイガ伝説殺人事件

2016/06/27 12:42

波のない海の上を、一艘の小型漁船が進む。
甲板には男が二人きり。網の準備を忙しなくするでもなく、一人は先の方に立ってのんきに海など覗き込んでいる。
漁のための出航でないのは、はた目にも明らかだった。
「こう暑いと干からびちゃいそうですよ。この船、操舵室以外にほとんど日陰がないし」
帽子のつばでは遮りようないほどの日差しがジリジリと肌を焼く。
せめてとつばの広い麦わら帽子を限界まで引き下げながら、海を覗きこんでいた宗谷宗也は振り返った。
「後志さんもそうでしょう。いつも日の当たらない店の中に引きこもってるんだから」
振り返った先の男は、折り畳みの小さなアウトドア椅子に腰かけてふぅと息を吐いた。
タオルをかけてうつむいていた顔が宗谷を向く。
吊り上がった目がタオルの隙間から覗いた。
日の光が、後志のかけた細いフレームの銀色に反射して一瞬の眩しさが宗谷を襲う。
「心外だな」
日差しの熱とは真逆の冷たい声だった。
「あそこは本のために仕方なく窓を閉め切っているんだ。古い本は特に、あれ以上日に焼きたくないからね」
フン、と鼻を鳴らして後志はまた黙ってしまった。
「……後志古書堂は本の扱いが良いですもんね」
宗谷は、後志が着ている半袖のポロシャツから伸びる腕の生白さをちらりと見ながらまた帽子のつばをいじくる。
借りている下宿の草むしりのたびに被るこの帽子は、使い古されて端々から不格好に麦わらが飛び出してしまっている。宗谷の手遊びの格好の餌なのだ。
「あっ、後志さん! 見えてきましたよ!」
宗谷が大きな声をあげる。
その瞬間、強く風が吹いた。麦わら帽子が風に煽られ、宗谷の頭から離れようとフワリと浮き上がった。
「……あれが絹栄島(きぬえとう)か」
いつのまにやら立ち上がっていた後志が、飛びかけた麦わら帽をギュッと頭に押し付ける。
骨ばった指のかたちが麦わらを通して宗谷にも伝わった。
二人の視線の先には、海の上に浮かぶ島が待ち構えていた。


絹栄島。
直径五キロメートル、面積にして約十四平方キロメートルほどの日本海に浮かぶ島だ。
その名の通り、かつて養蚕によって得られる絹糸で栄えた島で現在も1000人ほどの住民が暮らしている。連絡の手段は日に二度のフェリーという具合で、観光資産もないためにほとんど訪れる者もないと聞く。
その島の小さな港に降り立った後志と宗谷は、引き返してゆく漁船を見送る。
「いやぁ、あのおじさんに乗せてきてもらえなかったら半日待ちぼうけくらうところでしたね。まさか、一日に二本しかフェリーがないとは」
ヨイショ、とパンパンに詰まった荷物を背負いなおす。宗谷の持ち込んだ四十リットルのリュックにはひと夏過ごせるほどの中身が詰め込まれていた。
対する後志の荷物はそう大きくないボストンバッグひとつきり。
滞在日数がまったく違うとしか思えない二人は、港から一本伸びている他より少し広めの道を歩き始めた。
じりじりと、舗装された道路に夏の日差しがしみこむ。
「それで、精霊流しでしたっけ。ここのお祭りの内容っていうのは」
わざわざ見に行くほど珍しくはないですよね、と宗谷が首を傾ぐ。
帽子の端をつまんだ手が、また飛び出した麦わらをいじくる。
「ああ。少し変わったやり方とは聞いたが、少しも資料がない。……見てみないことにはわからないだろう」
眼鏡の奥の目がまた宗谷をとらえた。冷たさが刺さる。
「そ、それもそうですね。わからないから、ぼくら調査に来たんだし」
アハハ、宗谷がわざとらしく笑った。


話はひと月ほど前にさかのぼる。
「えっ!調査旅行ですか!」
北海商店街の集会所にすっとんきょうな声が響いた。
コの字に並べた長机の周りに座った老人たちの輪から勢いよく立ち上がると「落ち着いて落ち着いて」などと周りからたしなめられて、宗谷は顔を赤くした。
「宗谷くん声が大きいよ。若先生の鼓膜が破れちまう」
「あっ……すみません。でも、調査旅行ってぼくたちがですか」
宗谷は隣に座った男、若先生こと後志 密をチラリと見る。
パイプ椅子に浅く腰掛けたこの男のことが宗谷はほんの少し苦手だった。
ひどい猫背のせいでうつむき気味の顔にかかった前髪が眼鏡のフレームの内側に入ることを気にしていないのか、直そうともしない。その、宗谷には視界が悪そうに見える目で顔を動かさずものを見る。
その目つきが、蛇に似ていて、居心地が悪いのだ。
「もちろん、若先生と宗谷くんに行ってほしくてね」
ハッと意識が引き戻され、宗谷は前を向いた。
商店街でハンコ屋を営んでいる六十絡みの男が宗谷の手を握る。
「二人はこの歴史ある、北海民俗学の会の希望の新星だからね、頼むよ」
親睦を深めるって意味も兼ねて! そう言って、ハンコ屋が手に込める力を強くする。
集会所に集まった七人の中で、たった二人だけ顔に刻まれた皺の無い男たちは残る五人の老人に口ぐちに「いいとこらしいから」「頼むよ」と畳みかけられる。
月に二度、この集会所に集まる北海民俗学の会は、その名の通り各地の歴史に紐づく風俗なり風習なりに興味を持つ地元民――特に、北海商店街の店主ら――が集まる会だ。
地元の郷土史はもちろん、日本各地の興味を引く風習の情報を仕入れては皆で議論したり取り寄せた本を読みあわせると言った具合で、緩やかな活動ながらすでに三十年ほど続いている。
そんな市民サークルの専らの悩みは研究の進捗でも財政難でもなく、会員の高齢化なのだ。
もとより商店街には年寄りが多いものだから新しく会員が入っても六十を越えているなんているのはザラで、さらにその会員が知り合いの好事家を誘ったりするものだからちっとも平均年齢は下がらない。
そこに現れたのが、今老人たちの頼み倒しに遭っているこの二人だった。
立ち上がって手を握られたまま硬直している宗谷 宗也は、商店街から二駅先にある大学の経済学部に通う一年生。今時の若者らしく明るい茶色に染めた髪を少しばかりピンピンと跳ねさせた程度の派手過ぎないいでたちで、彼が老人ばかりのこの集会の戸を叩いた時は少しばかり騒ぎになった。
それとは反対に前のめり気味に座ったまま膝を揺すっているのは、北海商店街で最も古い店のひとつ、後志古書堂の看板を背負う三代目、後志 密。
年のころは二十代後半だが、どうにも不詳に見える。顔を隠すように伸ばした前髪がその黒さも相まってもっさりと目の上半分を覆い、下半分は細身の銀フレーム眼鏡に隠れているせいだ。そして、その下の目は、宗谷が苦手とする蛇の色。
北海民俗学の会メンバーから「若先生」と呼ばれる彼は、宗谷の通う大学の民俗学の教授でもあった先々代後志古書堂店主の「先生」を祖父に持っている。何を隠そうその「先生」こそがこの会の創設者であり、孫の彼もまた大学で民俗学を研究していたというから一目置かれて「若先生」と呼ばれているのだ。
後志は、祖父から家業を継いでいた父が腰を悪くしたのでつい先日、都会のえらい大学から地元へ戻ってきて古書堂を継いだ。それに伴って、祖父の作ったこの市民サークルへも所属したという経緯である。
後志の方が宗谷よりもほんのひと月ほど入会が早かったので、いうなれば先輩である。
「……いいですよ、調査旅行」
だんまりと決め込んでいた後志が急に口を開いた。
「絹栄島、聞いたことはありませんが大橋印房さんからの情報ならきっと面白いものが見られるんでしょう。私は、行きますよ」
私は、と言葉を切ったところで再び後志の蛇の目が宗谷を捕えた。スゥッと黒目だけ動くその目に見られると、別に何も強制されていないのに睨まれた蛙みたいになってしまう。
「宗谷くんは? どうするね」
「えっと、ぼくは……その……」
「お金のことなら、なんも心配せんでいいからね! 会費で全部出すって決めとるから」
ハンコ屋が胸を叩くと、周りも「そのための積み立てよ」「なんなら小遣いもだしたるぞ」と続ける。
その顔がなんとなく、孫の世話を焼きたがる田舎の祖父と重なって、気が付くと宗谷はうなずいていた。
「ぼくも、夏休みの間調査に同行させてもらいます……」
良く言った! やんややんやと、集会所に老人のしわがれ声の花が咲いた。


ヒンヤリした風が頬を撫でる。
二人は港から大分離れ、のどかな農道を歩いていた。
「山があるからですかね、風は涼しいですね」
道の両脇の畑には青々とした植物が生え、山からの風に揺れている。
「これ、なんの野菜なんでしょうね。……野菜じゃないのかな?」
宗谷は半歩後ろを歩く後志の方をふりかえった。
あいかわらずの猫背で視線は地面に向いている。畑も、青空も視界には入っていないだろう。歩調は牛のように遅い。
「……あの、後志さん、ぼく荷物もちましょうか?」
あんまりじりじりした歩調なので心配になって手を差し伸べたが、後志はかぶりを振った。
「いや……」
内心、ハァとため息をつかずにはいられなかった。
あまり騒がしいのが好きなたちではないが、かといってだんまりの相手と旅行というのも気が重いものだ。船に乗っている間もずっと、地元とは全く違う風景についてやら自分の好きな食べ物やら話をふってみたが後志は「あぁ」とか「そうかい」とか、そんな返事しかよこさないのだ。
「……大橋印房さんが書いてくれた地図によると、世話になる家はこのすぐ先らしい。気遣いは無用だ」
「はぁ……そうですね。でも、大橋さん、結構大雑把だからなぁ」
汗のせいで服がじっとり濡れている。ずりさがったリュックの肩紐を直しながら、宗谷は空を仰いだ。綿あめのような雲がまばらに浮いた快晴だ。



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