バタフライエフェクト
漆黒の蝶が舞う。ゆらゆらと、羽をはばたかせて舞う。私をどこかに導くかのように目の前で踊ってみせるくせに、手を伸ばしても触れることはできない。必死に伸ばす手は虚しく空を切るばかり。蝶は、掴めないものを意固地になって掴もうとする私を嘲笑うかのように身を翻し、闇の中へ消えた。
「…んん」
「あ、目覚めた?」
霞む視界に人影が映り込む。薄らと瞼を開けるが、眩しさに耐えかねてもう一度目を閉じる。
「まだ眠いん?」
「…眠くはないけど、眩しくて目を開けるのが億劫かな」
「そっか。おねーさんずっと眠ってたもんな。仕方ないわ」
目を閉じた目まま、耳だけでそこに居る人を感じる。声からして少年だろうか。
「私、どれくらい寝てた?」
「えー、分からへん。僕もついさっきここに来て、おねーさんが寝てるの見つけたんやもん」
「そうなんだ」
可愛らしい声が楽しそうな色を帯びる。きっと私が起きたから、話し相手ができて嬉しいのだろう。
「おねーさん」
「なに?」
「そろそろ明るさにも慣れてきたんちゃう?ゆっくり目開けてみぃひん?」
少年に促され、ゆっくりと再び目を開く。まだぼんやりと霞んではいるものの、隣に銀髪の小さな男の子がいることは認識できた。
「おはようさん」
「おはよう。…ぼくは誰?」
「僕、市丸ギンっていいます。よろしゅう」
差し出された小さな手に触れると、その大きさからは想像もつかないほどの力で握られた。こんな小さな手に力があることにも驚いたが、それ以上に彼の手の冷たさに息を呑んだ。
そのまま彼の手に引かれて身体を起こす。体中が固まっていて痛い。一体どれほど寝ていたんだ。
「もうすぐ日が暮れるなぁ」
「そうだね。ぼくも帰らないと親御さんが心配するでしょ」
「ぼくやなくて、ギンやで」
「ごめんごめん。ギン、ほら帰りなさい」
「せっかくおねーさんが起きるまで看とったんに、冷たいわぁ」
「それはどうもありがとう。でも暗くなると危ないから。また遊びに来ればいいでしょ、ね?」
「また来てええん?」
「うん。…って言いたいとこだけど、私ここに居ていいのかな」
「ここはおねーさんの家やろ?」
「そうなの?」
「じゃあなんでここにわざわざ布団までひいて寝てたん。自分家やから布団で寝てたんやろ」
誰かが寝かせてくれた、という仮定は成り立たなそうだ。家を見渡す限り人が生活している様子はないし、人の気配も私とギン以外にない。やはりここは私の家だったのだろうか。
「じゃあまた明日も来るから、元気にしとくんやで」
混乱気味の私の頭をポンポンと撫でて、ギンは出て行った。
どうやら私はここで生きていくしかないらしい。
イマイチ状況が飲み込めていないが、唯一分かったことがある。私はしばらくの間何も口にしていないということだ。
ぐぅぅぅ
「…お腹空いたな」
盛大に虫が鳴いたお腹を押さえて、食べ物を探した。
その時は食べ物を探すのに夢中で気付かなかった。窓の外で蝶がはばたきをしたことを。そのはばたきで起きた些細な風が、遠く離れた場所に伝わり嵐をも起こすということを。