たらふく | ナノ





私は一人っ子で、弟や妹が欲しいと思ったことがたくさんある。ご近所さんとこの小さい子と触れ合うたび、自分が姉だったら毎日一緒に遊んで大事にするのになあ、なんて。友達の、兄弟がうざいだの面倒くさいだのという愚痴を聞きながらそう思っていたのだった。まあ実際いたらいたで私も友達のようにぶつくさ文句を他人にもらしていたかもしれないが。


「りんご好きなの?」
「別にー、この前食べたのがおいしかったから!白蘭もニコニコしてたし!」


たらふくお休みの日。この前可愛い可愛い女の子とした約束を今果たしつつあるのだ。
まさかブルーベルにお菓子作りを教えることになるなんて。昨日の夜はやっぱり漫画みたいに(一応ここは漫画の世界?だし?)超不器用でキッチンめちゃくちゃにされたり、うまく出来なくてイラついて炎ブッパされたりするんじゃなかろうかと心配であんまり眠れなかった。白蘭のとこにいたら料理なんてしないだろうからさ、なんかね、やっぱそういう感じに考えてしまうじゃん。

でもそんな心配はあまりなく、教えたことはそつなくこなしてこれだったら一人でレシピ見て出来るんじゃないかなってくらいだった。やっぱ理解力とか感覚的なところが優れてるのかな。白蘭に選ばれただけのことはある。いや選ばれたのはーーそうか。もっと違う理由だっただろうか。


「ブルーベルは白蘭が好き?」
「んーー、」


長い綺麗な水色の髪を1つに纏めて、バンダナをする私より背の低いこの子は本当に、本当に可愛い。スラリと伸びるうなじがまだ華奢だけど白くて綺麗で女の私でもどきっとしてしまう。変態でごめんなさい。
そんな大人と子供の狭間にいるような微妙な年代の子。それを差し引いてもブルーベルの白蘭愛は誰が見ても明らかなものなのに、想像していた反応とは違っていた。好き!と即答して照れ笑いでもするのかなと思ってその後の反応も用意していたのに。


「……なんかわかんない……」
「っ、えっ?!ちょっ……あれっ、」


ホロリと涙を零したブルーベルにこの上ないくらい、心底驚いて、私これ地雷踏み抜いたか?!と焦ることしか出来なかった。
喚くでもなく泣きじゃくるわけでもなく、ただ静かに一筋の道を作って涙がこぼれていく。白蘭が好きかどうかを聞いて、『わかんない』と答えこの様子。白蘭もしやブルーベルのこと雑に扱ってるのか?なんて思ったけどそんなはずない。白蘭と私が出会ってしまったのは、ブルーベルがいたからだ。

白蘭はブルーベルがどこにいようときっと迎えに来るだろう。でもそれを一番にわかっているのは、彼女なはずなのに。


ーーこういうとき、なんて声をかければいいのかわからない。
どうにかしてあげたいし、心が軽くなるのなら話を聞かせてほしいと思う。でもそれをどう伝えればいいのだろうか。最初の一言って肝心だと思うんですよね。そんなことを考えていたら何か言えるタイミングを完全に逃し、申し訳程度の反応としてブルーベルの背中に手を添えた。
華奢だ。とても細い。でも、頼りないとは一度も思わなかった背中だ。今はすこし、震えている。


「ブルーベルは、お姉さんだよね」
「……え?」


いやまって私。最初の一言肝心なんじゃなかったの?!なにその何の脈絡も感じさせない謎の言葉は!お前の頭はなにで出来てんだ?!りんごか!?んなかわいいもんなわけあるか!


「いや!えーーっと、急に変なこと言ってごめんね…!」


そうじゃない、そうじゃないだろ私!伝えたいことはもっと別にあるだろうに、いかんせんりんごで出来た頭ではそれが何なのか形作ることさえ難しい。砂糖で煮て焼かれてしまえ!


「お姉さんじゃ、ないよ」
「……え、」
「ブルーベル、今は、なんにも、出来ない、から……」



『なんにも出来ない』

ブルーベルが放ったその言葉に心臓がギュッと締め付けられて、一瞬息をするのを忘れた。周りから見て、誰一人としてそんなふうに思っている人はいないだろうし、ほんの少しの間だけだけど、そんなふうにブルーベルが悩んでいるなんて思っても見なかった。
この子はこんな若いうちから、自分が今役に立っているかどうかを気にして生きているのか。

役に立っていないと思い込んでしまっているから、きっと、たぶん。

白蘭のことをこんな自分が好きでいていいはずないと。


ーーああ、なんだろう。

だめ。
どうして。


「……おねえちゃん?」
「っ、ご、ごめんね、私にも、何がなんだか……」


意味がわからない。私いつのまにこんな涙腺が弱くなったんだろうか。私以上にブルーベルが意味わかんないだろう。どうしてか涙が止まらないのだ。ほんとに頭の中りんごで、果汁出てきてんのかな?……しょっぱかったです。朗報です。私の頭、りんごではなかったみたいだ。
戸惑うブルーベルになんとか笑いながら謝罪の言葉を口にするが、自分自身も軽くパニックで思わず華奢な身体に抱きついてしまった。


「ブルーベル、……っ、バーベキューのとき、」


さみしかった?



私のその言葉を最後に、今まで静かに声を殺して泣いていたブルーベルから嗚咽が聞こえた。

周りに人がいるのに、ひとりぼっちのような気分になるのだ。私はここにいていいのかな、私はこの人たちに何を返せているのかな、と考えれば考えるほどに、みんなが遠く、離れていく感覚に陥る。たぶん、この気持ちは他の誰よりも私が寄り添える。けれど私とこの子は決定的に違うのだ。



「ブルーベルがそんなこと思う必要ないよ」
「……でも、」
「前、白蘭が言っていた、言葉覚えてる?」


『今は結構充実してる』


「その"今"はブルーベルが側にいる"今"のことを言っているんだよ」



ぴく、と肩を揺らし、ブルーベルがまた涙をひとすじ流しながら青い瞳で私を捉えた。ーー純粋、ってきっとこんな色だと思う。なんて、また私らしくないことを。

本当にこの子は今が、白蘭が大好きなんだなあ。


最初は白蘭がそばにいてくれた。ブルーベルにとって、自分の夢に寄り添ってくれる"おにいちゃん"だった。
それがある日突然、自分の夢を叶えてくれた"神様"になってしまった。
どこまででも、そして誰よりも速く泳げるようにしてくれた。強くしてくれた。ついでに仲間も出来た。



いつのまにか、そばにいた白蘭の背中を追いかけるようになった。


どこまででも泳げるはずなのに、誰よりも、速いはずなのに。いつまでたっても、見えるのは白蘭の背中だけ。手を伸ばしても、どれだけ足をバタつかせても、どんどん沈んでいく。


どんどん、枯れていくーー。



うまく言葉で言い表せられないけど、このきもちは知っている。この世界に来る前の私と似ている。
けれど白蘭は"今"を大事にしている。それはあの発言をしたあのときの声、仕草、瞳、全てが物語っていた。



「もう、ブルーベルが追いかける必要なんてないんだよ」
「……でもーー」
「大丈夫、証明してあげる」






ーーカランカラン


「やあ、ブルーベル。やっぱりここにいたんだね」


本当にこのマシュマロ星人は期待を裏切らない。クローズの看板を出していたドアを躊躇いもなく開け、テレビのチャンネルを変えるように鈴を鳴らす。感動の友情ドラマから箸が転んだだけでも笑ってしまうバラエティに早変わりだ。……わかりにくいって?私の頭りんごなんで。

なんにしても、タイミング良すぎて思わず笑みが溢れた。ブルーベルは一瞬で涙を引っ込ませ、パチクリと瞬きをしたあとじぃっと白蘭を見つめた。


「暑いからプールで遊ぼうと思ったのにブルーベルがいないからさ♪」
「びゃくらん……」
「やっぱりたらチャンのところにいたんだね」



優しい顔をしていた。それはそれはとても穏やかな瞳で、ブルーベルを見ていた。……いいなあ、なんて、思ってしまった。いまの私が手に入れてはいけないもの、そして手に入れても良かった世界でも手に入れられなかったもの。

一人じゃないんだよ、ブルーベル。

今は白蘭があなたを迎えに来る。
どこにいたって、何をしていたって。

ーーーーもうこのひとはあなたをひとりになんてしないよ。


「……びゃくらんにりんごのケーキ作ってたんだよー!」
「そうみたいだね上手くできたかい」
「うん!」


何かを感じ取ったような、何かに吹っ切れたような、そんな晴々とした顔をしてブルーベルは白蘭に抱きついた。
良かった、と思う反面、また一人取り残された気分になる。やっぱり私はこの世界の住人ではないのだ。わかりきっていることなのに、何度でも落ち込む。同じ空間にいて同じ空気を吸っているはずなのに、名前も知らない芸能人のドラマをぼんやりと見ている気分になる。

一枚分厚い透明なガラスがあって、それは到底私の力では割ることが出来ない。私も自分が傷つくのが嫌だから割ろうともしない。これでいいはずなのに、このガラスで守られているはずなのに。どうしても、奥にあるものが羨ましくて欲しくなる時がある。……矛盾してるなあ、私。
真っ直ぐになれたらどれだけいいだろう。焼き上がったりんごのケーキ。きっちり分量を測って、レシピ通り作って、時間通り焼く。そんな単純なことならどれだけ楽だったんだろう。

もう隠れて泣くのも、無理矢理笑うのも、わざと迷惑そうにするのも、関わりたくないって自分に言い聞かせるのも、ぜんぶぜんぶ、もうーー。




「ということでたらチャンもいこっか♪」
「……えっ、あ、すみません。聞いてませんでした。なんですか?」
「プールだよ。僕の家にあるんだ♪いろんな人呼んでおいたからきっと楽しいよ」



前言撤回。わざと迷惑そうにはしてない。わりとマジで迷惑だわ。この人に限っては!!
白蘭の家に行くのもアレだし、いろんな人呼んでおいた?!行くわけないでしょそんなの!!!


「あのせっかくなんですけど、私実は泳げなくてですね…」
「そ、」
「泳げない?!おねえちゃん泳げないの?!」
「エッ、あっええっと、そう、じつは…」


白蘭の声を遮り前のめりで聞き返すブルーベル。空気を入れられ過ぎて破裂した風船のように、この可愛らしい女の子はとんでもないことを口にして、私の心臓を止める。


「ブルーベルがお姉ちゃんに泳ぎ方教えてあげる!!」


お姉さん振りたい年頃の女の子。人に自分の得意なことを見せたり、教えてあげたり、そういうことをしたくなる年頃。ましてや周りは年上の男ばかりで今までそういった場面はほとんどなかっただろう。この小さな女の子はこれからプールで起こる素敵なイベントにすでに胸を膨らませ、らんらんと目を輝かせている。泣きたい。めちゃくちゃ断りたい。
私の心情が手にとるようにわかっていらっしゃる保護者の白髪はニッコリとこちらを見て笑い、私に手を差し伸べた。


「じゃあ、いこっか♪」


右手は白蘭、左手はブルーベルに抑えられた私は、もうすぐ世界で一番危険な牢獄へとぶち込まれる。

私がガラス割らなくても、向こうが普通に割ってくるんだよね。

こうなったら流れるままに流れるしかない。ここ最近の経験上、回避不可能なのはなんとなくわかっていた。ああ、こいつ誰を呼んだんだろう。それだけが気がかりだ。
ブルーベルにお手柔らかにと引き攣った笑みを向けるが、100点満点の笑顔で「ケーキのお礼!」と返されてしまっては、出そうになったため息も飲み込むほかない。……どうか生きて帰れますように。


prev|next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -