刀剣狂乱舞 | ナノ


▼ あとがき

 注意:ここから先は読まなくても良いあとがきです。どうでもいい裏話や書ききれなかった設定、言い訳などを書いています。

 こんにちは。刀剣狂乱舞、最後までご覧下さりありがとうございます。
 前作とは全く趣向が違う作品をこちらに載せるか迷いましたが、他に保存しておく場所もないのでこちらに載せさせていただきました。
 一度はpixivに掲載させていただいたのですが、自分のサイトでないことが落ち着かず、削除してこちらに載せています。

 ここまで書ききるのに、のらりくらりと半年? くらいかかったような気がします。
 この小説を書くにあたって、原作はもちろん、刀剣乱舞―花丸―、舞台刀剣乱舞を非常に参考にさせていただきました。この二つの作品がなかったらこの話は書けなかったです。

 さて、ここからは作品の話を掘り下げたいと思います。
 まず、この作品を書くにあたって、ひとつ大きな信念がありました。それは、『絶対に刀剣男子たちを悪い子にしない』ということです。
 私はバトロワという設定が大好きで、舞台刀剣乱舞の演練を見た際に仲間同士で戦う話が書きたいと思い、この話を書き始めました(確か)。
 でも、誰かが悪い子になるのは違うな、と思ったわけです。皆良い子だけれど、想いや立場の違いから戦わざるを得ない。その苦悩が、燃えるし萌えるな、なんて思ったわけです。
 皆良い子。それだけは伝わっていて欲しいと切に願います。伝わったかな。

 次に登場人物の話をします。この登場人物ですが、ぶっちゃけ適当です。活躍している刀剣も登場すらしない刀剣も、筆者の推しとは関係ありません。さよかわ。
 動かしやすい刀剣、書ききれる人数、後は純粋なキャラ人気と少しの推し。選定はこんな感じで行いました。ちなみに私の推しは山姥切です(おい!)。
 いえ、違うんです。真っ先に死んだ刀剣や出てきていない刀剣でも好きな子が沢山いるよ、と言いたかったんばい。

 続いて、本題。言い訳です。
 刀剣男士が死ぬシーンに関しては、辛かったとしか語ることはありません。どうでもいいところだけ沢山語ります。
 まず第三章、藤四郎兄弟が活躍する話です。一兄が「燭台切」と呼んでいるシーンがあるんですが、この本丸では一兄と燭台切はマブダチ(死語)という設定です。
 一兄は燭台切に敬語を使いません。定期的に開かれる太刀飲み(?)かなんかで、
「一期さん。僕達ももうだいぶ付き合いが長いよね。そろそろ敬語は止めてもいいんじゃない?」
「え? いえ、しかし私は誰に対しても敬語なものですから、いきなり言われても……」
「弟達には敬語じゃないじゃないか。ほら、試しに僕のこと呼び捨てで呼んでみてよ。ね、一期“くん”」
「は、はぁ。それでは……」
 ――というようなやり取りがあったんだと思います。
 お酒が入った燭台切は人との距離の詰め方がすごそう。この本丸の燭台切はコミュ力おばけです。大抵の人間と仲良しです。

 それから、五章――鯰尾骨喰編で、鯰尾の髪型の話が出てきますが、これを書いたのは極実装前の話なので極のあの髪型は関係ありません。
 あと顕現式の願いですが、あれは鯰尾が言ったようにも鯰尾が言ったようにも取れるように書きました。文脈からすると明らかに鯰尾が言ってますけどね。

 六章の歌仙編では、歌仙が山姥切と仲良しなのは完全に花丸の影響です。そして、大倶利伽羅と絡ませたのは原作の二人の回想をまだ知らなかった(なかった?)頃だったので、意図して書いたわけではありません。でもどっちのコンビもいいですよね。好きです。
 この歌仙と山姥切の過去の話はかなり私のお気に入りです。三本の指に入るくらい。
 それから、歌仙の辞世の句ですが、あれは花丸EDからパクったわけではないんです。たまたま「この歌いいじゃん」と思って調べたらガラシャの歌だったんです。なんという偶然! と興奮し、小説に使いました。
 小説を書いていると神様のお導きか!? って思う偶然にいくつか出会うんですよね。
 例えば十七章の大倶利伽羅が死んだシーンで、彼もまたこの歌を詠いますが、その解説を誰にさせるかとかそういったことは全然考えていなくて、伊達家が細川家と親交があったのを知ったのは十七章を書いている途中だったんです。
 そもそも大倶利伽羅がこの歌の意味を知らなければあそこでは詠えないわけですし、燭台切も解説が出来ないわけですよね。そういったことを私全然考えていなくて、でもたまたま辻褄が合っちゃったんです。すごい偶然。神様っているんですね。
 また、最終決戦で生き残った刀剣男士が六振りだったのも全くの偶然です。最初鶯丸と太郎太刀は相打ちで死ぬ予定だったんですが、なんかそれだと面白い話が書けそうになかったんで生き残らせたら偶然六振りになっていました。すごいね。

 お気に入りという点では、九章の蛍と愛染の話もお気に入りです。お気に入りの話というのはスラスラ書ける上に修正があまり必要ないので、そういう意味でもお気に入りですね。加州と今剣の話(七章)はもう修正したくない。推しと話の出来はイコールじゃない。

 続いて十三章。山姥切と大倶利伽羅の戦いについて、これは一言だけ。
 山姥切の刀にべったりとついていた血。これは同田貫が骨喰を斬ったときの血です。彼は骨喰を斬り、三日月と別れた際に刀を雑木林に投げてますよね。あれは山姥切の刀でした。力不足で描写できませんでした。以上です。

 さて、言い訳したいトップ3に入る問題作が十四章です。
 陸奥守の土佐弁!これな!
 このためにあとがきを書いていると言っても過言ではありません。本当言い訳しかない。
 あれは標準語を打つと土佐弁に変えてくれるサイトを使い、適当に書きました。方言を使うキャラは小説に出し辛いですよね。でも私博多藤四郎大好きなんだばい(雑)。
 好きなキャラがたくさんいるのに、全然活躍させてあげられなかったり、かっこいいシーンを用意してあげられなかったり、思い残すことは結構あります。ので、他本丸のバトロワも書いてみたいなぁ。そうしたら絶対長谷部を主人公にしたい。長谷部主人公の燭台切悪役とか絶対おいしいですよね。主人公に味方する三日月と鶴丸が背中合わせで協力プレイとかも良いなぁ。でも三日月が味方な時点で緊張感皆無なのはこれいかに。だから彼は悪役にされがちなんですよね。

 終盤になるにつれて、式符とか顕現式とか独自の設定が増えていきます。皆さんがついて来れているか、私は心配です。が、もうこの小説は私が楽しむために書いたものなので多めに見てください。
 あ、顕現式と言えば、願いを書いていない刀剣が結構いますね。その中で三日月だけは、考えてはいたけれど文章の都合でカットしたので、せっかくだからここに載せておきます。

『ん? 俺の願いか。何やら主は顕現式で皆に問うてるようだな。しかし何故そのようなことを? ……ほう、なるほど、それは良い。はっはっは! この本丸の皆は愛されているな。
 では、俺の願いを言おう。そうだな……まぁ何でも良いか。俺は皆に世話され続けることを願おう。俺は一人では着替えもままならんからな。本丸全員の手を借りる必要がある。じじいは縁側で茶を啜る役だ。
 ん? なかなかいい願いだろう。何、いざという時は給料分まとめて仕事をするさ。
 うむ。この本丸は中々に良い本丸になりそうだ。』

 これを二十章に載せるのはあまりにも……うーん、だったので止めましたが、要は願いは何でも良いのです。願いとは感情の明確化なので、言葉に心を込めるということが重要になります。三日月の「そうだな……まぁ何でも良いか」と言うのはそういう意味です。実に分かりにくい。
 あ、あと、メモ帳に書きなぐった“三日月の思い”みたいのが今出てきたので、もったいないしこれも載せておきます。

仲間を殺して、仲間が死んで、生き残った者はそれを背負って生きなければならない。
仲間を殺した刀剣は悪者か?長谷部は、大倶利伽羅は、同田貫は、仲間に剣を向けた奴は憎むべき敵か?
生き残った先に皆が望む未来は無い。ならば俺は皆を殺して最後の一人になろう。
長谷部も、岩融も、今剣も、皆俺が殺したのだ。全員が仲間を思って死んでいった。俺だけが仲間を裏切り、殺した。
最後の一人になって、俺はそれを真実にする。

 さて、話は佳境を迎え二十四章。鶴丸の話です。
 大変分かりにくかったかもしれないのでここで補足しますが、鶴丸の気持ちは主に三つあります。
 燭台切にゲームを止めてもらいたいという気持ちと、ゲームが正しいという気持ち、そして三日月に仲間を殺させたくないという気持ちです。
 鶴丸が序盤から三日月を止めようとしていたのは、ゲームを止める役割を担う燭台切を殺させたくなかったのと、三日月に人殺しをして欲しくなかったからです。内通者の事情は一切ありません。

 そして話は最終決戦へと駆け込み、最後は山姥切の語りで終わります。
 最後、この本丸がどうなったのかは読んだ人次第ですかね。どうか彼らの幸せを願ってあげてください。私も願っています。まんばちゃんしあわせになれ。

 さて、言い訳を語り終えて私は満足しました。
 今後も何かに燃えたぎったりいい話を思いついた時には、ジャンル問わず文章を書いていくつもりです。
 それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。
 またどこかでお会い出来たら光栄です。


【2017.8.15 桜桃】

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