短・中編置場

novel

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猫のいる生活



 平凡だった俺は、幼い頃から運が悪かった。
 何故かじゃんけんはやたら弱く、楽しみにしていた学校行事は体調を崩してしまい殆どが不参加。くじ引きで決める席替えも毎回教壇前で、希望していた大学の学科は一つ前の学年で廃止。どれだけ早く家を出ようが、様々な要因や偶然が重なり遅刻する事多々。小さい事だが、言い出したらキリがない。とはいえ、未だいずれも笑い話になる範疇ではあった。

「……何でこんな関係になったんだろう」
 俺の初体験も、感慨深いものではなかったのだ。キッカケも場所も――相手も。まさか童貞を卒業する前に、処女を捨てる羽目になるとは思いもしていなかった。
 寝癖の付いた髪を掻き毟る。喉奥から自然と溜息が零れた。隣では藤原が気持ち良さそうに眠っている。
 セックスをする関係になったキッカケは酔った勢いで、ムードも何もない。そして、何故か毎回抱かれるのは俺の方だった。

『まるでヒモじゃない、貴方』
 陳腐な深夜ドラマに出演している女優の声だったが、俺の心情を代弁された気分だった。画面の中の女性は怒っていたが、ヒモ男に押し倒されるなり何も言えなくなり、そのままベッドシーンへと変わる。まるで俺たちのようで、居た堪れなくなりテレビを消し立ち上がった。
「リンゴさんも俺の事そう思ってる?」 
「思うも何もそうだろう」
「じゃあ俺が働いたら、リンゴさんは家にいてくれる?」
「はいはい、働いたらな」
 付き合ってもいないのに、可笑しな駆け引きだと思う。真面目に会話するのも面倒だったので、空返事をした。食べ終えた食器を洗いながら、俺たちの関係はなんだろうと自問したが、良い言葉が思い浮かばない。同棲でもなければ恋人でもない。やはり、居候されているのだ。
 ベッドに押し倒され、結局は快感にほだされてしまう。そんな自堕落な毎日だった。何時かは止めないといけないと頭では分かっていたが、止められずにいた。

 次の日。会社に到着するなり、直ぐに社長室へ呼ばれた。
 人事と役員が面接や入社手続きを全て担当していたので、社長とは面識がない。よく考えれば、自分の会社の社長と一度も会った事が無いのだ。知らないのは不味いなと思いつつ、ノックをし部屋の扉を開ける。
 革張りの椅子に座っていたのは、見覚えのある人物だった。
「君、首ね」
 藤原は尊大に言い放った。俺を組み敷く時と同じ、憎たらしい微笑だった。
「ふざけるな、どういう事だこれは。何で此処に……」
「親の会社で働きたくなかったんだけど、リンゴさんが煩いから働く事にしようと思う。言っただろう、俺が働いたらリンゴさんが専業主夫になってくれるって」
「言ってない、俺は一言も言ってないぞ」
 藤原という苗字はよくあるので、気にも留めていなかったが、確かに社長と同じ姓である。藤原が社長の息子だと知り、俺は絶望した。
「上京と家出は嘘。見知らぬ男んちに転がり込む訳ないだろう」
「……」
「大学はちゃんと通っていたし、実家にも帰っていたよ。リンゴさんが仕事や出張中居ない間にね。仕事のスケジュールは全て分かっていたからな」
 父親に会いに会社まで来た際、俺に一目惚れをしたこと。
 履歴書を見て、住所を調べたこと。
 家出少年を装ったら泊めてくれるんじゃないかと思ったこと。
 泊めて貰ったら味を占めたこと。
 藤原はあっけらかんと屈託のない――いや、悪魔の様な笑顔を浮かべてすべて打ち明けた。
 やはり相変わらず、俺はツイていないらしい。
「今日から俺が養うから心配は要らない」
 堅い机の上へ組み敷かれ、俺は項垂れるしかなかった。
 年下に良いように抱かれ、失業となりその上専業主夫だなんて、真っ平御免である。俺にもプライドというものがあった。
「わ……わかった。働かなくていいから、家にいていいから、だから首宣言は撤回しろ」
「無理していない?」
「してねえって。元々ペットが欲しかったしな。……それにその、まあ……嫌いじゃない」
「それって俺が? それともセックスが?」
 快感を知った身体は我慢を知らない。行為の最中は、思考が停止しどうでもよくなる。ヒモ男や駄目男と別れられない女と同様、見限りたい相手であっても、何も言えなくなってしまうのだ。
 シャツの中に藤原の手が滑り込み――扉が開いたので、二人して慌てて机から飛び降りた。



「龍神坂さん、ペット欲しがっていたでしょ。うちで子犬が沢山産まれたから飼ってくれる人探してて。この子なんだけど、良かったら貰ってくれる?」
 隣席に座る同僚はスマホを取り出すなり、俺に写真を見せてきた。
 それはもう可愛らしい子犬の寝顔が、画面に映っている。犬種はヨークシャテリアらしく、利口だという。以前ペットショップで見掛けた犬種だった。
「有難う。でも折角だけど、他を当たってくれるかな。もういるんだ」
「へえ! そっか、なら仕方ないね。また今度見せて」
 見せれるものではないが、俺は社交辞令なおざなりの返答をした。同僚は席を立ちあがり、他の同僚へと聞いて回り始めた。

 俺の家には猫がいる。デカくて気紛れで、我儘な猫。
 その猫は相変わらずニートをしている。


(END)



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