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  若草色の恋 <壱>


その日、彼女が目にしたのは、武士と見紛うほどの男だった。


「あれは、どっからどう見ても武士だった!!」

ガヤガヤとした教室の後方で、白河れんは、握りこぶしを机に叩きつけながら、熱く語っていた。教室で出すには少しばかり大きい声だったが、昼休みとあってか、その声に驚く者はいない。

「だーかーらー。今の時代に武士なんているわけないじゃん」

購買で買ってきた菓子パンを頬張りながら、未来はれんの熱い言葉を呆れたように冷たく跳ね返す。

「いや!いた!だって私、この目で見たもん!」

この目で!と念を押すかのごとく、目をカッと開きながら未来を見るが、彼女はふい、と横を向いてそれを受け流す。

「はぁ・・・いい?その時のことをよーく思い出してごらん」

未来に言われるがまま、あの時のことを思い出す。

あれは、一昨日、土曜日の夕方だった。
日がもうすぐ沈みきる頃、れんは母に頼まれたおつかいから歩いて帰っていた。家まであと5分程度のところで、れんはある光景を目にした。
1人の中学生くらいの男の子が、高校生くらいのガラの悪い男3人に絡まれていたのだ。
数十メートル先にいるため、話の内容はよく分からないが、どう見ても男の子は困っている様子だ。カバンを胸に抱きかかえ、壁にひっついておどおどしながら3人を見ている。
助けなくては。
そう思ったが、ガラの悪い男に、それも3人相手に突っかかっていくのは、正直怖かった。しかし、その状況を見なかったことになどできない。
どうしよう。
辺りを見渡しても、自分以外に人はいない。警察に連絡するべきか、と思いスマホを取り出したとき。

「貴様ら、そこで何をしている!」

突然、前方から声が聞こえた。
バッと顔を上げると、3人の男の向こう側に仁王立ちをしている男性が見えた。薄暗くて顔は良く見えないが、はかま姿で、手には竹刀が握られている。
3人組は、男の子から離れ、その男性の方へと身体を向ける。そして、1人がその男性に殴りかかろうとした。
まずい、殴られる・・・!
れんがそう思っていると、男性は殴りかかってきた男をひょいと交わし、持っていた竹刀で背中を叩いた。その衝撃で、男は地面に倒れこむ。
残された2人は、まさかの事態に驚いていたが、すぐに正気を取り戻したようで、2人がかりで男性に突っかかっていった。しかし、男性は2人の攻撃をたやすく交わし、竹刀で脛や腹を打つ。男たちはその攻撃に耐えられず、倒れている男を引きずり起こして、その場を立ち去った。
男性は、中学生の男の子に近寄り、言葉を交わした後、れんがいる方向とは逆の方向に歩いて行った。
思わずれんは、その男性の後を追ったが、角を曲がったところで見失ってしまった。結局、彼が誰なのか、名前どころか顔も何も分からなかった。

「それ、ただの剣道部員じゃん」

れんがその時の記憶をたどりながら話していると、未来の鋭いツッコミが入った。
パンと一緒に買ってきたであろうカフェオレを手にしている。ほとんど残っていないのか、パックを振って残りの量を確かめる。呆れ顔で言う未来に、れんはムッとしながら言い返す。

「でも!周りに他の部員はいなかったんだよ?それに、その場所から一番近い学校ってウチだけど、立海のはかまじゃなかったし・・・」

「じゃあ、どっか近くの道場から抜け出してきた人とかじゃない?」

未来は、れんの話に完全に興味がないのだろう。残りわずかなカフェオレを音を立ててストローで吸い上げると、スマホを取り出し、SNSを見始めた。

「近くに道場なんて聞いたことないもーん。ね、絶対武士だって!」

相も変わらず嬉々として武士がいると言い続ける中学3年生。
この学校はエスカレーター式の学校であるから、中3でも受験はないが、この年齢だと一般的に受験生である。そんな年齢の人間が、現実に武士がいると言い続けるのは、親友として、いや、親友でなくとも心配だった。未来は、溜息を一つ吐くと、先程触り始めたばかりのスマホを机に置き、目の前にいる親友の顔をまじまじと見た。

「あのね、アンタが好きな武士が生きていたのは一番近くても、今から約150年も前。歴史の授業で習ったでしょ?武士の末裔こそいても、現実的に武士はいないのよ」

どうにかこの歴史オタクの目を覚まさせないと。
武士を探すとでも言いかねないれんに、未来は真剣に諭した。
しかし、『武士の末裔』という言葉がいけなかったのか。諦めさせるどころか、れんの目は輝きを増してしまった。

「そう!そうよ!武士の末裔!!先祖が武士なら、その子孫は武士の血を受け継いでいるってことじゃない!?あの人、絶対武士の末裔だ・・・!」

ああ、余計なことを言ってしまった・・・。
パアァッと一人で舞い上がっているれんを目の前に、未来は頭を抱えた。



キーンコーンカーンコーン
ホームルーム終了のチャイムが鳴る。部活に行くために足早と教室を出る友人たちを見送った後、帰宅部の2人は教室にカバンを残したまま、1階の自販機へと足を向けた。そこでジュースを買い、教室に戻って、飲みながらおしゃべりを楽しむ。これが、彼女たちの日課だった。
この日も例外ではなく、同じようにジュースを買い、誰もいないガランとした教室で、昼休みの話の続きを始めた。

「ま、この際、武士かどうかは置いといて」

未来が、見えない何かを持ちあげて自分の左側へと置くような動作をする。
れんの武士だという主張が強すぎるあまり、話が全く前に進まないので、その男性が武士かどうかは考えないことにした。

「れんはその人に会いたいの?」

その言葉に首を大きく縦に振る。胸の前で手を組み、瞳をキラキラと輝かせながら遥か彼方を見上げる。

「会えたら、どんな生活をしているのかとか、どのくらい強いのかとか、聞きたいことがたっくさんある!」

その男性は、おそらく一般市民とさほど変わらない生活を送っているだろう、と未来は思ったが、言ったらまた話が進まなさそうなので、言葉はジュースと一緒に喉の奥へ流し込んだ。

「あーあ、あの時声かけられていたらなぁ・・・」

残念、と呟いて窓の外を眺める。
そこには、帰宅のために門に向かって歩いている生徒や、部活で汗を流している生徒の姿がある。

「顔も分からなかったの?」

れんにつられて、未来も外を眺める。

「うん。薄暗くてよく見えなかった。でも、黒髪で、背が高くて、がっしりした体型だったんだよねぇ・・・。あ、丁度あんな感じ」

そう言いながら指差した先にいたのは、テニス部副部長、真田弦一郎だった。ランニングを終えたばかりなのだろう。汗を拭いながら、チームメイトと共に門からテニスコートへと向かって歩いている。

「真田じゃん」

「未来知り合い?」

その言葉に、真田を見ていた未来はぐるんと勢いよく頭を回し、親友を見る。その目は、大きく見開かれ、信じられないと物語っている。

「は!?アンタ、まさか・・・真田を知らないの!?」

親友が驚く理由が分からず、れんはキョトンとした表情で未来を見る。

「え、知らないけど・・・同じクラスになったことないし」

さも当然かのように言うと、右手に持っていたペットボトルの蓋を開け、軽く流し込んだ。

同じクラスになったことなくても知ってるよ・・・と未来はまたもや頭を抱えた。親友が歴女で武士オタクで、3次元の男子に興味がないのは中学1年生から知っていたが、まさか有名なテニス部の副部長でありながら、風紀委員長という、同じ学年、いや同じ学校の人で知らない人はいないだろうレベルの人間を知らないとは・・・。
どんだけ男に興味がないんだ。将来が不安になる。

「まあいいや・・・。それで?れんが探してる人は、真田に似てんのね?」

2人は再び外へと目を向ける。先ほどとあまり様子は変わらず、テニスコートへと歩いて行っている。

「うん、あんな感じの人だった」

「それってさ、真田じゃないの?」

親友の考えに、今度はれんが勢いよく頭を回す。

「あの人、武士なの!?」

おっと、そう来たか。
1日に何度頭を抱えさせれば気が済むんだ、この女は。
しかし、3年の付き合いということもあってか、ある程度は受け流すこともできるようになった。彼女の思考回路にも大方ついていくことができるようになったので、冷静に返事をする。

「いや、武士ではないんだけどね・・・。うーん、でもそうだなぁ」

ある意味武士かも、と呟くや否や、れんは教室を飛び出した。

「えっ!?ちょっと!?」

慌てて未来も追いかける。帰宅部のくせに足が速いれんは、猛スピードで廊下を駆け抜ける。廊下にいる人たちは、何事だと驚いた顔で見る。階段を降りる途中に出くわした教師は、2人目掛けて、走るな!と叫ぶ。すみません!と謝りながら、もうほとんど見えない親友の背中を追いかけた。
ようやく未来がれんの姿をとらえた時、れんは先ほどまで上から眺めていた人物の目の前にいた。

「真田くん!」

呼ばれた真田だけではなく、部室棟の前で水分補給をするテニス部のメンバーたちが一斉に振り返る。真田が女子に呼ばれていることに、数名の部員たちは驚きやら困惑やらを隠せず、「え?副部長が女子に?」「マジで?今、真田を呼んだよな?」と声を漏らしている。
スポーツドリンクが入っているであろうボトルを片手に、真田はれんの方へと近づく。

「何だ?」

「あの、話したいことがあるんだけど」

少し緊張した面持ちで話しかける様子は、まさに今から告白でもするかのようだ。れんの緊張した表情が見える位置にいた部員たちもそう感じたのだろう。言葉にはせずとも、え?真田が?女子に?告白される?と部員たちの頭の中は大混乱だ。
当の真田は何も感じ取っておらず、淡々と話を進める。

「うむ。だが、今は部活中だ。あと1時間で終わるが、その後でも良いだろうか?」

その言葉にれんは頷く。では、北門で会おうと約束し、真田は部活へ、れんは親友の元へと戻って行った。



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