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  愛するということ



純白のドレスにキラキラ光る指輪。幸せそうに微笑む男女。ドラマチックな誓いのキス。初めて参列した結婚式は、まるで絵本の世界のようだった。式が一通り終わり、幸福感に包まれた新郎新婦は、こちらへと近づいてくる。そして、目の前まで来たかと思うと、新婦の手に握られていた花束が優しく差し出された。

「ミサちゃん。これ、受け取って」

絵本の中では、花嫁が参列者の女性に向かって投げていたものだ。ブーケトス、というものが結婚式の中ではあるらしいが、今回はそれをしないということだろうか。突然の出来事に戸惑っていたが、憧れの女性の一人である、彼女からの幸せのおすそ分けが嬉しくて、私はそれを受け取った。

「大きくなったら、私のように幸せな花嫁になってね」

自分のことを幸せだと言える彼女は、本当に幸せなのだろう。10代半ばの私にブーケを託して、新郎新婦は私の元を去って行った。


家に帰っても結婚式の余韻が抜けず、ずっとふわふわした気分だった。

「いいなぁ、あんな素敵な花嫁さんになりたいなぁ」

独り言のつもりだったのだが、案外大きな声だったらしく、父親が話に乗っかってきた。

「そうだなぁ。あいつにはもったいないくらいの美人さんだよなぁ」

式の主役だった新郎は父の年下の友人だ。確かに、旦那さんの方はイケメンとは少し遠い感じだが、愛想がよくて、仕事もできる。奥さんの方は美人でスラッとしてて、モデルと言ってもおかしくない。美女と野獣のようなカップル。でも、バランスが取れていて、素敵な夫婦だ。このカップルとは結婚が決まる前から交流があり、家に来て食事をしたことも何度もある。年も親子というよりは、兄弟に近かったので、お兄さん、お姉さんと呼んでいた。ずっと理想的なカップルだと思っていたが、今日の2人を見て、なおさらそうだと思った。

彼らの家は、そう遠くなく、私は学校帰りによく寄り道していた。お姉さんの方は、家にいることが多くて、いつでも優しく出迎えてくれた。

「お姉さん!今日も来ちゃった!」
「あら、いらっしゃい。どうぞ、上がって」

綺麗に片付いた部屋で、お姉さんが焼いたお菓子と私の家では絶対飲めないリッチな紅茶をいただく。毎回それじゃ申し訳ないので、私の方も家でとれた野菜をあげている。

「学校はどう?気になる人とかいないの?」

お姉さんは恋バナが好きなのか、よくその手の質問をした。彼氏はいないの?好きな子は?かっこいい人は?と。でも、あいにくそんな相手がいない私は、お姉さんを満足させてあげられるような話はできなかった。

「いないんだよねぇ。もっと都会の学校だったらいい人たくさんいそう」

でも、お姉さんは不満も言わず、そっかぁと少し残念気味に笑った。そんな顔でも綺麗なんて羨ましいなぁ、と思いながら、私はいつもの質問をする。

「昨日は、お兄さんとどんな話をしたの?」

私はお姉さんのこの話を聞くのが大好きだった。いつも幸せそうに昨日の出来事を話してくれるのだ。上手に作れなかった料理でも美味しいと食べてくれたとか、お土産を買って帰ってきてくれたとか、一緒にテレビを見て盛り上がったとか。些細なことでも幸せに感じられるから一緒になれて本当に幸せだ、とよくお姉さんは言っていた。その話を聞くたびに、結婚への憧れが強くなっていった。

そういう毎日を繰り返しているうちに、季節は次へ次へと進んでいった。
学年が一つ上がり、私の毎日は多忙を極めた。日課となっていたお姉さんの家訪問も、できない日が続いた。しかし、時々顔を出しては、そこで日々の疲れを癒した。相変わらずお姉さんは幸せそうだった。そう私には見えていたのだ。
しかし、突如事件は起こった。あの夫婦が離婚してしまったのだ。父親からその知らせを聞いた私は、最初は何かの冗談だと思っていた。だが、冗談を言うときの表情ではなく、真剣そのものの話し方で、その話が本当だと理解したとき、足はお姉さんの家へと向かっていた。
ドンドンドンと勢いよくドアを叩いた後、出てきたのはお兄さんだった。少し疲れたような顔をしている。お兄さんが家にいても、出るのはいつもお姉さんだった。そのお姉さんが出ない、ということに私は不安を感じた。

「お姉さんは!?」

真っすぐにお兄さんを見つめるが、彼は私から目を逸らし、俯きながら少し間をあけて答えた。

「もう、ここにはいないよ」

その言葉を信じたくなくて、許可もなしに私は家へと駆け込んだ。しかし、キッチンにもリビングにも寝室にも、どこにもお姉さんの姿はなかった。それどころか、お姉さんの物まで全て消えていた。愛用していたお皿やマグカップ、実家から持ち込んだというクッション、2人の写真。ここに、お姉さんが住んでいたという証が見当たらなかった。ショックで言葉の出ない私に、お兄さんは静かに話し始めた。

「彼女とは、離婚したんだ。あいつのことを慕っていて、仲良くしてくれていたミサには申し訳ないが・・・もう彼女とは終わったんだ。数日前にここを出ていったよ」

離婚?もう終わった?信じられない言葉ばかりを突き付けられ、状況が全然呑み込めなかった。だって、お姉さんはあんなに幸せそうだったのに。いつもお兄さんのことを笑顔で話してくれていたのに。一緒にいる2人は絵に描いたように幸せそのもので。なのに、どうして?
私の頭にはお姉さんの幸せそうな顔が浮かぶ。いつもお兄さんのことを好きだと言っていた。それなのに別れるだなんて。お兄さんに原因があるに違いないと思って、食って掛かるように言った。

「お兄さん、もしかして浮気でもしたんじゃない!?」

その言葉を聞いたお兄さんは驚いたような顔をして、言い返した。

「バカなことを言うな!そんなわけないだろ!浮気したのは俺じゃなくて、あいつの方だよ!」

言葉を失った。自分の耳を疑った。聞き間違いじゃないかと。いや、聞き間違いであってほしいと。お姉さんが浮気?そんなバカな。だって、あの人はいつもお兄さんのことを好きだって言っていた。ちゃんとこの耳で聞いていた。
そう私が伝えても、お兄さんは首を横に振る。

「お前は知らなかっただろうが、俺が仕事に出た後、あいつは男と遊んでいたんだよ。ちょっとしてからそのことに俺が気付いて、それをあいつに言ったら毎日のように口喧嘩さ。俺にも悪い部分があったが、あいつの浮気や態度が気に食わなかった。お互いがお互いのことを受け入れられなくなって離婚したんだ」

知らなかった。私が毎日のように寄っていたとき、既にあの夫婦の間には亀裂が入っていた。しかも、私と会う前に他の男と会っていただなんて。想像しただけで気持ち悪くなる。あんなに素敵だった2人はどこに行ってしまったの?式の時に一生を誓い合っていたのは何だったの?愛してるって言っていたのに、あの言葉はウソ?じゃあ、愛って何?自分が憧れていたものがバラバラと形を崩して壊れていく。
ひどい頭痛に見舞われ、私は家へと帰った。帰り道のことはよく覚えていない。ただ、気持ちが悪くて、頭がガンガンして、最悪な気分だった。

それから私は1日ずっと寝ていた。目は覚めていても起き上がる気力がなく、ベッドの上でただ茫然としていた。
机の上に飾っている写真を横目で見る。そこには、確かにあの日、幸せそうに笑っていた2人と私が写っていた。いつか、こんな素敵な花嫁になりたい。そう思っていたはずだったのに、今はその気持ちの欠片もない。重たい身体を起こして、机に近づいた。写真立てから写真だけを抜き取り、それを破って捨てた。

「バカみたい」

恋だの愛だのと浮かれて話を聞いていた自分を自嘲する。好きだとか、愛しているだなんて言っていたって、どうせそれは一時の気の迷い。一生続く愛なんてこの世には存在しないんだ。


学校を卒業後、私は一人暮らしをしながら働いた。数年働いた後、稼いだお金で一人旅に出た。もともと旅行が好きだったので、自分へのご褒美として国内を回ることにした。
女が一人で旅をしていると、男に声をかけられることも多かった。最初は無視してその場をしのいでいたが、数を重ねるごとにあしらうスキルが上達し、適当にかわすことができるようになった。

とあるお店で晩御飯を食べていると、男に声をかけられた。またナンパだと思い、いつものように適当にあしらおうとしたが、意外にしぶとく、面倒だなぁと思っていると思わぬところから助け船が来た。

「ちょっとそこのオニーサン。オレのツレに手、出さないでくれる?」
「僕たちの、の間違いでしょう。悟浄」

私の連れだと言って近寄ってきたのはまた男だった。しかも4人。ナンパの男はそれを本当だと信じたらしく、逃げていった。助けてくれたことにお礼を告げると、人懐っこそうな少年が一緒のテーブルで食事しないかと誘ってきた。まさか、ナンパから助けた後にナンパを仕掛けてくるという新手のタイプか?と疑ったが、話をしていると彼らがそういう目的ではないことが分かった。それに、彼らは見た目に寄らず、いい人たちだった。私と同じように旅をしていて、西を目指しているらしい。会話の中で、私が目指す街と彼らが目指す街が同じだと分かり、少しの間だけ旅を共にすることにした。
彼らとならば変な男も寄ってこないだろうし、一緒にいると楽しいし、出会えて良かったと思っていたが、1人だけ苦手なタイプがいた。
悟浄だ。
なんというか、彼は女慣れしているようで、隙あらば口説いてくる。私にだけなのかと思っていたが、一緒にいるとそうではないことが分かった。街を歩いている素敵な女性がいたら声をかけるし、店に入っても女性店員にすぐ甘い言葉をかけるし。悟浄のそういうところを見ると、昔慕っていたお姉さんの顔がチラついて少し不快な気分になった。

部屋に戻ってゴロゴロしていると、コンコンとノックする音がした。ドアを開けると、そこには悟浄が立っていた。

「どうしたの?」
「暇だから、ゲームでもしようぜ」

そう言って悟浄が取り出したのはトランプだった。こうして悟浄がトランプを持って遊びに来るのは今までも数回あった。悟浄も私もトランプゲームが得意だったので良き遊び相手だった。今回も今までと同じように暇つぶしとしてゲームをした。しかし、今までと違うことが一つあった。

「賭けねェ?」
「賭け?何を賭けるの?」

今まで何かを賭けて勝負をしたことはなかったが、悟空と悟浄はよくお菓子だの荷物持ちだのと賭けて勝負をしていた。何度か目にしたことがあったので、それくらいなら別にいいかと思って軽く聞いてみた。

「自分」

思いがけない悟浄の言葉にバッと顔を上げる。悟浄は、ニヤッと口角を上げている。

「別に命を差し出すワケじゃねーよ。負けたら、相手の言いなりになるってだけ。乗ル?」

負けたら悟浄の言いなり・・・あんまりいい気がしないとは思ったが、このゲームなら勝算が見込める。実際に今までも勝ったことが何回かあったし・・・。いつも口説いてきて面倒な悟浄を好き勝手命令できるのは、正直いいなあと思ったので、その勝負に乗ることにした。


「っつーことで、オレの勝ち」

勝負は惨敗だった。今までの悟浄とは比べ物にならないくらい強かった。今までは手を抜いていたということ?負けたことの悔しさで机に頭を突っ伏した。

「めっちゃ強いじゃん・・・詐欺だ・・・」

悔しい気持ちを抑え込みながらしぶしぶ頭を上げた。詐欺師め、という思いで悟浄を睨むが、当の本人はニヤニヤしながら私を見ていた。

「はぁ・・・負けたのは事実だし、分かったよ。言いなりになりますよ。んで?私に何をしてほしいわけ?」

悟浄のことだからどうせイヤらしいことでも考えているのだろう。抱きしめるとか、添い寝とか。キスとかお願いされたらどうしよう。さすがにそれは無理だなと思っていると、悟浄が口を開いた。

「オレの女になれ」

一瞬何を言われたのか理解できなかった。固まっていると、もう一度同じ言葉を言われた。

「は・・・え、どういうこと?」

そう私が尋ねると、悟浄は私の腕をつかんでゆっくり立ち上がった。言葉の意味も悟浄の行動も分からず、なされるがままにしていると、ベッドの上に座らされた。その隣に悟浄も座る。そして、悟浄が顔を近づけてきたかと思うと、私の耳にそっと近づいて、

「・・・オレの恋人になって、てコト」

囁かれた。びっくりして、悟浄の胸を手で押し、距離を取る。突然の出来事に心臓がバクバクと鳴っているのが分かる。肩で息をしながら、悟浄に言った。

「それだけは無理!」

でも、悟浄は表情を変えない。胸に押し当てていた私の手首を持つと、そのまま引き離した。

「ふーん・・・でも、勝負に乗ったのはダレだったっけ?さっき、言いなりになるって言ったのは?」

悟浄は手首をつかんだまま、顔を近づけてくる。確かに、勝負に乗ったのは私。負けて言いなりになると言ったのも私。仕方がないと諦め、私は頷いた。ゲームの賭けだ。どうせ恋人になるって言ったって短い期間だろうと思い、受け入れた。

「さっすがミサチャン。愛してるぜ」

易々と愛の言葉を囁いて、彼は私を膝に乗せる。悟浄の上に座って真正面から向き合う姿勢に、居心地も気分も最悪だったが、少しの辛抱だと自分をなだめた。悟浄は私の顔の輪郭をそっと撫でる。顎、頬、と段々上に手が伸びてくる。目元まで来たとき、彼の長い指がそっと瞼を触った。

「なげー睫毛・・・」

そう呟いたかと思えば、悟浄が身体を近付け、そっと睫毛に唇をつけた。思わぬ行動に身体を引き離そうとしたが、頭を悟浄に支えられてしまい、避けることができない。そのまま悟浄は額や頬、耳と至る所にキスを浴びせてきた。手で必死に悟浄の身体と距離を取ろうとするが、力で敵うわけがない。嫌だ、やめてと言葉を発するも、スイッチが入ってしまっているのか、悟浄は一向に止まらない。ついには口にキスをされそうになり、私は必死に抵抗した。

「嫌っ・・・!!」

パンッと乾いた音が部屋に鳴り響く。それでようやく目を覚ましたのか、悟浄がわりぃ、と呟いた。

「悟浄のバカ・・・!」

嫌だと言ったのにやめてくれなかった恐怖や、悟浄への不信感で私はその場から逃げ出した。私の名前を呼ぶ悟浄の声が聞こえたけど、そんなのどうでもよくて、とにかく悟浄から離れたくて、私は必死に逃げた。
気付いたら森の奥まで来ていた。必死に逃げたつもりだったが、悟浄の体力に勝てるわけもなく、とうとう追いつかれてしまった。

「悪かった」

悟浄はそう言うが、私は彼に背を向ける。もう彼の顔など見たくなかった。だが、彼は私の背中に向けて、もう一度謝る。

「ミサ、本当に悪かったって。お前が可愛いからついあんなことしちまって・・・。無理やりしたのは悪かった。でも、お前のことが好きなのは本当だ」

好き。
まただ。彼は私に何度も好きだとか、愛しているだとか言ってきた。でも、そんなの誰にだって言っているに違いない。だって彼は、よく女性に声をかけているし、ナンパしている。今までだって、いろんな女性に愛の言葉を囁いてきたのだろう。そんな安い言葉、信じられなかった。

「なぁ、ミサ」

私を振り向かせようと悟浄が腕をそっとつかんだ。でも、私は意地でも振り向かなかった。

「好きだとか、愛してるだとか、悟浄は私によく言うけど、私はそんな言葉、信じられない。どうせいろんな人に言ってるんでしょう。好きだ、愛してるって。そんな言葉になんて騙されない」

思い浮かぶのは、昔の苦い記憶。理想としていた人。あの人だって、いろんな人に愛を振りまいていたんだろう。
悟浄は私の言葉を聞いて、私の腕をつかむ手にぐっと力を込めた。

「・・・確かに、オレはすぐナンパするし、信用ねーのも分かる。けど、お前のことを好きなのは事実だ。この気持ちに嘘偽りはねェ」
「じゃあ聞くけど、その気持ちはいつまで続くの?」

私は振り向いて、悟浄の顔を見て聞いた。予想外の質問だったようで、悟浄は驚いている。

「いつまでって・・・」
「明日も、明後日も、その先も好きだって言える?」

私の言葉の意図がつかめず、悟浄はさらに困惑した表情になった。私はさらに続ける。

「好きなんて、そんな感情は一時の気の迷いよ。他に素敵な人が現れたらそっちに行く。愛がずっと続くことはない。悟浄の今の気持ちだって、別の人が現れたらすぐに忘れっ!?」

いきなり腕を引っ張られた。前のめりになった私の身体は、勢いよく悟浄の身体へと倒れこむ。そのまま背中に腕を回され、キツく抱きしめられた。

「なっ!?何するの!離して!」
「気の迷いなんかじゃねェよ」

離れようともがいたが、悟浄の低い声にビクッと身体を震わせた。怒っているのか、と思い、恐る恐る顔を覗く。悟浄の顔は真剣そのものだった。

「オレがミサを好きなのは、気の迷いじゃねェ。たとえ、オレ好みの女が現れたって、オレはお前が好きだ。一生だ。一生、ミサが好きだ」

悟浄の真剣な眼差しから、目を逸らすことができない。

「お前の過去にどんなことがあったのか知らねェが、そんな辛そうな顔すんな。お前にそんな顔をさせるようなヤツとオレは違う。オレは、何があってもミサを守るし、ミサから離れない」

そこまで言ってくれる人は、今までいなかった。でも、まだ悟浄を信じられなくて、私が浮気しても悟浄は好きでいてくれる?と聞いた。すると、悟浄は不敵に笑って、

「浮気する余裕なんかねェくらい、オレに夢中にさせるから、そんな心配いらねーヨ」

と言って、私の頭を胸に押し付けた。
初めてだ、こんな人。好きだとか、安い愛の言葉を振りまいてくる人は他にもたくさんいたけど、こんなに私のことを大切に思ってくれる人は初めてだ。胸がじんわり温かくなるのを感じた。愛ってこれなのかな。
悟浄は優しく頭を撫でながら聞いた。

「オレからの愛、受け取ってくれる?」

悟浄の愛は本物だ。そう感じた私は、ゆっくりと頷いた。



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