あの言葉の意味が気にはなりながらも、目の前ですやすや寝息を立てる人を見てたらこっちも眠くなってくるもんで。
 起こすわけにもいかないし、かといって眠気で鈍る頭を捻ったってしょうがない。
 こういうときは、素直に寝るに限る。そんなわけで、私も程なくして眠りについた。

 目が覚めたのは早朝だった。
 私にしては珍しく、すんなりとした寝起き。
 仰向けになったまま目線だけを動かせば、隣のロビンはまだ眠っていた。寝た時と同じ体勢で。寝相のよろしいことだ。
 このところ日が短くなってきていて、部屋の中はまだ少し薄暗い。普段より早く寝たから二度寝をするほどには眠くないけれど、一人で先に起きるのもなーという感じ。
「……」
 天井を仰ぎ、頭の上で手を組みながら、あの二文字を反芻する。
 すき。
 好き、で、いいのよね。
 そして、その前に呟いてたのは私の名前。
 好きって、私を?
 まあ、うん、自分で言うのもなんだけど、それはそうなんだろうとは思う。そもそも私たちの出会いからして、そうじゃなきゃまず始まってないんだから。
 でもなぜか、あの“好き”は、思い出すだけでもあまりにこそばゆい。
 だって、あんたそんなの今まで言ったことないじゃない。
 横目でロビンの寝顔を見る。まだまだぐっすり。こっちは一人で悶々としてるっていうのに、のんきな奴め。
 そのあまりの毒気なさに、思わず口元が緩んでしまう。なんだか肩の力も抜けて、ま、いっかって気分になった。
 そもそもロビン本人も、あんな寝落ち寸前じゃ自分が何言ったかわかってなさそうだし。

 何度か大袈裟に瞬きをして気持ちを切り替え、今日の予定を考えることにする。
 起きたら、とりあえず交替でシャワーを浴びて、朝ごはんは……あー、食パンあったかな。昨夜はバタバタしてたから、そのあたりは確認できてない。まあそれは後でいいか。
 で、そのまま寝ちゃったから午前中のうちにシーツ一式を洗濯して、天気が良さそうならその後でマット類も洗えるかもしれない。
 その後は、って、そこまで考えたところで、隣からかすかにシーツが擦れる音がした。
 顔を向けると、うっすらと目を開けてぼんやりしているロビン。
「おはよ」
「ええ、おはよう……」
 ほとんど条件反射みたいな返事。
 それから二、三度ゆったりと瞼を上げ下げして、そこでやっと「ナミちゃん?」と私の存在を認識したようだった。
 私も体を横にして、寝る前みたいに向かい合わせになる。
「一応聞くけど、昨日のこと覚えてる?」
 そう尋ねると、ロビンの眉間がぴくりと動いた。
「昨日、は……歓迎会で、だから、ナミちゃんのお誘いは断って……」
 ロビンは難しそうな顔をして、ひとつずつ順番に思い出していく。私はうんうん言いながらそれを聞く。
「秘書課のみんなと社長とお店に行って、お料理……伊勢海老のテルミドールが美味しかったの」
 さようですか。
「あと、お酒も……そうだわ。私、間違って社長のグラスから頂いてしまって……それで、そのあと……」
 どうやらロビンが覚えてるのはそこまでみたいだから、その続きは私がザラさんから聞いたことをかいつまんで説明してあげた。
「そうだったのね……ごめんなさい、迷惑かけてしまって」
 事の顛末を聞いたロビンは、心底申し訳なさそうに瞼を伏せた。予想はしてたけど、そりゃそうなっちゃうわよね。
 まあまあと肩を叩き、顔を上げてもらう。
「いいわよ、別に。家にいただけだったし、ロビンのことも気になったしね」
 その点については、ほんとに吝かではなかった。
 それに、どうせこの土日はどっかで遊びに来ようと思ってたし。
「でも、本当にありがとう、ナミちゃん」
「んーん」
 最近の私たちは、お互いもうすっかり気安くなっていて、こういうときの『ごめん』と『いいよ』の応酬はたいてい一回で済んでいる。
 場合によっては、それプラスケーキのお土産とか、そういうお詫びのサービス。今回は、ロビンのほうから「今日のランチはちょっといいお店でご馳走するわ」と提案があったので、お言葉に甘えることにした。
 だから、その件はこれで終わりでOK。
 正直言うと、ザラさんから聞いた、酔いの回ったロビンが急に私のことを呼び始めたっていうくだりに興味があったんだけど、覚えてないんだもんね。
 ま、それなら仕方ない。
 ていうかこの分だと、やっぱり寝る前の一言も記憶にないんだろうな。
 それもそれでしょうがないけど、なんだかちょっと残念な気もしていた。

***

 リビングのカーテンとサッシを開け、ベランダに出た。
 爽やかな朝の空気。そのきりりとした輪郭に、秋の訪れを感じる。
 まだ青の色が薄い空はすっきりと晴れ上がっていて、とても気持ちがいい。
 今日は一日快晴だろう、絶好の洗濯日和だ。

「いいお天気」
 不意に聞こえた声に振り向けば、先にシャワーを浴びに行ったロビンがいつのまにか上がっていたみたい。ラフな部屋着姿で、私にならって空を眺めている。
「今日はいっぱいお洗濯できそうね」
 そう言って、朝の陽射しに目を細めながら微笑んだ。
「……ロビン」
 同じタイミングで同じことを考えていたのがちょっとおかしくて、つい小さく吹き出してしまう。
「やだ、なあに?」
「いや、私たちすっごく気が合うなーって」
 はぐらかさず、だけど含みを持たせた私の答えに、ロビンは一瞬固まっちゃって。
「それは、嬉しいけれど……どうして、急に?」
 なんて、不思議そうに首を傾げてる。
 種明かしをして、お互い所帯染みてるわねって二人で笑った。

 そしてその流れで、じゃあ洗濯を済ませた後はどうしよっかっていう話に。
 ランチは決まりとして、せっかく出るならそのままどこか行こうよ、とか。お買い物だったら、秘書課のみんなにも迷惑をかけたからお菓子でも、とか。
 まあ詳しくは朝ごはんを食べながらってことで、とりあえずロビンはキッチンへ、私はシャワーを浴びてくることにしたんだけど、その前にひとつだけ。
 実はさっきから、ちょいちょいロビンが何か言いたそうにしてるのが気になっていた。
 忘れないうちにそれだけ聞いておこうと思って、私もキッチンに引き返す。
「……ええ、目が覚めた時からずっと訊かなくてはと思っていたのだけど……」
 私が促すと一度は話し始めたけれど、なんとも中途半端なところで言葉を切って、顎に手をやり黙り込むロビン。
 そんなに言いにくいことなんだろうか。
 もしかして、寝際の呟きを思い出しちゃった、とかだったりして。
「……待ったほうがよかった?」
 これには咄嗟に首を横に振ってくれた。
 ロビンもきっかけは欲しかったってことかな。そう結論づけさせてもらい、話の続きを待ってみる。
 それから少し間を置いて、ロビンが躊躇いながら口にしたのは。
「私、目が覚めたらいろいろと脱いでいたけれど……あれは、自分で?」
 あ。
 あー……そのことね、と合点がいく。
 少しがっくりしつつも、そういえば、ベッドから出ようと布団を捲ったロビンが、一瞬どきりとしたような顔をしていたのを思い出した。
 確かに、寝起きに昨夜のことを話した時には、ここに着いてからのそういう細かい説明は端折っていた。といっても、いちいちそれを話したって恐縮させてしまうだけだろうから、っていう以外に他意はない。ロビンが知りたいなら隠す理由もないわけで、ありのままを答えることにした。
「ううん、それは私。スーツ型崩れしちゃうし、ストッキングも窮屈かなって。ごめん、やだった?」
「あっ、いえ、そうではないの、ありがとう。……ただ、その……」
「?」
 詰まりながらロビンが言うには、自分から脱いだのだとしたらはしたないし、私に脱がせてもらったのだとしたら大の大人が恥ずかしいし、というところでまず葛藤。
 正解がどちらであっても、ロビンにとってはあまり直視したくない事実だけど、一度考え始めたらどうにも気になってしまったみたい。
 それに、もし手伝わせてしまったのならお礼を言わなければ……とかなんとか、シャワーを浴びながらどうしたものかと悩んでいた、と。
 あまりに神妙な顔をして言うもんだから、思わずあははと声を出して笑ったら、睨まれちゃった。
「ナミちゃん」
「ごめんごめん。だってもっと深刻な話なのかと思ってたから、なんか拍子抜けしちゃって」
「もう……」
 というのも、ベッドから出る時のロビンは確かに戸惑っていたけれど、それは本当に一瞬のことで。その後すぐに、何事もなかったかのようにその辺にあったカーディガンを羽織って「先にシャワー浴びてくるわね」なんて言って出ていったから、まさかそれがずっと引っかかっていたとは思わなかったというわけ。
 あえて黙っていたことを言い訳させてもらいつつ、あの時のロビンはほんとにもう眠気が限界っぽかったから、私のほうでできることだけやって寝かせたのよっていうのを、今度こそちゃんと説明した。
「もしかしてお化粧も?」
「うん、拭くだけのやつあったから。さすがに普段のスキンケアまではできなかったけど、最低限はね」
 せっかくこんなに肌きれいなんだしさ、とお風呂上がりのロビンの頬を撫でる。
 今はお手入ればっちりだから、しっかりもちもち。
 ロビンは特にそれを咎めはせず、「ありがとう」とだけ言ってくすぐったそうに笑ってる。
「ナミちゃんって、面倒見がいいわよね」
「よく言われるわ。けど、誰にでもここまではしないからね、ロビンは特別」
「……そう、なの?」
「そうなの!」
 まあ、なんでと訊かれたら、なんでだろうって思う。けど、そうなの。
 だからどんと胸を張って言ったのに、それでもロビンってば、ちらちらと私を窺うように視線を彷徨わせてる。遠慮がちというか、自信なさげではあるんだけど、とはいえ私の言葉を信じてないわけじゃないのはわかる。
 だってロビン、耳赤いんだもん。
 もっと素直に、笑って受け止めてくれていいんだけどな。そんなことを考えつつ、でも同時に、その反応に納得していたり満更でもなかったりもする。
 それはロビンという人が、私よりずっと大人で、頭も良くて、落ち着いてるかと思えば意外と大胆なところがあったりするのに、こういうときにはこんなにもたどたどしくて、かわいくて、愛おしい。そんな人だから。
 そして、ロビンのそういうところが、私は──。
「……あ」
 ごく自然に繋がったのは、まさに昨夜からずっと頭の中を巡っていたあの二文字だった。
 そっか、そうだったんだ。
「ナミちゃん?」
「え、あっ、えーっと……」
 思わず零しかけたその言葉を、ひとまずここでは飲み込んで。
「……じゃ、私もシャワー借りよっかな!」
「あ、ええ、ごゆっくりどうぞ」
「いってきまーす」
 ひらひらと手を振り、今度こそ浴室に向かう。
 多分、いつもどおりの笑顔で返せたはず。鼓動は確かに駆けているけれど。

 脱衣所の扉を閉めたところで、喉の奥に押し戻していた言葉が、深いため息になって吐き出された。
 一呼吸ついて、緩んだ心で無意識のうちに眺めていたのは、目の前に広げた手のひら──それは、ついさっきロビンの頬に触れていた手。もう何の名残も残っていないはずなのに、その感触を思い出したら、指先がまたじわじわと熱を帯びていくような気がした。
「……」
 わかってる。
 そんなの錯覚に決まってるんだけど、その熱を逃したくなくて、きゅっと手を握り込んでいる自分がいたことに、ああ、うん、そういうことよね、って納得した。
 私、好きだな、ロビンのこと。
 理屈じゃなく、この人は特別だって感じるような、ただそう思うだけじゃいられない、だけど気安く口にもできないような、好き。
 そう自覚すると、なんだかいろいろと腑に落ちた。
 それと、昨夜のこと、やっぱりあの時聞かないでおいてよかった、とも思った。というより、まだそれを確かめていい私じゃなかった。
 だから今こうして、自分の気持ちに自分で気づけたことがすごく嬉しいし、ロビンの真意はわからないままだけど、それならそれでいい。
 私の思いはもうはっきりしてるから、答えが欲しければ、それは私から伝えたらいいだけなんだもの。

「……うん」
 洗面台の縁に両手をついて、鏡に映った自分の顔を見つめる。目の前の私は、ちょうど雲ひとつない今日の空のように晴れやかな表情をしていた。
 さっきは突然すぎて日和っちゃったけど、今はまた、早くロビンの顔が見たいなって思う。
 とりあえず、さっさとシャワーを浴びてしまおう。戻った後は、朝ご飯を一緒に食べて、話の続きをして、二人で出かけよう。
 この気持ちを伝えるのは……さすがにやっぱり、今日の今日ではまだちゃんとできる気がしないから、それはもうちょっと時間が欲しいかな。
 でも、なんとなく。
 その日が来るのは、そう遠くない予感がしてる。

 
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