深夜のトラキア市、トラキア記念病院に急患を告げる一本の電話が鳴り響く。
「はい、記念病院です。はい、ええ、あと何分ぐらいです?外傷は…なしですね。意識、もなし…わかりました。すぐ対応できるよう準備しておきます」
「どうしたのフェルグス。救急?」
警備員であるフェルグスのすぐそばで電話応対を聞いていたのは当直の外来看護師カリンだった。先程まで欠伸を噛み殺していたとは思えないほどキリッと表情を引き締めている。まだ若く、医療現場の経験も豊富なわけではないが、それを補って余りあるほどの知識とそれをすぐさま実行に移す行動力があった。
「ああ、今日の当直誰だっけな…」
今月の当直医一覧を記載してある名簿を探すが、見当たらない。
「どういう状態なの?事故か何か?」
「重症失恋症候群らしい。まだ二十歳そこそこなのにかわいそうだな」
「…まぁ、若さゆえ、というヤツかしらね」
「その辺りが難しい。十代ならまだ若気の至とか青春の甘酸っぱい思い出で済ませられるものを、二十代に突入してからの失恋症候群は重症化しやすいってこの間セティ先生が言ってた。あー、まだ電話がつながらねぇ…」
ようやく見つけた勤務表から今日の当直医を探しだし、医師が身に付けているであろう医療用PHSを鳴らすが、出ない。
「当直誰だっけ?」
「なんでナースのお前が覚えてないんだよ…今日はイリオス先生だ」
「あぁ、ね。PHS貸して。あの先生、どうせ旧当直室で寝てるのよ。あ、イリオス先生?お疲れ様です。重症失恋症候群の救急があと5分ほどで到着予定ですので降りてきてください、絶対ですからね」
専門外だとかなんとか喚くイリオスを無視してカリンはピッ、と医療用PHSの電源ボタンをおして通話終了。
「はー、やっぱりナースはドクターに強いな」
「まぁ、救急病院の夜勤やってりゃ嫌でも、ね」
深夜、1時38分の出来事だった。
END