届かない01 

「ハーデス様。コチラは新しい御召し物になり……、?」
「なんだ」
「背中の、……お怪我でもされたのですか」


火傷の手当を行い、黒い衣へ片腕を通した冥王の露になった白い背中の肩甲骨辺りに、無数の爪痕が残されていた。
掻きむしったような爪痕の周りは僅かに赤く腫れ、肌の白さのせいで余計に痛く見える。



「………あぁ」

思い出したようにそこへ手をやると、クッと笑って衣を羽織ってその痕を隠す。


「少しばかり……仕置きをしただけだ」
「……っ」
「この程度の抵抗ならば、と余が許した」


だから、気に止めるな。

そう言われても、勿論此方が納得できるわけがなく、怒りのままに槍を掴むと女の小宇宙を頼りに探し始める。



(ハーデス様のお体に傷をつけるなど……!)



神話時代から冥王に縁のある女神であろうと、所詮は小娘。
たいした力も持たないくせにアローンである頃から付き纏い、ハーデス様を惑わせる等……恥知らずな。



やがて、普通のスペクターは近付くことさえも許されない宮の前に立つと、中からは確かにあの女の小宇宙を感じた。


……随分と微弱。

たが、今が好機とばかりに扉を開け放った。


槍を掴んだまま部屋に踏み込んだパンドラは、
目に飛び込んでき た光景を見た瞬間、持っていた槍を落としそうになった。



「……っ…な」


乱れた寝台の白い波の上に転がされている肢体は、日の光を受けて、更に病的な白さを帯び、金色の髪がぐしゃぐしゃになって拡がる。

泣きじゃくったように赤くなった目元は未だに湿り、閉じられた瞼からは新しい雫が落ちて頬を伝い落ちていった。


辺りに立ち込める残り香とその肢体をハーデスのマントが覆っていた事から出来事を理解したパンドラはカッと怒りで顔を赤らめた。



「この……ッ!恥知らずな女神共め!!」

私のハーデス様をかどわかし、のうのうと生きている女!



怒りを露にしたままそう叫ぶと、まさにボロボロの女が小さく呻き掠れた声を漏らして重たそうに体を起こす。

手首や足にまるで所有を表すかのような強く握り締められて出来た手痕が見え、執念のようなものを感じてゾクッとした。



「お前は!!……貴様らは、やはりハーデス様に相応しくない!」
「……パン、ドラ……」


剥き出しの肌には紅いうっ血痕が無数にあり、更にパンドラの顔に憤りが刻まれる。
三つ又の槍をその喉スレスレに突き立て、ギュッと強く握る。


「その魂、二度と転生してハーデス様に近付けぬように冥界のプリズンに散り散りして捨ててやろう!!!」
「………」


恥じる事なく晒け出されている女性特有の肉体の美しさが、更に怒りを煽り最早パンドラの怒りは頂点に達した。


「……パンドラ」

ふいに突然槍を掴んだ女は、その先端を喉に当てる。
少し押せば完全に肌が切れてしまうくらいに弾力のある肌に槍の先端が食い込んでいた。



白い肌に残されてる痕が、痛々しい。

何処か退廃的な美しさを振り撒く少女は、儚げに微笑み掻き消えてしまいそうだ。



「……それも、良いかも知れないわね」


掠れた声で優しく穏やかに呟かれた声には焦りや反省などが全く感じられず、もう血が逆流してきたかのような苛立ちを覚えてギリッと奥歯を噛み締めた



「もう我慢できん……!アテナといい、貴様といい……女神とは名だけの薄汚い虫けらよッ!!!」


今すぐ私の前から消えてしまえ!!


殺すつもりで槍を大きく振り上げ、胸に突き立てる前に何者かに槍を掴まれて動きを止められてしまう。


「何をしている」
「輝火、貴様ッ!!」
「……かがほ」


槍を降ろさせると、エレナに近付いてハーデスのマントを手に取り、顔色一つ変えずに人目に晒されてる肉体に巻きつける。

着ていた白い服はもう無惨な布と化して落ちており、着れる代物とはならないからだ。




「……ありがとう」

エレナをそのままにしてパンドラの腕を掴んだ輝火は有無を言わさずに部屋の外へと引きずって行った。



「今のエレナ様への行動、ハーデス様へ報告させて貰おう」
「勝手にするが良い」


苛立ちのまま吐き捨てるようにそう言うとしばらく沈黙した輝火に「……嫉妬か?」と、感情を言い当てられカッと頬を染める。



「馬鹿馬鹿しい!!」


カツッと靴音を立ててその場から立ち去る。


そうだ、私はもうあんな事に動じない。
私はとっくに生娘ではないのだ。

何もない私はこの身一つで今の地位を勝ち取って来た。


生まれながらに恵まれ、愛され守られて育ち、今だってどんな事をしても焦がれるまでに情愛を注がれて続けているあの女とは違う。


どれだけ私がハーデス様を待ちわびていたか、どれだけ探し求めて来たのか。

その為にどれだけの死体を踏みつけてきたのか、あの女は知らないのだ。



なのに、どうして……。



(………私の想いは、ハーデス様に汲み取って頂けないのだ……っ)


狂おしい程私はハーデス様を愛し、そして、冥王軍の為に尽力をしているというのに。


身を蝕む感情はやはり嫉妬以外の何物でもなくて、そのやり場のない怒りが電撃となって体にまとわりついた。


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