異端皇子と花嫁 | ナノ
旅人 01 


煌帝国が中原の残党狩りを完遂した事により、正式に『極東平定』達成を発表して早三ヶ月。
その占領地は日々拡がっており、北天山に隣接していた中立国を属州としてからは、北東地域はほぼ全域が煌の傘下国へと下っていった。

白い駒があっという間に黒へと転じていくように帝国の支配は拡大を続けていき、いつしかその一線に立つ第一皇子は、炎帝という異名で恐れられる存在となっていた。


中央砂漠を挟んだ西部地域にもその名は囁かれるようになり、煌帝国は今や世界の覇権を握る勢力の一派となった時。



時を同じくして、大陸の北西に位置するミスタニア共和国。

旧ムスタシム王国であるマグノシュタットよりも北に位置する小国であり、極北のイムチャックに隣接しているだけあって冬季のミスタニアは氷点下まで気温が下がって厳しい環境となる。


それでも、南側へ大きく迂回するコストを抑える為に、その崖道を通り抜けようとする隊商が必ず居る。

切り立った山沿いは馬車が一台通れるほどの道しかない場所もあり、崖からの転落事故や落石事故は毎年絶えることがない。


そんな中、一つの隊商が落石事故に遭って立ち往生してしまったのは、いつでも起こり得た些細な事故だった。


ただ一つ、偶然其処を通りかかった人物を除けば。


巨大な落石が雪崩のように転がり落ちてきた事によって、隊商の先頭を走っていた荷馬車が巻き込まれ、直撃した馬が岩の下敷きになった。
巻き込まれた荷馬車は横転し、人の出入り口を塞ぐように落石が滑り込んできた事で中にいる人間の安否さえも分からない。

大人達が落石を端から崩しながら救助を試みていた最中、山沿いの道を歩いて進んできた三人の旅人はそれらを目にすると急いで駆け寄った。


外套の袂を緩めてフードを外すと、日差しの下に紫色の長い髪に晒す。
怪我をしつつも周囲の大人に指示を出している隊長の女性を掴まえると、「大丈夫か」と声を掛けつつ落石の前に立って荷物を放って腕を捲る。


「俺たちも手を貸そう。被害の状況は?」
「ありがとう、すまないね。実は、馬車が一つ巻き込まれて…。まだ中に二人ほどいた筈」
「分かった。取り敢えず、この落石を退けない限りは安否確認のしようがないよな。
……マスルール、頼めるか」
「はい」


紫髪の男の後ろに控えていた内の一人の男が応えて歩み出す。
紫髪の男よりも長身で屈強な体格をしている男は、外套の下に金色に輝く鎧を纏っており、風で翻ったフードの下から燃えるような赤い短髪が姿を現す。


「おいおい……いくら何でも、あの兄ちゃんにも無理だろ」
「大人数人がかりでも難しいんだ」
「………」


マスルールと呼ばれた男は、視界の端でそう囁いている男たちには目もくれず、岩に近づいて無言で落石の山を見上げる。
ゴキゴキと右手の指を鳴らしながら、目の前に転がっている自分の身の丈ほどもある落石に向き合うと片手をかける。

グッと指に力が込められると、バキッと指が岩にめり込んでそのまま軽々と片手で岩が持ち上がってしまう。
あまりの衝撃的な光景に、何人もの人間が口をあんぐりと開けたままマスルールを呆然と見つめた。


「……まあ、これ位なら余裕スね」

ボソッと独り言を呟くと、山間の崖に向かって荒っぽい手つきでそのまま放り投げる。
大きな岩がゴロゴロと崖を転がり落ちていったのに対し、悲鳴じみた声を上げたのは今まで奥で黙って見守っていた三人目の男だった。
緑色のクーフィアを揺らしながらマスルールに近づいた男は、長身の彼の頭を容赦なく叩いて叱責する。


「ちょっと、マスルール!捨てるならせめて、下に何も無いの確認してから…!」
「スイマセン」
「絶対反省してないよね、君。まあ……下は何もないみたいだから良かったけれど、ほんと気をつけて」
「はい、ジャーファルさん」


小さくため息を漏らしたジャーファルを一瞥すると、再び落石に向き合ってまた同じように手をかける。
まるで小石を投げるように、崖の方へ大岩を投げ捨てていくマスルール。
普通の人間なら絶対に動かすことさえできないほどの大岩が宙を舞っている光景に、皆が言葉を失っている中、紫髪の男性の傍らに立ったジャーファルが小さな声で囁くように呟く。


「……これだけの落石事故では、ちょっと生存は厳しいかもしれませんね」
「ああ……。でも、俺たちが出来る事はしていこう。
どちらにしても、落石が道を塞いで居るんじゃ、俺たちも進むことは出来ないんだ」
「そうですね、シン。中の隊員が無事だと良いのですが」

しばらく周囲の人間と同じように固唾を飲んで見守っていたシンとジャーファル。
マスルールの手が一つの大岩の手に掛かった時、何処かで鳥が鳴くような声を聞いた気がした。その声にハッとしたシンは、マスルールの元に駆け寄りながら大岩を指さす。


「マスルール、”それ”だ!
周りを崩さないように、ゆっくり引き抜け!」


真剣な眼差しで首肯し、さっきまでの荒っぽい投石とは打って変わって慎重に大岩を動かしていく。
ズズンッと音を立てて大人が一人滑り込める程度の隙間が空くと、その間から荷馬車の一部が露わになった。
横転した馬車の天蓋がひしゃげている様に、皆が眉を寄せる。


「待て、それいじょう引くと上の石が崩れる」
「…そう、みたいすね」
「俺がちょっと見てみるから、崩れないように支えててくれるか」
「はい」

グッと荷馬車の天蓋部分を支え持ったマスルールの身の下を、シンがその隙間に四つん這いになって潜り込んでいく。
かろうじて荷馬車の天蓋を覆っていた布によって出来ていた僅かな隙間には、横転したことによって崩れた荷物が無造作に積まれていた。

でも、人影は見当たらない。


(……何処だ?)


いつ崩れるとも分からない天蓋の下を這って進みながら中を見渡していた最中、またピィッと鳥が細く鳴くような声が耳に届いた。

…絶対、生きて此所に居る。

そう確信を持って手前の荷物を乗り越えた先に、荷物に下敷きになってる人影を見つけて慌てて駆け寄ると、その人物の腕の中でもう一つ小さな人影が揺れた。
ひとまず見つけた事に安堵して一息つき、まず小さい方を優しく抱え上げて外へと助け出す。

そして、ぐったりと横たわっている方に声をかけながら肩を揺するも、反応がないことに焦って少し乱暴に揺する。

「おい、しっかりしろ」
「……ぅ、う」

外套に包まれるようになって横たわっている人影を腕に抱え、なんとか脱出すると同時にとうとう荷馬車の天蓋が壊れて一気に潰されてしまった。

「間一髪でしたね」と安堵の声を出すジャーファルを一瞥したシンは、地面に膝をついて人影を覆っていた外套を剥ぎ取る。

外套の中から、砂利と一緒にパラッと珍しい藤色の髪がこぼれ落ちた。


肩口で切りそろえられた藤色の髪の合間の瞼が震え、開いた薄紅色の瞳がぼんやりとシン達を見上げる。



「大丈夫か?怪我は?呼吸が苦しくは――」
「……おにい……さ、ま?」
「え?……おいっ!」


ふっと瞼を閉じてぐったりとしてしまった少女に、声をかけるも……少女の頭を支えていた方の手にべっとりと血がついている事に気づいて慌てて声を張り上げる。


「ジャーファル!手当を!」
「はい!」
「死ぬなよ。…絶対に救ってみせるからな」

傷の手当てを行うジャーファルの隣で、グッと少女の手を握ったシンの手から、目映い光りが溢れて少女の身の中に流れ込んでいく。

その不思議な光景を眺めていた人々は、手を組んで祈りながら真剣にその様子を見守っていた。

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