異端皇子と花嫁 | ナノ
旅人 02 


………
…………………

"ダンダリオン!"

わたしへと、必死に手を伸ばした人の姿が消えた後………目の前は、ただ真っ暗だった。


見渡す限りの全てが暗闇で、自分が本当に目を開けているのかさえも疑ってしまいそうなくらいに何も見えない。
地面さえもないから、何処が上で、下なのかも分からない。


耳鳴りがしそうな位に真っ暗な世界で、聞こえるのは唯一自分の息づかいのみ。

だから自分が歩んでいるのか、それとも止まっているのかさえも曖昧で……。

そもそも、「わたし」の事すら霞が掛かってよく分からなかった。


「わたし」の事を自身に問いかけると、体が暗闇の中にボロボロに霧散していくような錯覚を起こして怖くなり、両腕で体を抱きしめて安堵する。

自分の体をギュッと強く抱きしめてなんとか意識を保ちながら、それでも足を止めることなく、歩み続ける。


「かえらない、と」


帰らないと。
あの方の所に帰らないと。

重たくなった足を無理矢理動かして前へ前へと歩んでいると、暗闇の先に二つの光りが見えた気がした。

どっちに向かえば良いのか迷っていると、ピィッとルフが脇をすり抜けて飛んでいく。
暗闇の中を飛んでいくルフが、片方の光りの方向へ飛び去っていくのをぼんやり見つめていると、片側の光りが増した。

心の中で「あの方」の事を思えば思うほど、光るルフの運命の流れが吸い寄せられる方向が見え、そちらへと足を向ける。

もう足も重たくて、立っていることさえ苦しくて辛い。
でも、諦めずに体を引きずって歩いていくと、いつの間にか足が地を踏んでいる感覚が戻っていた。

時々地に倒れて挫けそうになりつつも、鼻に香る土の匂いに元気づけられて這いずるように立ち上がる。


「……はぁ……はっ」

どれくらい歩いたか分からない。
全身が痛みを訴え、足を引きずるように歩いていた時、

「…っぅ!」

とうとう力尽きてドサッと地面に倒れ込んでしまい、腕を突っ張って立ち上がろうにももう上手く力が入らない。
棒切れのようになった足も悲鳴を上げ、力が抜けてしまう。


「かえり、たい…かえりたい…っ」


目から温かいものが溢れて眦を流れていく。
何処へ帰りたいのかは分からない。でも、帰らないといけないのは分かる。

会いたい人がいる。
でも、その人が何処にいるのかはわからない。

心細くて、今にも精神が狂ってしまいそうで、苦し紛れに助けを求めた。


「だれか、たすけて…っ」


か細い声でそう呟きながら光りの方向へと、震える腕を伸ばす。


此処から出して…!


その時、ふわっと伸ばした手を優しく掴んで握り返される感触がしてハッと顔を上げた。


「やあ、来たよ。どうかしたのかい?」


亜麻色をした長い三つ編みを揺らし、緑色の三角帽子を深く被ったその人は暗闇の中でとても穏やかに微笑む。
闇の中でも光って見える程、身の周りをルフが慕うように飛んでいる。

一瞬女性かと疑うくらいに中性的な顔つきをしたその人は、声と体格から男性だということは分かった。

「あれ?君……」
「?」
「ううん、気のせいだね。『たすけて』って言っていたから、来たよ」

すっと腕を引かれると、さっきまでの痛みが嘘のように足がスッと自然と動いて立ち上がる。

「取り敢えず、こっち側においで。あっちで少し話をしよう。
此所だと、君が“崩れてしまいそう”だ」
「え…?」

ふと視線を落とすと、男性に握られていない方の手がほんの一瞬だけぐにゃっと歪んだ気がして悲鳴を上げる。

急いたように男性に腕を引かれて足を踏み出すと、次の瞬間には男性と私の目の前に木で作られた小さな家が立っていた。

先程までは暗闇しか見えなかったのに、突如目の前に現れた立派な家。全体が暗闇の中で淡く光っているのにも驚いて呆然と立ち尽くす。

「さあ入って。お客さんは数年ぶりだ」

エスコートされるように男性に室内に招かれ、誘導されるがままに家の真ん中に据えられた椅子に座る。

あまり室内を見回すような不躾な事も出来ず、小さく縮こまってそわそわしているとテーブルに茶の入った陶器が置かれた。
向かい合うように座った男性が見守るような視線を向けてくる為、恐る恐るお茶に手を伸ばして一口煽る。


「!?ぐ、ごほっ…う、」
「え!?不味かったかい!?」
「に、にがいです…すっごく」
「あれぇ?うーん……あ、ごめんね。コレ、茶葉じゃなかったみたいだ」
「ええー……」

てへっと誤魔化すように笑って改めてお茶を淹れ直され、今度は普通に美味しかった。
いったい、私は何を飲ませられたのだろうか…。問い掛けたかったが、なんだか怖くて訊けなかった。


「僕は、ユナン。この谷の守り人だよ」
「……ユナン、さま」
「え?」

途端にキョトンとすると、可笑しそうににっこりと笑う。

「『ユナン様』なんて初めて呼ばれたなぁ。ユナンで良いよ。
それで、君は?何処から来たの?」
「……わたし?……わか、りません、すみません」
「時空の裂け目に落っこちちゃったんだもんね。
自然と記憶は思い出すと思うから心配しなくていいよ。
きっと、次元を乗り越えた時のショックでそうなっただけだし。こちら側に居れば、バラバラになったルフがちゃんと体に定着するようになる。
此所でルフと記憶が落ち着くまで居る方がいいんじゃないかな?
…それで、君は何処に帰りたいの?ずっと言ってたよね、帰りたいって」

「私、『あの方』のところに、いますぐに帰りたいんです!でも……帰り方が分からなくて」
「急だなぁ……せめて、半年くらいは此処に居るのをおすすめしたいんだけど。
何処らへんか分かれば送ってあげるよ」
「此所は、何処ですか?」
「レーム帝国属州の最南端、大峡谷。その谷の奥底、かな?」
「レーム!?」

聞いたことがある言葉を前に、ガタッと身を乗り出すとユナンが驚いて肩を揺らす。

「っびっくりしたぁ…。レームは分かるんだね」
「はい、聞いたことがあります!」
「じゃあ、レームのレマーノまで送ってあげようか。しばらくすれば、自分が帰る場所も分かるようになるし。……帰りたいのに、無理に此所に引き留めるのも良くないよね」

諦めるように息をついて立ち上がると、壁に立てかけてあった長い釣り竿のような棒切れを手に取る。


「転送魔法なんて久々だよ。うまくできるかな」
「てんそう、まほう」
「ふふ。まあ、見ててごらん」

棒切れを軽く振るうと、私の足元に光輝く円陣が現れる。
そして棒を此方に向けるユナンを周りに、光る鳥達が慕うように集まってくるなり、彼に力を与えている様子が見てとれた。

「じゃあ、頑張ってね」
「ユナン、貴方―――…っ!」

カッと光った魔法陣の中へと体が吸い込まれ、穏やかに微笑むユナンの姿が幻のように掻き消える。

ふと目を覚ました場所はレマーノではなく、人の通りもあまりないような通りの傍だった。
レームの属州ではあるけれど、首都よりもずっと東南の方で何もない道端。

拾ってくれた隊商たちも驚いていた位だ。


「ごめん、転送させる場所間違えちゃったみたいだ」

と、茶葉を間違えた時のような調子でユナンがてへっと笑った気がして、ため息が漏れる。


それから、三月の間ずっと旅をしていた……。

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