異端皇子と花嫁 | ナノ
出撃 01 


苦しい。動けない。


自分でも分かるほどに魘されながら目を覚ますと、其処は見たことも無い天井だった。
まだ夜明け前なのか、ぼんやりとした間接照明が光源だ。

ハッとして視線を巡らせると、私を深く抱き込むような形で眠り付いている美しい尊顔が額のすぐ近くにあって固まる。


(これは…ど、どういう状況…?)

私、あのまま眠りこけて……

恐らく、見かねた兵士が紅覇様に声をかけてくれたに違い無い。
大事な紅覇様との時間を邪魔された側室の方は、怒って帰ってしまっていないだろうか…。


(それに…)


チラリと深く眠っている紅覇様のお顔を見てから、被さるように伸びているその腕を辿っていく。
いつもは抱き込むように軽く回されている腕が、夜着の合わせ目を潜って脇腹の方に入ってきている。ぴたりと素肌に張り付いていて温かいけれど……ちょっとでも動かされたら笑い転げてしまう自信がある。


かといって、いつまでもこのままではいられない。
紅覇様を起こしたいけれど……でも、こんなに気持ちよさそうに寝てる人を起こせるわけがない。

……侍女にも何も言わずに出てきてしまったから、このまま朝を迎えたら絶対に怒られるし、着替えも後宮にある。
今から侍女を起こして準備万端にして、出立前の紅覇様のお時間を少しでも貰えるように交渉するしか、ない。


ズリ、ズリと紅覇様の腕から抜け出そうと体を捻る。

紅覇様の腕が引っかからないようにしつつ、起こさないようにゆっくりとした動きで腕を解いて出て行こうとした時…


ふいに脇腹に回されていた紅覇様の腕にグッと力がこもって、あばら骨に指が数本食い込む。
不意の一撃に「い、ぐぇっ」とくぐもった声を漏らし、脇腹を押さえて痛みに震えているとあばらに食い込んだ指が唐突に緩められる。


咳き込みながら恐る恐ると視線をゆっくり上へと上げていくと、寝起きの不機嫌さをまるっきり隠すことなく肘をついて此方を見下ろす紅覇様が居た。

乱れた髪の隙間から此方をみる眼光の鋭さに、サァッと血の気が引いていく。


「何してんの?」
「こ、は…さま」
「まだ朝じゃないよ。何処行くの」
「お、お手洗い…に…?」
「……ふぅ〜ん」


肘をついたまま、脇腹に差し込んでいた手を抜き、乱れた私の髪を撫で梳かす。
掻くように髪を梳く指の間から、藤色の髪の毛がスルスルとすり抜けていく。

「お前、髪の毛のケアちゃんとしないで寝たでしょ?」
「え、はい」
「こういうのは、毎日のお手入れが大事っていったじゃん。お前の侍女たちのも悪くないけど、それだけだと気を抜いた瞬間に一気に悪くなったりするんだからね」
「はい…」
「取り敢えず、お前が寝りこけてる内にやっておいたから、次はちゃんとしてよね〜。
……それにしてもお前、一回寝ると何してもなかなか起きないよね〜」


髪が指から抜けていく感触を楽しんでいるのか、髪を梳く手を止めずに言葉を綴る紅覇様。
だんだん艶めかしさを秘めた手つきになってきていることに恥ずかしさを覚え、つい視線を反らして何も無い天井へ向ける。
そんなこっちの反応を楽しむようにクスッと笑ってゆっくりと上半身を起こし、顔を覗き込むように見下ろしてくる。


夜着が乱れて形の綺麗な鎖骨と色づいた胸先が大胆に晒され、麗人の半裸を前に内心焦ってアワアワと両手を彷徨わせた。

玄人のような余裕綽々の微笑みで此方の首元に指を這わせ、体の中心をなぞるように服の上から指で辿っていく紅覇様。


「色々な所を触って悪戯したんだけれど、あまりにも反応がないから、眠ってる内に仕込んじゃおうかと思っちゃったくらいだよ。
起きてるときの反応が見たかったから、止めたけどね」


胸元を過ぎた指先が、悪戯に曲線を描きながらヘソの辺りを逡巡する。


「お前は、夜分遅くに男の部屋を訪ねてくるって意味を正しく理解してないよね。
どうする?ねぇ。気がついたら、此所に僕の子が宿ってたら」


するっと指先が下腹部に辿り着くと、大きな手のひらでそっと撫でられた。
慈しむように触れられ、腹の底が熱くなるような錯覚にビクッと肩が震える。


その優しい手つきに、この方の奥底にある虚無を見たような気がした。

「…それでも、お前は要らないって云うの?」


(また、その顔…)


今にも泣き出しそうな、悲しさと苦しさを織り交ぜた表情で諦めて疲れ切ったように微笑む紅覇様を前に、その空気を壊す為にガバッと体を起こす。
驚いている紅覇様を尻目に、私の体に置いていた手を掴んで布団に押しつけて身を乗り出す。


「ッその事で、お話しにきました!」
「……話って?」
「しこりを、残したくないのです!紅覇様が無事に戦に向かって、安心して帰って来られるようにしたい。私は、貴方の妻です。貴方の身が欠く事無く、武勲を上げて帰ってくること待っていたい。こんな想いのまま、貴方を送り出したくはないんです!」
「……」


掴んでいた紅覇様の腕を放し、その場に膝頭を揃えて座ると両手をギュッと握りしめる。


「紅覇様、申し訳ございません。私、貴方をすごく傷つけてしまいました。
貴方はこんな私との未来まで考えて、ずっと気を遣って接して下さっていたのに。
無神経でした。お許し頂けますか…?」
「……別に、いいよ」
「ありがとうございます。それで私、ずっと考えていたんです。そ、の……」


カッと恥ずかしさで頬が熱くなっていくのを感じながら、握りしめた両の手を胸元に当てて希うように紅覇様と向き合う。


「帰って来たら、御子についてもう少し、貴方としっかり話をしたいです。
私も、紅覇様に訊いて欲しい想いや伝えたい事があります。魔導士差別がある我が国での事や、私自身の事も含めて。決して、貴方の御子が要らないとかそういうことじゃないんです!むしろ、欲しいくらいで。貴方の御子は絶対可愛らしいですし、目に入れても痛くないくらいだと……って、何言ってるのもうっ!」
「…天音」
「とにかく、ゆっくり話し合いたいんです。そこから、貴方と一緒に、考えたいんです。
これから先の事を。だから、無事に帰ってきてください」


今、私が一番に考えている想いを吐露して紅覇様の目を見つめる。
下手な言い訳もあまりしたくないし、これ以上この大切な人を苦しめたくない。

正直、嫁いできてから初めて、この方と夫婦になるということを現実の事として考えたかもしれない。


でも、今すぐお互いに納得のいく応えが考えつくわけもないし、そうするには私はまだまだ練紅覇という一人の男性を知らない気がした。

もっと、この方を知りたい。
そして、いつかこの方と対等の立場に立ちたいし、頼りにされるような人間になりたい。

その為に、ただの問題の先送りだとは分かっていても、それでも、今だけはどうしても一度気持ちの整理をつけたかった。


私にとってはたった一人しかいない、かけがえのない王を無事に送り出す為に。



「……思いっきり、しこりが残ったんだけれどぉ〜」
「も、申し訳ございませんっ!あの、やっぱり、訊かなかったことに…!」
「やーだ、何言ってんの。僕こそ意地になって、酷い事言ってごめんね。
……許してくれる?」
「許さないわけがないです。わたし、貴方が大好きなんですから」
「あはは、そっか!」

横たわっていた寝台から身を起こされると、「おいで」と軽く両手を広げ待つ紅覇様。
その腕の中に迷わず飛び込み、擦り合わせるように額同士を合わせてぎゅうっと熱い抱擁を交わす。
まるで数年ぶりのような懐かしさに胸が震え、目元まで熱くなってくる。


「帰って来たら、いっぱい話そう?話したいことがたっくさんあるんだよね。この国の事や、僕自身の事も。
この先の事も、一緒に悩んでよ。お前は、僕の大切な家族なんだから」
「はい……は、いっ」
「はは、泣き虫〜」

抱擁を解き、ぽろぽろと頬を滑り落ちる雫を親指で拭われる。
歪みそうになる顔で一生懸命笑みを作り、頬を包んでいる紅覇様の右手に手を重ね、頬をすり寄せる。


「私の涙を拭ってくださるのも、紅覇様ですから」

「……―――」

「大好きです。私の、紅覇様…」





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