出撃 02 不意にちゅっと額に軽く口づけられた。 「あの?」と戸惑って固まっている間に、唇で眦にも触れてきて目を瞬かせる。親猫が子猫に対して行うグルーミングのようだ。 頬や耳にも唇で触れられるのがくすぐったくって笑みを零すと、じっと伺うように此方を見つめてくる紅覇様と目が合う。 ……クスッ 何処か色気を纏った笑みで微笑むと、ずいっと鼻が触れあいそうなくらいに顔を近づけてきて再び見つめ合う。 鈍い私でも意図を理解してギュッと瞼を強く閉じた時、触れるだけの口づけが唇に落とされた。 数秒とも言えないくらいに軽く触れ合って離れていく。 すると恥ずかしさでじわじわと頬が熱くなり、顔を両手で覆って紅覇様のご尊顔から逃げるように反らす。 (……なんか、恥ずかしい) ぼぼぼっと時間が経つにつれ、火照るように熱を持つ頬を冷ますように手で扇ぐ。 紅覇様からの口づけなんて初めてじゃないのに。 迷宮での口づけは、私が過呼吸を直すためのショック療法。応急処置代わり。 …初めてじゃないのだから、こんな風に取り乱すなんて少し恥ずかしい。 「どうしたの〜?嫌だった?」 「……初めてじゃないのに、なんだか恥ずかしくて。迷宮の中で、過呼吸になってた所を助けて頂いたこともあるのに」 「あー……あの時のことは、ノーカウントにしておいて」 「??はい…分かりました」 愛おしむような、優しい手つきで頭を撫でられるのが嬉しくて笑っていると、いつの間にか部屋の中には夜明けの光りが細く差し込んでいた。 窓から斜めに部屋に差し込んでくる朝日と、その光りを背に受けてキラキラと輝いている紅覇様の薄紅色の髪。 初めて見たときからずっと、綺麗な人だと思ってた。 こんなに素敵な人の伴侶にして貰えた私は、なんて幸せなのだろう。 満足そうに微笑んだ紅覇様の周りで、朝日を映したような薄紅に染まったルフが舞い上がる。 薄紅色のルフが私たちの周りを慕うように飛び回る中、自分から紅覇様に抱きついてぎゅっと背にしがみつく。 「そろそろ、ですね」 「うん。行ってくるね」 「行ってらっしゃいませ……旦那様」 パチッと私の傍で静電気のように小さく鳴ったボルグの音に反応し、薄紅色のルフが逃げるように飛び去っていった。 煌帝国の首都洛昌、禁城。 城前の広場に収まりきれぬ程の兵が整然と隊を成している光景は、それだけでも圧倒されてつい生唾を飲む。 『先帝、白徳大帝の築かれた天華の民の平安の為―――』 音魔法で大幅に拡張された紅炎様の声に、耳がビリビリする。禁城内の政務室の一角の窓から隠れるようにその光景を眺め、ヒリヒリする耳を撫でながら小さくため息を漏らす。 「どうしました、天音殿」 「…紅明様。煌にはこんなに多くの兵が居るのだと思いまして…圧倒されてしまいました」 「あれはまだまだほんの一部ですよ。一応、首都防衛の為にも人員は割かなければいけませんから。それに、各州や公道近くにも煌の駐屯地がそれぞれ存在していますので、そこの兵達まで合わせるとこの倍にはなるかと」 「……煌って本当に帝国なのですね」 「そうですよ。貴女も、今はその侵略国の一員です」 『煌』とでかでかと描かれた絨毯の上で仁王立ちをしながら兵士へ声をかけられているのは、紅炎様。 いつものように感情に乏しい紅炎様が、厳しい表情で兵士達を見据えながら、呼びかけている姿に、身が引き締まるような感覚がする。 その中、一生懸命紅覇様のお姿を探す。 この隊が出発してしまえば、もうしばらくは紅覇様の姿を見ることは叶わない。 身を隠しながらも窓際にかじりつき、薄紅色の髪を探した。 そんな私に首を傾げながら傍に来た紅明様も、「どうしました?」と問いつつ中腰になる。 「紅覇様、どの辺りにいらっしゃるかな…と」 「紅覇?……紅覇なら先鋒隊になるので、手前の列の一番前に居るはずですが」 「手前…!あ、居ました居ました!ありがとうございます、紅明様」 「……」 案外この政務室のすぐ下辺りに居たおかげで、辛うじて表情も分かる位には見える。 両腕を背に回し、厳しい表情で紅炎様の言葉に耳を傾けている紅覇様の凜々しい姿についつい見惚れ、ニヤついてしまった口元を押さえた。 窓枠に両手を乗せ、緩みそうになる口元をなんとか引き締めながら眺めていると、ふと紅炎様を見上げて居た紅覇様が此方に気づいたように視線を向ける。 そして、紅明様と共に盗み見ている事に一瞬だけ苦笑いを漏らすと、ニコッと笑いかけてくださる。 その微笑みに耐えきれず、窓枠に額をゴンッと打ち付けて口元を両手で覆う。 「は、ああぁ……すき」 「何やってるんですか…」 「すみません、つい」 「もう良いでしょう。兄王様達の邪魔をしてはいけませんよ」 「はい…」 ツイっと窓から離れていく紅明様の後を追って立ち上がり、名残惜しくて最後に後ろを振り返る。 『そして身罷られた大帝の意志を継ぎ、仇敵の首を、我等で今一度討ち取るのだ!』 ”煌帝国万歳!!我等に勝利を!!” そこら中から雄叫びのように湧き上がる声の中、ゆっくりと鞘から剣を引き出した紅炎様が西の方へ剣を向けて声を上げれば、兵士達が一丸となって一斉に動き出す。 先鋒隊を率いて馬の鞍に足をかけた紅覇様の姿を最期に、紅明様の背中を追って政務室の奥へと足を向けた。 政務室の扉側にで待っていた紅明様と紅明様の従者の忠雲様の傍に立つと、黒い扇で口元を覆うように持った紅明様が私を観察するようにじっと見下ろす。 「……貴女は、本当に紫劉殿に似ていませんね」 「え?」 「彼は、基本的に外面が良くて人当たりがいい男です。相手の機微を見逃しませんし、相手の反応も考えて行動しますし、目的の為ならばとことん冷徹になれる男です。 でも……貴女は、基本的に感情で動きすぎる。あまり軽率な行動をしていると馬鹿に見えるからお止めなさい」 「はい。……申し訳ありません」 淡々とした声でされるダメ出しを前に、視線を下げて小さく項垂れる。 怒るわけでも呆れてるわけでもなく、真顔で率直に言われる言葉がグサグサと刺さってすっかり意気消沈して肩を落とす。 そんな私を眺めていた紅明様が、チラリと部下の忠雲殿へ視線を向けると小さくため息をつくように声を漏らした。 「ですが……紅覇の元に置くなら、貴女くらい抜けているのがちょうどいいのかも知れませんね」 戻る ×
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