異端皇子と花嫁 | ナノ
迷宮 01 


「天音ちゃん!」

ひんやりとした所に体が浸かっていた。
井戸の底の水のような冷たさが足の先から上って来て、ぶるりと体を震わせた時、体を揺さぶられながら名前を呼ばれている事に気付いて意識が急速に浮上する。

「っ、あ…れ」
「!天音ちゃんっ!良かった…目を覚ましたのね!」
「紅玉、お姉さま…?」


心配そうにこちらを覗き込んでいる紅玉様。そのわきには、従者達もいて、皆私の事を見ると安心したかのようにホッと息をついて表情を緩めた。

「ご無事のようですね」
「ここは?」
「どうやら、私たちは迷宮に入ってしまったみたいなの。見て」

着物が水を吸ったせいで重たくなっている体をズルズルと引きずりながら起き上がると、目の前には水中洞窟の入り江のような場所が広がっており、水中に八芒星が青い光を発しながらボウッと浮かび上がっていた。

ハッとして周りの人たちを見回してそれぞれの顔を確認すると、「皆様、無事だったんですね」と安堵で深いため息が漏れた。


「ええ。夏黄文たちは随分前に着いていたみたいだけど、わたくしはさっき着いたばかりよ。天音ちゃんも巻き込まれたんじゃないかと思って待ってたの!」
「ありがとう、ございます」
「ううん、それより……巻き込んでごめんなさい。紅覇お兄様に怒られてしまうわね」


「どうして危ないことばっかりするの!」と腕を組んで激昂する紅覇様の姿を想像して二人で苦い顔をすると、辺りを見渡した。

入り江の反対側には暗い洞窟の入り口がぽっかりと口を広げており、心なしか冷気が吹いてくるようだ。
早くおいで、と誘われているかのような感覚を皆感じて顔を見合わせた。


そんな中で軍扇を持っている従者の方が恐る恐ると言ったように口を開く。


「姫、どう致しますか?紅覇様が救出に来られる可能性にかけてもう少しお待ちしますか?」
「……いいえ、先に進むわ。一緒に渦に巻き込まれた数人でさえ、随分と時間差があるもの。かの有名なシンドバッド王の冒険書にも、初めて迷宮を攻略して戻ったら地上は二月も時間が経っていたと書いてあったらしいわ。
下手をするとお兄様が到着する頃には私たちは餓死してしまうかもしれない。体力がある内に進みましょう。途中リタイアは、死以外なくってよ」


ごくりと恐怖を飲み下して立ち上がった紅玉お姉様は、凛として美しかった。


「では、参りましょう。天音様も」
「はい」


濡れた着物に足を取られないように立ち上がり、無意識にしっかり杖を握りしめていた事に感謝をしながら魔法で水気を払う。

暗い洞窟に入る前に魔法で光の玉を幾つか作り出し、宙に飛ばして明かりにして進んでいく。
水を十分に含んだ湿った空気で満たされている洞窟の天井には、沁みだした水が水滴として滴り落ちては艶やかな岩面を滑った。


ぴちゃんっ

「気を付けないと滑ってしまいそうねぇ」
「紅玉姫、お気をつけて」
「ひ、わっ!!」

そんな会話がされていた真後ろでズベシャッと盛大に転んでしまい、皆が笑いながらも手を貸してくれる。転んだおかげなのか、少しだけ皆の緊張が解れ、落ち着いた様子でゆっくりと進んでいき、視線の先に見えた青い光に向かって足取りが軽くなる。


「わぁ……」
「綺麗ですね」


目の前には灯りが無くても青くキラキラと輝く川が縦に幾つか流れており、そのいくつかの川が合流している先に小さな池と半分ほど水に埋まった両開きの扉が鎮座していた。

二人の兵士が足を踏み入れて危険がないかどうかを確認してから扉を開けようとするも、やはりかなりの水圧がかかっているせいか、びくともしない。


「やっぱりだめかしらぁ」
「別の道はないのでありますか?」
「夏黄文さん、此処まで一本道でしたよ?」
「それは分かっているであります!」
「あ…、待ってください。扉に何か文字が……」


古めかしい扉を擦った後、「トラン語です!」と声を上げた兵士。


「紅玉姫、トラン語ですよ!練習の成果を!」
「わたくしが苦手なの、よーく分かっているでしょう!?誤訳したらどうするのよぉ!」
「ですが、この場でトラン語を読める人間が…!」
「……紅玉お姉様、私で宜しければ訳しましょうか」
「「え!?」」


そう意気込んで池の中に足を突っ込んでザブザブと入って行こうとすると、「ストーープ!」と皆に止められて歩みが止まる。


「池ではありますが、そのままだとまた滑る可能性もあるであります!」
「そうよ!それに、せっかくの着物が濡れちゃうわぁ!」
「そうですよ、元々身長が……―――あ」


兵士の一人が「不味い」というように青ざめるものだから、皆の言いたい事がすぐに分かった。
小さい池と言えど、それなりの深さはある。
屈強な兵士の方々は身長もそれなりにあるから何ともないだろうが、私が普通に入っていけば、多分顎くらいまで水に浸かる自信がある。


小さいのは仕方ないもの!
身長が伸びてくれなかったのだから…!


そう言えば、此処にいる皆は身長が高い方ばかりだ。
……成程、それで少し首が痛いのね。


「じゃあ、近くまで近づいて読みたいので、抱えて頂いても良いですか?」
「すみません。畏まりました」

着物をあまり濡らさないように体に巻き付け、身長の高い兵士に抱えて貰って扉に近付くと彫ってあるトラン語に視線を滑らせる。


「『水の王。土の民へ恵みを与えよ』……んー?」
「姫、扉の脇にレバーのようなモノが幾つか!」
「でかしたであります!」

ザブザブ、と池に入って来られた従者の方が水嵩スレスレの所に隠れるようにしてあったレバーの一つに手をかけると、躊躇いなくグッと下へと下ろされる

それぞれのレバーの上には小さく数字があり、レバーが下ろされた瞬間カシャンっと全てのレバーの数字が変わったのが見えた。
その直後、じわじわと池の水が引いて行く。


「おおおお!!この調子で、レバーを引けば大丈夫でありますな!」

そして、また他のレバーをおろした瞬間またカシャンっと音がして全てのレバーの数字が変わったのち、先程よりも多くの水が池の中になだれ込んできて、兵士に抱えられた私も結局水を被った。
池の傍にいたお姉様も水を被ったらしい。


「夏黄文〜〜っ」
「申し訳ありません、姫!!」

慌ててレバーを戻されると、数字も変わると同時に初めの水嵩に戻った。
レバーの位置、数字の事を考えてからハッとして後ろを振り返って川を見つめる




「成程、そういうこと…」


初めの数字からレバーが動いた後の数字、レバーの数と水嵩等を瞬時に暗算で計算式を組み上げる。
いつもやっている魔法式の計算を考えると、まだ簡単な方だ。

兵士の方に一言断って池の中にざぶんっと降りると、水から必死に顔を出しながら顎まである水の中を掻き分けるようにして何とかレバーにしがみつく。

「お姉様。私が、レバーを引いてもいいでしょうか」
「でも、適当に引いても…」
「お願い致します、引かせてください。ただし、お姉様も皆さまの様に池の中に入るか何処か掴まれそうなところに掴まっていてください」
「ええ、分かったわ」


躊躇わずに池の中に入られたお姉様。
そのお姉様を庇うかのように兵士の一人と従者の方が立ったのを確認してから、レバーに向き合い、何度か深い深呼吸をする。


「……ここと、このレバーを二回引いて、端のレバーを反対側に一回」


カシャンカシャンっと音を立てながら数字が切り替わっていき、レバーを動かすごとに水が引いたり、胸の辺りまでどっと増えたりする。


「そして、この数字になったら、多分このレバーを引くと…」

カッシャンとひときわ大きな音がしたとき、ドッといくつかの川で大量に水が溢れかえり、全ての川の水が此方へとながれこんで完全に水嵩が私の身長を超えてあふれ出す。

視界が青く光る水で満たされた間も、片手では絶対にレバーを放さずにきつく握りしめた。


(これで最後)


ぐぐっと水の抵抗のせいで上手く下がらないレバーに苦戦し、自分の筋力の無さを恨んでいるとレバーを持っている手をそっと誰かの手が包んで下へとグッと下ろす。

ザーッと一気に水が引いて行き、軽く咳き込みながら荒く息をついて後ろを振り返ると紅玉お姉様が心配そうに私の背中を撫でていた。


「お姉さま」
「天音ちゃんっ!大丈夫?」
「はい……ふふ、ありがとうございます」
「そうやって笑って誤魔化しちゃうんだから…!あまり無茶しちゃだめよ!」

池の中の水がほとんど引いていき、川の水も減っていき扉はあっさりと開いた。

「じゃあ、奥に進むわよお!」
「はい!」

扉の奥へ進もうと、レバーから手を放した瞬間。
錆びていたのか、レバーが根元から折れて、またまたカシャンっと数字が変わる。
その瞬間、皆の顔がギョッとして固まる。



ゴゴゴゴゴゴゴ……



「ちょっとやだ…何なの…?」
「嫌な予感が…」

そうして皆で顔を合わせた瞬間、後方でダムが決壊するかのような派手な音と共にドッと水が濁流のように押し寄せてきてお姉様たちの顔が青ざめた。

他の方々が無意識にお姉さまを庇うかのように立った中、更にその前に立って杖を袖口から取り出して口元で構える


体の中のマゴイの残量を図りながら、杖を握って振り上げた。


「凍結石花(サルグ、ハジャール)」


バキバキバキッ!!

波打った水のうねりが凍て付きながら押し寄せ、天音の鼻先数センチまで伸びてくるとパキパキと音を立てて凍りついて冷気が頬に触れた。


あっという間に出来た氷の造形物を前に皆が驚嘆し、胸を撫で下ろす。
そんな中、天音だけは違う意味でため息を吐いた。


(これで、当分魔法は使えない……)


本当は奥の手で取っておきたかった魔法も、マゴイがある程度溜まるまでは使用できなくなった。
従者の方が軽やかな足取りで洞窟の奥へと足を進めようとしていた時、紅玉お姉様がその場から動かずにギュッと拳を握りしめていた。


「………わたくし、何も役に立ててない…」
「紅玉お姉様……?」
「いいえ!なんでもないわよぉ!さあ、奥に進みましょうか!」




(1/7)
[*前] | [次#]

戻る

×