愛しい人は傍に

「おかえりなさい、恭弥さん」
「……うん」


久しぶりに帰って来た雲雀をあくまでもにこやかに出迎える。

しかし、こちらの心情を全くと言って良いほど理解していない相手は一言口を開くと、さっさと自室に入って行ってしまった。

さすがの哲も困った様に苦笑し、名前はその行動に唖然としつつも、その後ろ姿を追って雲雀の自室へ滑り込む。


雲雀から脱いだスーツの上着を受け取り、ハンガーにかけると改めて口を開いた。


「今回は、随分遅かったんですね?」
「……怒ってるのかい?」
「当然でしょう」


なんと、仕事と称した任務に出てからというもの、帰還が延びに延びて三ヶ月ぶりに顔を合わせたのだ。


それなのに、この男ときたら恋人に会った第一声が「うん」だけ。
まだまだ「ただいま」とさえ言えば怒りも少しは和らぐものを。


「恭弥さんも忙しいのは分かります。ですけど、待つ私の事も少しは考えてくださいっ」
「そう……分かったよ」


言うと同時に大きな欠伸を一つ漏らし、目を擦る雲雀。

そのような行動もどこか色気が感じられて、久しぶりにドキリとしたが、着流し姿になって早速畳みにのべてあった布団の上に寝転がった彼の口から信じられない言葉が発せられた。






「明日、朝すぐに出る事になったんだ。今度は半年以上日本には帰れないと思う………だから、」
「はぁッ!?」



意味不明な相手の言葉に唖然として思わず声を漏らした。


「何?」
眠いからだろうか、少し不機嫌な顔で見上げてくる雲雀。


「何……って、全然何も分かってないじゃないですか!」
「……?何の事」




ほら…………全然考えてない。



「もう……良いです。疲れました……」
「そう……じゃあ君も寝れば?」


毛布を被ってトロンとした目でこちらを見つめる雲雀が手を差し出していたが、名前は後ろの襖に手をかけた。


「恭弥さん、もう私無理です」


たった一人、広い地下アジトの中であなただけを待ち焦がれる日々。

付き合う前は毎日の様に向こうから会いに来て、そんな相手のひたむきさに惹かれて付き合い、誘われるように同居してみれば、途端に離れ離れの生活。

寂しくて、もう飽きられてしまったのではないかと思って悲しくて、


もう、限界だった。




「……もう、実家に戻って良いですか?」



震える声でそう言い、じっと雲雀を見下ろす。


(お願い、引き止めて……)


彼を試している様で罪悪感が湧くが、そんな風に雲雀に言われなければもうココに留まれない程に、心は追い詰められていた。



「……」
「き……恭弥、さん」
「……なら、君の好きにすれば良いよ」



枕に頭を埋めて目を閉じる彼。

そんな彼から言われた言葉が深く胸に突き刺さり、背筋を冷たい何かが撫でた。


(…もう……終わった)


カタカタと震える手を押さえて唇を噛む。


「……今まで、お世話になりました」


深く頭を下げてから言い、ふと雲雀を見るともう眠りについていた。



「……ッ」


名前は相手を起こさないように部屋から出ると、体を引きずるように廊下を進み、自分にあてがわれた部屋に入った途端、耐えていた涙を零す。



「恭弥……さん、っ」


大好きだった。だからこそ、彼に必要とされたかったのに。


「…っ…く」ボロボロと落ちてくる涙を必死に拭うと、スクッと立ち上がった。


「荷物、まとめなく、ちゃ……」


泣かないように頬を叩いて自分にカツを入れ、鞄を引っ張りだした。


家具は、置いて行こう。

家具類は全部彼が買ってくれたし、そもそも持ち運ぶ事など出来ない。


着物も洋服も、彼が買ってくれたモノは全部……





そうして自分だけのモノを鞄に詰めると、全て鞄の中に収まってしまった事に再び涙が込み上げてきた。




「……朝ごはん、作っていこうかな」


朝すぐに出ると言っていたから、きっと必要だろう。
それに今まで世話になった分、少しだけでも役に立ってからいなくなりたい。







「…恭…や、さん」

泣いた。

泣きながら作った。


彼の大好きなハンバーグを。















突然の帰還に親は驚いていたが、優しく招き入れてくれてその夜は本当に、心穏やかに眠る事が出来た。


もう、彼の事は忘れようと心に決めた。



「名前さん、僕はあなたの事が好きです。結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」


あの後、家の近くでバイトをしながら古くからの友人達と遊び回った。


そうすると、心から楽しいから驚きだ。


あのまま、ずっと地下に居たらどうなってしまっていたのだろうか、と思う。

そんな日々になってすぐ、友人に紹介されて彼に会った。


すごく真面目で優しい彼は、すぐに私に触れようとはせず、失恋したばかりのこちらをいつも気遣うように接してくれた。


端から見れば付き合っているように見えても、そうではなく、しばらくの間、仕事の合間を縫っては電話で話し、貴重な休みでさえも私が楽しめるようにと一生懸命色々考えてくれる。


……そんな献身的な彼に、心を開きつつあった私は、迷わずに首を縦に振った。











そんな彼と幸せな日々が数ヶ月続き、近々結婚式を控えたある日、ふと携帯が光る。


「………?」


見たこともない番号に首を傾げつつ、通話ボタンを押して耳に当てた。

彼の番号は、仕事用の携帯番号も全部登録していたので、彼ではないだろう。


「もしもし?」

しかし、しばらく相手が何も言わない為、気味が悪くなって通話を切ろうとした瞬間、








『……名前?』








その声を聞いた瞬間、大きく心臓が跳ねた。

緊張とで汗がふきだして、体が勝手に震え出す。


『名前……だよね?』
「き、恭弥さん……」

電話越しでも分かるその不機嫌丸出しな声に心なしかスッと体温が下がっていく気がした。


『今、どこに居るんだい?』
「わ、私は……あなたにはもう」
『どこ?』


何故、彼は今更になって連絡してきたのだろうか。

彼の地下アジトを出て行ってから、もう少しで一年経つというのに……



「答え、られません」
『……………ふぅん、そう。しばらく会わない内に随分と生意気になったみたいだね。僕の携帯番号を着信拒否にするし』
「………」



怖かった、のだ。


新しい彼と幸せである程、いつかこんな日が来るのではないかと。

"彼"が気まぐれを起こして自分を連れ戻しに来るのではないか、と。



『ねぇ、本当に答えない気?』

苛立ちが伝わってきて、名前はぐっと決意を固めた。


「……もう、私に構わないでくださいっ」


今の彼は、私の事を気遣って最後までしないでくれる。

だって、完全にこの人の事を忘れなければ最中に二人を重ねてしまいそうだったから。



雲雀に抱かれた日々を思い出して、小さく身震いをする名前。

それは、純粋な恐怖を感じたからだ。



『意味が分からない。ちゃんと説明して』
「私……私、今度結婚するんです……」
『………は?何、ソレ』


相手の動揺が伺えて思わず笑みを漏らした。

結婚なんて、相手の中にはなかったのだろう。


実際、長く一緒にいてもそんな話は一切出なかったし、彼も帰った時に家事をやってくれて、欲望を処理してくれる相手が居れば良いんじゃないか。




『何勝手に決めてるの』
「いちいち、あなたに許可がいるんですか?これは私と彼と多くの人達と話し合って決めた事です。あなたに関係ありません、二度と私に関わらないでください」
『そんなの僕が』



相手の言葉を遮って通話を切ると、深く息を吸い込んだ。
そして、再び去来してきた感情に涙を流す。
「大丈夫……私はもう独りじゃないんだから…」

今、とても大事な人の携帯番号を見つめ、そして通話ボタンを押した。

























雲雀side


ツーツー、と耳元で無機質な音がして思わず借りていた草壁の携帯を壁に投げつけた。


(結婚とか……何を言ってるの)



いったい、いつからそんな相手が出来たのだろうか。

と、ぐるぐると色々な感情が巡る。

確かに、今回はすごく長くなってしまった。


だから本当は彼女も連れて行くつもりだったのだ。

でも、「実家に帰りたい」と言った彼女を止めなかった。
それはあくまでも相手の意見を尊重したまでだ。


それに、実家に戻っていた方が安全だし、何より名前が寂しくならないだろうから。

……あの日の朝だって、僕の好きな食べ物を作ってくれた名前を抱いてから行きたかった。



「……恭さん」

壁に投げつけられて欠けた携帯を拾い集めながらこちらを見上げる草壁。


「哲、今すぐ風紀財団の幹部達を緊急召集しろ」
「……あの何故」
「決まってるだろ。名前を連れ戻すんだ」



絶対、認めない。


君は僕のモノだ。







「……ごめんなさい、急にこんな事言って」
「気にしなくて良いから。むしろ、僕は嬉しいし」


明日、結婚式だ。

雲雀から電話が来てから数日間、音沙汰がないのが不気味であっても、どこか安心している自分がいる。


本来は結婚してまで花嫁は実家に居るのだろうが、彼に無理を言って彼の家に泊まらせて貰う事にした。


「名前さん、絶対に幸せにするよ」
「っありがとう……ございます」

思わず零れてきた涙を拭うとその腕の中に飛び込む。

(……幸せ)

名前の左手で婚約指輪がキラリと光った。













「綺麗〜」
「本当にねぇ」

父に手を引かれて彼の待つ壇上に上がる。
式の前に婚姻届を提出し、晴れて夫婦となった私達は立派な式場の中、愛を誓い合う。

純白のドレスを身に纏い、顔を覆っていたベールをどかし、唇が彼のに触れようとした。


その瞬間、



「僕の名前に触れないでくれるかい?」


名前が目を見開いて声のした方を向くと、そこにはスーツを着込んだ懐かしい元恋人の姿があった。


「恭、弥さん……」
「僕がこんな事許すと思ってるの?」


貫くような鋭い視線で名前をまっすぐ見たまま、入口辺りからゆっくりと歩み寄ってくる雲雀。

「……帰るよ」

差し出してきた手から逃げるように旦那の背に逃れる。



「あの、名前さんは僕の大事な妻です。あなたにどうこう言われる権利はありません」
「……っ…」

力強く言い放たれた言葉に胸がいっぱいになるが、それでもどこか雲雀への罪悪感に似た感情が拭えない。


「わ、私……も、恭弥さんが許さなくても、この人と結婚するって決め」


言いかけた瞬間、彼の手の中から紫色の光が飛び出した。

まっすぐにこちらへ向かってくる彼の匣兵器のハリネズミ。


「うわぁあっ」
「え……」

突然、彼にハリネズミの方に突き飛ばされ、その行動に目を疑った。

軽くよろけるも、ハリネズミは私にぶつかる目前で止まり、「キュウ」と可愛らしく鳴く。


そうこうしている内に、リーゼントにスーツを着た集団がズカズカと入って来て、招待客の恐怖心を煽る。


呆然としていると体をフワリと優しく抱きしめられ、人の温もりが伝わった。


「じゃあ、彼女は返して貰うからね」
「わッ」



お姫様抱っこで式場から連れ出され、周りの人達も言葉をなくして呆然としてしまっていた。


勿論名前自身も雲雀の堂々とした態度に唖然としてしまい、押し込まれた黒塗りの車が勢いよく発進してしばらくしてから我に返る。


「な、なんて事するんですかぁッ!!!!」
「君も勝手に何してるの」
「私はきちんと恭弥さんに」
「実家に戻る事は許可しても、他の男のモノになるのを許可した覚えはない」



左手を捕まれると銀色の指輪を抜き取られ、無造作に放り投げられる。


「ちょ、何するんですか!!返してくださいッ!!!」
「煩い。もう諦めなよ」


乱暴に口づけられ、体が自然と震え出す。

固く閉ざしていた唇も、手慣れた愛撫に呆気なく音をあげて彼の舌の侵入を許してしまい、好き勝手に口内を荒らされ、やっと放された時にはもうすっかり出来上がってしまっていた。



「……どうして」
「?」

ぐったりと後部座席に横たわり、ぼうっと彼を見つめる。


「どうして、追い掛けて来たんですか?」
「………決まってるじゃない」



不敵な笑みを浮かべたままゆっくりと覆いかぶさってくると、耳を甘噛みしながら小さく囁く。



………君を、愛してるからだよ。



口づけられながら左手薬指に付けられた指輪は、先程の指輪とは違う光を放ってしっかりと薬指にはめられてしまった。





2010.06.20


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