ライン

心臓が動く



たまたま、

たまたま帰るのが遅くなって、たまたま二組の教室の扉が空いていて、それとなく中を見たら知ってる相手がいた。
そしてたまたま、彼以外の人間がいないから気紛れに話しかけようかなと思った。

それだけのつもりだった。


「…帰らないの?」

窓の外を見ていた彼は、多分こちらの気配に気づいていたんだろう。前触れない呼び掛けに驚きもせず視線だけ向けてきた。
それすら絵になるのはなぜだろう。

城ヶ根は自他共に認める美形だ。

少し癖のついた髪は長くてうなじで一纏めにしてある。
鼻は高く、つり目気味な瞳は常時穏やかだが整った眉がキリッとした印象にまとめている。
それでいて親しみやすい性格だから彼のファンは多い。
そんな愛された人間が熱心に窓の外を見つめていた。
オレが立ってる位置から校庭は見えないけど、彼が何を見ていたのか想像はつく。

「また見守ってたの?」
「うん、そう」

女子がこの場にいたら黄色い声が上がっていたことだろう。
賑やかで明るい普段には見せない柔かい笑顔だった。つり目がふにゃりと垂れ、幸せそうな何かが溢れている。
それらを総まとめにして『ただのイケメンか』という感想をオレは抱く。
あと、異常性。

「…もしかして、毎日いるわけ?」
「いんや、今日は遅くなったから偶然。いつもこんなことしてたらストーカーじゃん」

「いや、既にストーカーだろ」
という言葉はそっと胸に仕舞った。
城ヶ根が“彼”にご執心なのはパートナーになる前からずっとだし、何を言っても仕方ない。


「そういう善徳くんはどうしたの」

窓の方へ向けたままだった体をこちらへ直して問われる。
その表情にはもう先ほど見せていた幸せそうな何かはない。いつも皆と共にいる時の城ヶ根だ。

「…宿題を片付けてたら遅くなった。それだけ」
「ああ、学校で終わらせる派だもんなぁ。珍しい」
「そんなこともないと思うけど…それに家だと集中できないし…」
「ふうん」

そこで会話が途切れた。
城ヶ根の良いところはこの察しの良さだろう。
つい溢してしまった“踏み込まれたくない場所”に決して深く突っ込まない。
観察力に優れてるんだろう。
だから万人に好かれるのだとぼんやり思う。


「そうだ善徳くん。折角だし一緒に帰ろうか。たまにはパートナー水入らずも悪くないだろ」
「…別に断る理由もないけど」
「おし、決まり。行こうか」

ニコニコと人懐こい笑みを浮かべる美形に若干気圧されつつ、共に教室を出る。
静まった廊下からは他の気配を感じない。
遠くから部活動だろう物音は聞こえるが、少なくとも一年の教室に残っている生徒はいないだろう。

「そういえば善徳くんとこうやって歩くのは久しぶりだなぁ」

思ったことをそのまま口に出して城ヶ根がにこやかに話しかけてくる。
話すのは好きじゃないがこうも笑顔でこられると邪険にしづらく、オレも口を開く。

「そりゃそうでしょ…オレみたいなのと歩いてたら変な話題のネタになるし…」
「それはないだろ。だってパートナーなんだから」

当然といった顔の城ヶ根に思わず眉間に力が入る。

「…いまでも不思議だし聞いたこともなかったけどさ…」
「ん?」

「なんでオレをパートナーに誘ったわけ?」

片やクラスの人気者、片や教室の隅で人に忘れられた外れ者。
ずっと疑問ではあった。
ただ断る理由がないから形だけ了承してパートナーにはなった。
だから親密になりたいとか、一緒に行動する必要はないものと思っていたのに、相手は違う。
まるで友達にするような態度がオレには不思議でしょうがない。

「話を持ってきたのはそっちだし…ただ余っていたからにしては随分馴れ馴れしいというか…仲良くするメリットもないし」
「わぁ…なんとも取りようによっては傷つくこと言うな」
「…事実だし」
「そうだな。確かに形だけの間柄なら今この時間は必要ない。
でも俺は善徳くんと一緒でもいいと思ったから誘ったんだぜ」

にっこりと笑みを深めて城ヶ根が言う。
得体が知れなくて、少しだけ目を逸らした。
笑顔を向けられるのは、やっぱり苦手だ。

「俺が君に声をかけた理由、知りたい?」

逃がさないとでも言うように逸らした先に回り込まれる。
伺うような視線は居心地が悪く、また眉間に力が入った。
脅迫されている気分だ。
しかし、元はと言えば自分で言い出したことであるし仕方なく相手に分かるよう大きく頷く。
了承したらしい城ヶ根は少しだけ身を引くと、表情を変えずに口を開いた。


「放っておけなかったから」


ただ一言。その一言に喉から自然と「へ?」と声が漏れた。

「善徳くんがクラスに馴染めてないとか、周りから変に思われてるとかは関係なく、ただ一人でいた君が放っておけなかったから声をかけた。それだけだよ」

唖然と彼を見た。
いつも通りの穏やかな顔で、下手すれば穏やかでなくなる言葉を発して、彼は笑っている。
城ヶ根は言葉を続ける。

「俺は何も知らない。
どうして君がクラスに馴染もうとしないのか、
どうして周りから変に見られてるのか、
どうして一人でいようとするのか、
知らないけど、ただ君が一人でいるのを見て、声をかけた。
そうだな…多分、君を誰かと重ねたのかも」

「誰かと?」

つまり代用品みたいなものか。
そう考えるやいなや、素早く城ヶ根の人差し指が額に突き刺さる。

「おい。何かネガティブなこと考えてないか?落胆したって顔に書いてあるぞ」
「…そんなことあるわけない」
「気づいてないなら教えてやるけど、善徳くんは思ったことが顔が出やすいぞ。何を考えてるか直ぐ分かる」
「…そんなこと」

ないと言いたかったけどやめた。
城ヶ根と言い合いをしても自分が勝てる気はしない。
十中八九言いくるめられる未来が想像できた。


「…で、アンタはオレに話しかけてきたってわけ…まあよくデリケートな部分をずけずけと言えたもんだ」
「回りくどく言った方が君は怒るだろ。それに言うほど気にしてるようには見えないし」
「…まあね。もうずっとこんなもんだから」

とは言ったものの今の日々はかなり楽だ。
中学の時みたいな露骨な嫌がらせ、罵倒や陰口も少ない。ほとんどが触らぬ神に祟りなしといった様子で遠巻きにするだけ。
無理矢理引き回されるよりは、いないものとされた方が負担がない。

「でもたまに寂しそうだ。そこも、誰かに似てる」
「…その誰かがオレの予想通りなら似ても似つかない気がするけど」
「いや、似てるよ。だから俺は善徳くんとパートナーになった。前みたいなへまはせずに誰かの支えになるためにね」

歯痒い台詞に思わず笑いを堪えた。
分かっているだろうに城ヶ根は笑顔を崩さない。
それが余計に可笑しかった。

「なんだ、結局自己満足の為なんだな」
「そりゃそうだろ。人なんてみんな自分勝手で、誰よりも何よりも自分の為に動く生き物なんだから」
「…だろうね」

肯定しておいて胸が苦しくなる。
つい苦しい箇所に手を当てようとして、やめた。

「…それで?少しは満たされた?」
「それがなかなか。こうやって話してはくれるけど、肝心なところは隠すから踏み込みあぐねてるんだよね。
無理矢理暴かれたくはないだろ?」
「いい性格してるね」
「何でもかんでもってわけじゃないぜ?
隠したいならいつまでも隠してくれていい。きっと他に仲良くなれる方法はあるだろうし」
「どうだか…」

城ヶ根はそう言うが、知りたいという姿勢のままこちらの言葉を待っている。
案外質が悪い。粘着質だとは思ったが自身に向けられるとなんとまどろっこしいことか。

「…そうまでして知りたいわけ?」
「そうだね。きっと君を心から支えるには必要不可欠だから」
「そう…じゃあアンタが質問に答えてくれたら少しは教えてやらないこともないよ」
「いいね。何でも聞いてくれよ」



「男が好きなの?」


「うん」

簡潔な答えだった。

自分なりに厭らしいと思ったのに、彼はあっさりと答えてしまった。
明日から誰かの攻撃の的になるかもしれない、そんな恐れのある質問だったのに。

「意外だった?」

変わらぬ様子で城ヶ根はまたニコリと笑う。
怖くないのだろうか。
今この瞬間が、彼は怖くないのだろうか。
それほどまでに違うから彼は笑えるのだろうか。
底知れない恐怖がじりじりと体を満たしていく。

「善徳くん汗がすごいぞ。そんなに驚きだったかい」
「え…い、や……」
「隠さなくていいよ。俺はただ気づかれてる君なら隠す必要がないから答えただけ。ほとんど確信してたんだろう?俺が同性愛者だって」

その笑顔を見ていられなくて俯く。体が勝手に震えた。
胸を押さえて、活発に動く心臓を意識する。
それでも気持ちは落ち着かない。
どうして。

「人と違うことを認めるのは、怖いな」

息が止まる。
それでも心臓は動く。より一層激しさを増して。

「だけどどうしようもならない。俺を変えられるのは俺自身だけど、変えられないのも俺自身だ。その為に苦しんだって全部俺の責任。
だからって閉じ籠っていても生きていけない。一人で生きるなんておおよそ不可能、人間はそういう生き物なんだから。そして、隠し続けたらいつかは息が詰まってしまう。
俺はね、ちょっと前まで自分に嘘をついて生きてたんだよ」

胸を押さえる手に違う手が添えられる。少し冷たいその手が城ヶ根のものだと理解するのに少しだけ時間がかかった。

「あの頃の俺は、笑えなかった。
何でか毎日息苦しくて苛々して…すごく虚しかった。
でも自分自身を肯定したら、不思議と気持ちが楽になれた。その為に数人ぐらい…顔合わせができない相手が出来たけど、多分あのままじゃあ今みたいに笑えないまま生きていたと思う。
俺はさ、君の理解者になりたいわけじゃない。君の気持ちが分からないかもしれない。
でも、心の鬱憤の捌け口にはなれるよ。溜まったものを吐き出す都合の良い相手に。どうだい?」

一通り話し終わった城ヶ根が顔を覗き込んでくる。
その顔には人を馬鹿にしようとか、憐れんでるとかいう感情は浮かんでない。ただ穏やかに微笑んでいる。

「どうして…」

何でそんな優しさをくれようとするのか。
どうして人のために自身をさらけ出せるのか。
なぜ付き合っても得のない相手を構おうとするのか。
何でこんなオレを支えてくれようとするのか不思議で不思議でしょうがない。

「う〜ん…じゃあこうしよう。善徳くんは俺の切ない片想いの相談相手になってくれ」
「ハァ?」

素っ頓狂な声が思わず出た。
顔を上げれば、城ヶ根は今にも大笑いしそうな堪えた笑み浮かべている。

「ギブアンドテイクだよ。フラれたけど俺はまだ彼への気持ちを捨てきれなくてさぁ。この胸に燻る気持ちをどうにかしたくていたんだ。
君が話を聞いてくれるだけで大分楽になれる気がするんだけど。どう?」

「……拒否権はないんだろ」

いつまでも重ねられた手を振りほどいてため息を吐いた。
そもそも答えたら教えると言ったのは自分だ。それにいつまでも諭すように話されるのも腹が立つ。
心臓の音に頼る必要はもうない。

「延々と惚気話するようならパートナー解消も辞さないからな」
「その前に止めてくれたら良いよ。むしろ止められなきゃ止まらないだろうし」
「どんだけ溜め込んでんだアンタは…はぁ…」
「まあまあ、さて、今度は君の番だ。勿論教えてくれるだろ?」

にっこりと笑って城ヶ根が歩き出す。それに合わせて歩きながら、オレは口を開いた。


「幽霊が見えるってどんな感覚だと思う?」


+++
使い慣れたベッドで見慣れた天井を見つめる。

「なあ、まんまと自分のことを話しちゃったよ」

シンと静まった部屋に己の声だけが響く。
応える相手はいない。

「最初から変わってるとは思ったんだ。オレに興味をもって話しかけるやつなんてお前以外いないと思ってたから」

凪いだ気持ちで右手を胸に当てた。

「案外悪くないよ。なんて言ったらお前は怒るかな、新」

今日も心臓は動いてる。



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