ライン

冷厳の刃



帝の足元に転がれど、その刃は錆びない。



人の世界で言えば一月。
たった614時間のことだというのに、魔力に満ちたあの風景が遠い昔のものに思えるのはなぜなのだろう。
ラースは重く感じる体を横たえ、空を見上げていた。
煌々と輝く天(そら)の太陽は眩しく、輝きに満たされた大気は澄みきっている。
いや、清み過ぎている。

すぅと吸った空気からは僅かな魔力すら感じない。
満たされない体にイライラが募る。

「何で…何でこのオレがこんな扱いを受けなきゃならねぇんだよー!」

不満を吐き出すように地面に八つ当たりをする。
いくら殴っても、蹴っても大地は少しへこむばかり。
それが余計に苛立たしくて、力を込めた拳をひとつ地面に沈ませた。


本当なら、こんな柔らかい土なんて一瞬で何メートルもへこませられる。
それが出来ないのは全てあの人間のせいだ。


ディミルダ・トゥリス。

人の身に豊潤すぎる魔力を蓄え、そして巧みに行使する魔法使い。
彼によって地上に喚び出されたのがそもそも不幸の始まりだ。
本来、契約とは双方の同意あって成されるもの。それを奴は一方的に結びあげてしまった。
しかも、こちらから契約解除をする権限を取り上げた状態で。

腹立たしい。

ラースの見た目は12、3歳程度の少年。
無論これが本当の姿ではない。ただ人間に合わせているのと、小回りのしやすさを考えて作ったらこの容姿になっただけの話。
人間と同じ尺度で数えればラースの年齢はゆうに七百を超える。
下級悪魔と呼ばれる括りの中でも屈指の力を備えた自分。
それがプライドをへし折られ、更には飯(魔力)もろくに与えられない日々。
「意地の悪い兄が弟に鍵つきの首輪を着けたようだ」とディミルダと同じ人間の娘が言っていた。


腹立たしい。実に腹立たしい。


「大体…生きるに最低限の魔力でどう技を鍛えろってんだよ…ちっとでも使えば死ぬっつぅの…」

「オイ!」

ぶつぶつと地面に溢していると、誰かがけたたましい足音で近寄ってくる気配がする。
明らかに自分に向けられた呼び掛け。しかし、無視を決め込んだ。
ダルすぎて構う気も起きない。
寝転がったまま傍らに生えた雑草が揺れるのを見ていると、不意に空気に揺らめく気配を感じる。


直感が告げるままに、地面を勢いよく蹴ってその場から離れる。一秒もしない内に、さっきまで自分が寝ていた地面が吹き飛んだ。

低い姿勢のままもうもうと立ち込める土埃の先を見ると、ディミルダに似た装いの男が手のひらを翳した姿勢で立っていた。
爆発の魔法を唱えたのは、この男だろう。

「テメェ…何しやがる!」
「お前、ディミルダ・トゥリスの使い魔だろう?」

“使い魔”の単語にカチンとするが、不本意ながらも事実ではあるので口を引き結ぶ。それを肯定ととったらしい男は苦々しげに目元を歪めた。

「お前に恨みはないが、俺や同胞のために…死ねっ!!」
「ハッ!?…ッ!!」

先程と同じ揺らぎを感じ、右方向に跳ぶ。

爆音。

男の周囲に漂う火の匂いに意識を張り巡らせれば、隠れていたのだろう熱鱗を持ったトカゲが魔力を放出しようと構えていた。
三度目の爆発を避けると、複数の炎塊がこちらに向かって飛んでくる。
舌打ちをし、体に当たりそうなものだけをはたき落とす。
チリリと手の甲に熱が走るのを感じた。

その後も爆発と炎塊による連撃が続く。どんどん悪くなる視界。
魔力と空気の流れで、徐々に建物の壁際へ追い詰められているのが分かる。
分かるが、それだけだ。
いつものように敵を押し返せるような力が今はない。

「くそったれ!!」

沸き上がってくる苛立ちを感じながら、目の前の新たな炎塊を横へ払った。





ドンドンと騒がしい音が部屋に入ってくる。
外のそう遠くない場所で誰かが爆発の魔法でも使っているのだろう。

「放っておくの?」

休憩室のソファーに腰掛けたミナが使い魔であるムエツの写す景色を見ながら問いかけてくる。
幻燈竜精霊が得意とする錯覚と遠視を組み合わせた監視の魔法。
薄い空気の膜には、ラースの姿が写り込んでいた。
内在した力と裏腹に小さなその体は泥で汚れ、両の手の甲は火傷で赤く腫れている。

「防戦一方…しかもダメージばっかり蓄積してるわね。あの炎を跳ね返すどころか、相殺する魔力もないってところかしら」
『それどころか体を動かすのも億劫そうだよ。魔力が枯渇なんてもんじゃない、空っぽ一歩手前なんじゃないかなぁ』
「そうなの?ミルミル」
「そうだな」

肯定を示せばミナは僅かに表情を険しくする。
ムエツを溺愛する彼女のことだ、使い魔へのぞんざいな扱いが許せないんだろう。

しかし、何があっても干渉はしてこない。

彼女のそんなところは非常に気に入っている。
だからこそ、俺は彼女を黙らせないし、ミナもそれが分かっていて気楽に隣で話しかけてくる。

「アイツもお前の十分の一ほど賢ければ可愛いんだがな」
「あらあら、そこはちゃんと導いてあげなきゃ。自然に身に付けるのも大事だけど、時には促してあげるのも大事よ」
「違いない」

愉快な気持ちに鼻を鳴らし、俺は休憩室の出入口へと足を向けた。
ミナは何も言わない。
ただにっこりと笑いながらこちらを見ている。
俺は何も言わず、扉の取っ手に手をかけた。




「はぁ…はぁ、はぁ…」

もつれそうな足を気にしながら何度目かの炎塊をはじく。
背後には壁が迫っていた。これ以上爆発を避けるのは難しい。
それが分かっているのか男から漂う魔力が集中し出している。ここら一帯を吹き飛ばすつもりなんだろう。
トカゲの炎塊は爆破帯からオレを逃がさないためのものに変わっており、今までより打ち出される頻度が増えてきた。

魔力のない今、例え格下相手の魔法といえど、下手すれば致命傷になりかねない。
耐えたとしても動けなくなることが目に見える。

『どうする。どうする!』

苛立ちに混じる焦り。
何か解決策をと頭を動かせば、その分おざなりになった周囲への注意により弾き損なった炎塊が右足を包む。

「あぐっっ!!」

ただでさえいっぱいいっぱいだった体の支えが崩れてその場に転ける。
辺りに立ち込めた土煙によって相手には見えていないだろうが、それでも不味い状況。

頭がぐわんぐわんと揺れる。寒くないのに震える体。真っ赤になった手からは痛みも感じない。

全身を虫が這っていくような気持ち悪さが体内で暴れている。
大地を見つめ、やり場のない衝動と向き合った。
できるはずがないのに、とても殴りたい。蹴りたい。噛みつきたい。噛み付きたい。
何かを、誰かを、相手を、奴を、誰でも、誰でもいい、誰でもいい、から、ソイツを、引きちぎってしまいたい。
この、手で。


「なら、そうすればいいじゃないか」

嘲笑うような含みのある声が頭上に響く。
顔を上げれば憎たらしい相手がこちらを見下ろしていた。
そして今更ながら気づく、動かないままの土煙と全く飛んでこない炎塊に周囲を見渡した。

風の魔力が土煙を固定し、炎塊をうまく反らしている。
視界が悪いため、向こうはディミルダの介入に気づいていない。

「…に……しにきた…」
「お前の情けない面を拝みに。フフ随分滑稽な姿じゃないか」
「ンだと…!」

ムカムカと腹から込み上げる熱が頭に集中する。
殴りたい。余裕綽々なその顔を今すぐ、思い切り、グーで。
手のひらを覆うくらいの魔力はある。それなら顔を傷物にすることも容易いだろう。
じわじわと右手に意識を集中させる。


「なぜ弾く?」


ディミルダの瞳が体を射抜くように合わせられた。
夜闇に煌々と妖しく浮かぶ月に似た黄金色は静かで、それでいて獲物を狩る虎のような獰猛さを内包している。
たかが人間の目だというのに、それだけでラースは体を固くした。
気だるさも、痛みも、熱も、靄のようだった何もかもが頭の中から取り払われる。

「あの炎をなぜ弾くんだラース?」
「…って、当たったら、ケガ…に」
「それはお前の体を脅かすほどの怪我か?」

スッと右手をとられた。
火傷で真っ赤になった手の甲はズキリと痛む。だが、それだけだった。

「お前は豪快に見えて、その実器用に魔力を巡らせる。あの炎は何を動力にしている?あの男が行おうとしていることは集中する必要があるが、果たして切れたら…どうなるだろうな?」

ディミルダが笑う。
酷く愉しげに笑って、囁く。


「さぁ、お前はどんな答えを選ぶ。ラース」





フッと目の前にいた姿が消える。
途端に土煙が動きだし、傍らに一つ炎塊が飛んできた。
ふらつく足を無理矢理立たせて、魔力が集中する方を見つめる。
この一帯を包むだけの爆破ができるまであと少し。

新しい炎塊が土煙の間から飛んでくる。数発は脇に反れるが、残りは体に向かってくる。
弾くことは可能だ。でも、弾かない。

右手に意識を向けて、奥底の魔力で手のひらを覆った。そのまま、目の前に飛んできた炎塊をひとつ鷲掴む。
塊を滅さないよう、炎を形成する魔力を乗っとる。
魔力の上書き。
残った炎塊が体に当たるが然程痛くはない。
手のひらで大人しく燃える炎を握り、右手を大きく振り上げる。

そして、勢いをつけたそれを魔力の集中するど真ん中に向かって投げつけた。


「……ーーっ!?」

うめき声みたいなものが聞こえたけど、気にする暇もなく体から力が抜けた。
膝が地についたところで、上半身を何かが支える。


そして、瞬きの内に土煙漂う景色が見覚えのある一室へと変化した。
背後の固いものに体を預けたまま、重くなる瞼と戦って目を動かす。
魔力の軌跡から、瞬間移動したのだと遅れながらも理解した。

「ま、ギリギリ合格といったところだな」

頭の上から放たれた声に思わず眉が動く。
でも言い返すのもダルくて口を閉じた。眠い。

脇の下に手のひらが差し込まれる。
一度抱き上げられて足を伸ばした姿勢で座る形にされると、温かさのある水のような流れが体に流れ込んでくる。

魔力の供給。

それはあまりにも心地好くて、誰から施されて、施される屈辱に苛つくことすら忘れたままオレは目を閉じた。


「何だ情けない。随分と大人しいもんだな」
「…るせ…ばーか…」

ふわふわした眠気が頭の中を埋め尽くしていく。
だらしなく背後に体重をかけて、睡魔を快く迎え入れた。

意識が遠退いていく。


ただ、ひとつ引っ掛かりがあって、その何かが眠るのに邪魔でオレは喉からその言葉を追い出した。


「てめー……いつか、ぶっとばす…」


つっかえも無くなり、今度こそ微睡みに身を委ねた。
背後でそれはそれは楽しそうに笑う“冷厳な帝”がいたことは、オレはおろか、誰も知らない。





育て育て帝の刀。
いつか帝の喉を切り裂くまで、育て。



++++++
ディミルダが帝様ならラースは帝が使う武器みたいな立ち位置…にしたいなぁと思いますがまだましな武器になってないラースの話。
魔界ではドンドコぶっぱなせば大抵片付く生活だったので小技は苦手な使い魔を教育していくのが冷厳シリーズです←


補足ですが、魔界の上級悪魔と下級悪魔は互いに縄張りを違えてるので特に接触はなく、上級・下級というのはこういう括りの存在であるんだという認識のための名称みたいな扱いです。
ラースは下級悪魔の中で非常に力のある悪魔。こうやって書くと強そうには感じませんね…。
同じ世界のルーンも下級の強い悪魔です。面識は互いにありますが仲は良くないです。

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