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今ここにいる人、そうでない人



森の木々と隣接するように建てられた木造の宿泊宿。
入り口にある木製のアーチから見える庭に、突如悲鳴にも聞こえる女性の声が響いた。

「シュウちゃ〜ん!あたしを慰めて〜!」

聞き慣れた声と呼ばれた名前に反応して振り返る。
こちらへ短髪の女性が駆け寄ってくるのを見つけ、慌てて手に握っていた箒を離した。
そのまま、両手を広げればごく自然に女性が腕の中に飛び込んでくる。
嗚咽を漏らしながら肩を震わせる姿に、俺は眉を寄せてその肩を抱いた。

「あぁ…可哀想に。またフラれたのかいエリア姉さん」
「そうなの!そうなの…ぅ、うわーん!」
「あんまり泣くと目が腫れちゃうぜ?ほら、ハンカチ使って…」

長い睫毛を濡らす涙を人差し指で掬う。
泣いたことで赤くなった目元が痛々しい。そっと壊れ物をを扱うように両手で頬を包み込めば大きな瞳がうるうると揺らぎ出した。

「シュウちゃん…もうお姉ちゃんシュウちゃんと結婚するぅ…」
「弟に冗談言って…ホラ、そろそろ持ち場に帰らないと…」

「お姉さまの雷が落ちるもの。ねぇエリア?」

静かな声音を響かせアーチの影からゆらりと長い髪の女性が姿を現す。
瞬時に、腕の中で鼻を啜っていたのが大人しくなった。
差し出したハンカチは、小さな手に力強く握りしめられグシャグシャだ。

「み…ミイちゃん…」
「ワタシは何も言わないけど、ユイナ姉さまはどうかしら?長い時間お仕事ほったらかして…カンカンかも?」
「い、いやあぁぁぁっ!!」

怪しい笑みと共に放たれた言葉で、泣いていた彼女は腕の中から店内へと引き寄せられるかのようにすっ飛んでいった。
相変わらずの上下関係に思わず苦笑する。

「さて、そろそろ休憩だしお茶でも飲みましょうかシュウ」
「はいよ。じゃあ俺は先日いただいた手作りクッキーでもお裾分けしようかな」
「あら?可愛い子からもらったんじゃないの?自分で食べないなんて罪な男ね」

ツンと額を優しく突いてからクスクス笑う姿はどこか楽しげに見えた。
二人で並んで宿に入れば、ロビーの奥から怒りを含ませた声が微かに聞こえてくる。

「ユイナ姉さまの雷はいつでも怖いわね…あと五分くらいしたら終わるかしら」
「どうかな…とりあえず俺はクッキー取りに行ってくるな」
「はぁーい」

ロビーを横切って、宿の隅にある家族の居住スペースに向かう。
居住といっても、本当に寝るときだけ使うものだから、狭い廊下に同じ広さの部屋が対面する形で西と東に二つずつあるだけだ。
西に長女ユイナと次女ミイネの部屋。
そして、東に三女エリアと末子で長男の俺の部屋。

真っ直ぐ自分の部屋へ入り、貰い物を置く棚から目当てのものを出す。
ついでに新しいハンカチをポケットにねじ込んで部屋を出た。

数分で戻ってきたロビーには早くもお茶の香りがうっすら漂っている。
ミイネ姉さんは香りの強い茶葉が好きだから、彼女がお茶を淹れるとすぐに分かるのだ。
甘い匂いを嗅ぎながら、七つ設置してあるテーブルから日差しがギリギリ当たらないものを選び、クッキーの袋を置く。
キッチンに皿を取りに行けば、ちょうどお茶を淹れ終わった姉さんを手伝い、一緒にお茶を運んだ。
一通り準備が終わった頃に、フラフラなエリア姉さんと長い髪を一つにまとめたユイナ姉さんがロビーに戻ってきた。

「いい香りね…お茶を淹れたのはミイネ?」
「えぇ、一昨日町で珍しい茶葉を見つけたから淹れてみたの。想像よりずっと香りが強くていい感じだわ」
「美味しそうね」

四人で席につけば、家族団らんのティータイムが始まる。が、未だにエリア姉さんがしょげているので俺はそちらに身を寄せた。

「大丈夫?」
「ふえぇ…すっごく怒られちゃったよシュウちゃん…」
「エリア姉さん…もしかして無断で外に行ったのか?」
「だって、彼が今すぐ話をしたいって言うから…」
「ちゃんと言わないと、ユイナ姉さんは心配性なんだから。ま、人の都合も考えずに呼び出す男の方も問題アリだけど」
「うぅ…あたしには人を見る目がないのかなぁ…」
「姉さん、そんなに泣くとキレイな顔が台無しだぜ?エリア姉さんなら、焦らなくても絶対いい人と出会えるさ。な?」

「仲がいいね、お前たちは」

よよよと泣くエリア姉さんを抱き締めていれば、ユイナ姉さんが穏やかな目でこちらを見つめる。
顔に浮かぶ微笑からは、エリア姉さんを叱っていた怒りの感情が微塵も感じられない。
長女にとって、数分前の出来事は既に過去のもののようだ。

「シュウくんはいい子ね…」
「素敵なお姉様方に育てていただいた賜物ですよ〜」

「いい人と言えば…シュウは彼女はいないの?」
「シュウちゃんの…彼女?」
「シュウくんの…彼女?」
「んん?」

ほのぼのした空気にミイネ姉さんが新たな話題を投下した途端、お姉様方の視線が一斉にこちらに集まる。
三人とも瞳がやけに真剣で、ちょっとした威圧感を感じた。

「ど、どうした揃いも揃って…」
「そういえば…シュウちゃんってモテる割に特定の相手がいないよね?」
「そうなのよ。育てた私たちの目から見たってなかなか魅力的なんだから、告白されていない筈がないわ」
「シュウくん、容姿も良いのだから素敵な子と出会っていたりしないの?」

「もー、そんなに誉めたって何も出ないぜお姉様方〜」

「「………」」

冗談めかして話題を反らそうとしたのだがまるで効果がなかった。
視線が突き刺さって気まずい。数秒前の空気が恋しい。
これはちゃんと話さなければ解放されないな。
フーと長く息を吐き出して、姉さん達の方に向き直った。喉に引っ掛かりそうになる声を無理矢理追い出すように喋る。


「…彼女はまだいない。けど、心に決めた人は、いる」
「か、片想いなの!シュウちゃんがっ!?」
「どんな子なの?」

一言だけで俺の右に座っているエリア姉さんがきゃあきゃあ色めき立つ。
左にいたミイネ姉さんは興味津々と言いたげに体を乗り出してきた。
ただ一人、正面に座るユイナ姉さんだけ静かにこちらを見ている。
三者三様な姿を視界に入れたまま、続きに戻る。

「顔は……キレイかな…髪が長い子で、大人しい人だよ」
「へ〜シュウちゃんのタイプって落ち着いた子なんだね」
「髪が長くて大人しい…まさか町外れのお嬢さん?」
「あ、いや…町の人じゃねぇんだ。ずっと、遠くに住んでて」
「まさか…」
「遠距離恋愛!ステキ!!」

「まぁ…会ったことはないんだけど」

ポツリと呟いた言葉はきゃあきゃあ騒ぐ二人の姉の言葉に書き消された。
きっと、静かに聞いているユイナ姉さんにも聞こえてはいないだろう。
香りの強いお茶を、一口飲む。口いっぱいに広がる温かさをよそよそしく感じた。

「二人とも、少し騒がしい」

長女のその一言で少し場が落ち着いたところに、ユイナ姉さんは新しい話題をこぼす。
話好きの二人はすぐそれに反応し、俺の恋話はあっという間に流された。
多分、ユイナ姉さんは気を使ってくれたんだ。
もう一口、お茶を喉に流し込む。



さっき、嘘を吐いた。
彼女の顔を俺はキレイだと言ったが、本当は顔を見たことがない。
遠くに住んでるというのも誤魔化したものだ。

彼女は、俺が見る夢の中にいる存在だ。
長い髪の、同じ年頃の少女。
不思議なことに、彼女はいつも俺を見ていて、俺も彼女を見ているはずなのに顔が記憶に残らない。
そこだけ靄がかかったように掠れている。
声だって、彼女は俺に話しかけている筈なのに一音も拾えない。
印象というものが、おかしなほど削り取られた少女。

現実に存在しない人に恋をするなんて馬鹿馬鹿しいと自分でも思う。
でも、夢を見る度に、抑えようのない愛しさと切なさに襲われる。
二人でいると落ち着いて、何をしているわけでもないのに楽しいと感じる。


会いたい。




「シュウくん。片付けを手伝って頂戴」
「了解。ユイナ姉さん」

日がゆっくり沈み始めた頃、我が家の仕事は本格的になる。
細やかな家族との安らぎの時間を終えて、今日もいつも通りの日々を過ごす。
そして、夜には夢を見るはずだ。

もしも、現実に彼女がいたとしたら、俺は家族と彼女、どちらを選ぶんだろう?

不意に浮かんだ疑問に、慌てて首を振った。意味もない仮定に思いを馳せてる場合じゃない。

さあ、今夜も一仕事。



++++++
美人三姉妹と愛され弟みたいな雰囲気を出したかったんですが、出しきれてません。
シュウはお姉さん達に可愛がられながら育ったプレイボーイ。のつもりで書いてみてます。
プレイボーイ…ワカラン…。

夢の話は昔書いた「夢現」のライアと同じ感じです。
ただ、ライアは毎回違う場所の夢を見てますが、シュウはほぼ固定です。

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