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手放したものと決意



ガタン、と何かが倒れた音。それに続くように大きな泣き声が隣の部屋から響いてきた。

またか。

心中で呟き、急ぎ足で隣室へ向かう。部屋を隔てる扉を開ければ泣き声がより鮮明になる。
二つ並んだ敷布団の上、小さな体が床に転がっている。

「フタカ」
「うっ、うっ、うええぇぇぇ…ん」

呼び掛けながら側に寄り、倒れた体の脇に手を差し入れて抱き起こす。
涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしながら、それでもこちらを見てすぐに小さな手で肩を―正確には服を掴まれた。
そしてぐずぐずと鼻を鳴らしながら胸に小さな頭が擦り寄せられる。
また鼻水まみれだと思いながらぐずるその頭を撫でる。

「せん、にちゃ…ひっく、う…」
「おぉ、今度はどうした?頭を打ったのか?」

優しく、優しくと心がけながら問いかければぐりぐりと頭を左右に振る。
頭を撫でてやりながら部屋を見渡せば、モモが収納と机の代わりに使っている木箱が無惨に転がっていた。
最初の音はあれによるものか。
ひっくり返った箱からはモモがあちこちから喜んで拾ってきた石や木の枝が散らばっている。
おそらく、箱につまづきでもしたんだろう。

「痛いのは、足か?」

確かめるように問えば今度は一度だけ縦に頭を擦り寄せられた。

右腕にフタカの体重が乗るように体を動かしてから自由になった左手でまず右足に触れる。
手のひらに収まりそうな小さな足を数回握る。
反応がないのを確かめてから今度は左足。すると触れた瞬間フタカの体がビクリと跳ねた。

「ふ…ぇ…うえぇぇん…」
「痛いか?」
「うっく…ふ、い…いたい…ひっ…」
「そうかそうか、痛かったなフタカ。でも赤くなってないし、すぐに痛くなくなるさ。だから、もう泣き止め…な?」

左手で丸い背中を撫でる。
そうすれば肩に掴まっていた手が首に回ってきた。
柔らかい髪が頬や首筋に当たってなんともこそばゆい。母の髪質に似たこの黒髪は、同じ色の自分やモモと違い一本一本が細い。
そこに幼子特有であろうミルクのような甘い香りもして、腕に抱いている小さな体が更に弱々しいものに感じた。

無意識に力を込めてしまったんだろう、体を寄せていたフタカが苦しそうな咳を溢す。それにハッとし、慌てて触れ合った体に隙間を作った。
離れたところからくっついていた分の温かさが逃げていく。

「悪い、大丈夫かフタカ?」
「ん…ん?……うん」

何を心配されたのか分かっていないような返事だ。
顔を覗き込めば、未だに瞳が潤んでいるものの涙は止まったようだった。
もしかしたら咳き込んだことに驚いたのかもしれない。

とにかく落ち着いたらしいフタカをもう一度抱え、胡座をかいた自分の足の上に座らせた。
向かい合った状態で頬に残る涙を指で拭う。フタカは大人しくされるがままだ。


「ただいまっ!あ、センお兄…あ〜〜〜〜っ!なんでモモの宝箱倒れてるの!?」
「声が大きいぞ、モモ」

騒がしく室内に入ってきたモモにフタカの体がビクッと震えた。
男児にしてはやんちゃさの欠片もないフタカは、どうも自身の姉が苦手らしい。その証拠に、やっと離れた小さな手が再び俺の服を握っている。

「ああぁぁ…キレイな石がぁ…フタカがやったんでしょ!めっ!」
「ひっ!」
「モモ…フタカはまだ小さいんだ、そんなに怒ってやるな」
「むー…センお兄ちゃんがモモの敵だぁ…」

思っていることをすぐに顔に出すモモはぶすっと頬を膨らますとそっぽを向いて木箱を元に戻し出す。
そっと溜め息を吐いてからフタカに一言断りをいれて足から下ろす。
そして今度はモモの隣に寄る。するとモモはわざとらしく体を反らした。

「モモ、」
「知らないもん」
「モモだって、本当はわかってるだろ?」
「知らないもん」
「お?これなんだ?初めて見るなぁ…フタカのか?」

拗ねたモモの気を引くためわざとモモの傍らに落ちていた石を拾い上げる。
名前が出たことでフタカがこちらを見て首を傾げた。そして俺の手元の石を見て、しばらくしてから首を振る。
当然だ。これはモモのコレクションのひとつなんだから。

自分の宝物のことを言われてるためか、モモがチラチラとこちらを伺っている。
それに気づかないフリをして、手元の石を光にかざすようにながめた。

白いゴツゴツした表面のところどころに透き通った結晶のようなものが含まれた石だ。
細かい隙間には黒い土が入ったままで、それが逆に周りの白さを際立てていた。

「キレイだな」

ちら、とモモの方を見ながら言えば首が完全にこちらを向いた。
にこりと笑ってやればぶすっとした顔が一変して明るく綻ぶ。

成功だな。

「そうなの!それね、向こうの川で拾ったんだよ!」
「へぇ、あんな大きな岩ばっかのとこにこんな石も転がってんだな…よく見つけたじゃん」
「へへへ…すごいでしょ!」

えっへんと胸を張るモモに最早先ほどまでのやり取りなど頭にないだろう。
単純だが、その素直さがかわいいやつだと思う。

それからしばらくモモによる宝物の自慢話を聞いた。
正直もう何度も聞いているので退屈なのだが、これで機嫌が良いのなら我慢も安い。
話の間にフタカもおずおずと近づいてきた。
相変わらず俺の服の裾を掴むが、モモをじっと見つめて話を聞いているので怖がっている心配はなさそうだ。


「そうだ、モモ?」
「…で、ん?なぁにセンお兄ちゃん?」

「母さんの様子はどうだった?」


声が多少固くなってしまったかもしれない。しかしモモは気づいていないようでニコニコ笑いながら答えた。

「うん!ぐっすり寝てた!」
「そうか…」

モモは、ぐっすり眠る母を見て安心したんだろう。
仕方がない。モモは寝たきりになった母しか知らないから。
だから、ぐっすり眠る姿がモモには母の状態がいいと感じる。

それが普通じゃないとしても。





母が寝たきりになったのは二年前、フタカを産んでからだ。
それでも、初めは医者に見てもらえて母の容態は快方に向かっていた。

父が蒸発して、いなくなるまで。

父の葬式は閑散としていた。
悪い父親ではなかった。
小さな頃はたくさん遊んでもらって、優しくされた。
けれどフタカが産まれて、母が倒れてから気性が荒くなった。
近くにいた人は父を避けた。
親戚ですら毛嫌いしたほどの変わりようだった。
それでも、最期まで母を助けようとしていたのだ。
それが報われなかっただけなんだ。

家族が路頭に迷わなかったのは一重に伯父のお陰だ。
今の部屋だって伯父が貸してくれている。
しかし、母の治療代を肩代わりできるほど伯父に余裕はなかった。
そのため母の容態は良くならず、悪くなる一方だ。
それに更に子どもが三人。
正直肩身が狭い。
けれど、他に生きられる場所はない。



モモがフタカに宝物自慢を始めたのを見て、静かに部屋を出る。
隣室の机には乱雑に道具が広がっている。伯父の助けにと小さな仕事をしてはいるが何の足しにもなってない。
横目で作業台を見てから外へ出た。

日が沈んだ空は薄暗く、乾いた風が吹いていた。
雨が少ないこの地域では砂ぼこりがひどく、絶えず口に砂利が入ってくる。
モモは元気に外を駆け回るが、か弱いフタカは長く外にいれた試しがない。

砂が混じった風を受けながら空を仰いだ。
空の遠く、遠くを見つめる。

小さな時から外に憧れていた。
自分の知らない未知に出会いたいと、ありもしない空想に何度も胸を踊らせた。

でも今はそんな無邪気に夢を見られない。
母のことも、家族の居場所も、切実に改善が必要だ。
そのための手段がずっとなかった。数日前まで。

それは褒められた選択ではない。
下手したら、家族との縁を失うかもしれない。
…いや、確実にもう家族と一緒にはいられないだろう。

それでも、変えたい。

母の容態が良くなるよう。
小さな兄弟たちが気兼ねなく育つよう。

それが出来るなら、家族との絆を失ったって、独りになったって耐えられる気がする。





それからモモがフタカを泣かせたのを宥めて三人で夕飯を食べた。
二つの布団を寄せて、小さな兄弟に挟まれながら横になる。
右腕を枕がわりに眠るモモの髪をすいてやる。
左腕を掴んで眠るフタカの頭を撫でてやる。
幼い二人の体はとても温かかった。



次の日、日の出の前に起きて荷物をまとめた。
伯父と母にいくつか手紙を残して、俺はその場所へと足を向けるために家を出た。


新しい場所は俺を受け入れてくれた。
だけど、俺の体はもう、他人を受け入れようと思わなかった。

温かさは、あの日に置いてきたから。





++++++
センカイが人と触れ合うのを嫌う理由はこんな感じなのでした。
最初はほのぼの書こうと考えてたのに…な…。

兄弟の名前は即席。
センカイは特に意図してないんですが“千”が入るのでモモ“百”とフタカ“二”にしました。安易…。


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