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ある秋の出来事



憂鬱だ。

転んだとか、怪我したとか、何か無くしたとか、自分にとって悪いことがあったわけではない。
だけど私の気分は酷く鬱々としていた。


何もやる気が起きなくて、ぼんやりとしたままゴロゴロする。
ふと、親にお使いを頼まれていたことを思い出した。特に期限があるわけではない、気が向いたら買ってきて程度の頼み事。
思い出したら、なんとなくこのまま意味もない時間をすごすよりましな気がして、私はいそいそと仕度をして家を出た。


淡い青色と、薄く高い雲が広がる秋空を見上げて歩く。
体を動かしてもどんよりとした気分の重さはまとわりついたままだった。
気だるさに周囲の全てがよそよそしく感じられる。

幾らか歩いたところで、不意に頭の中を聞き慣れたメロディーが流れ出した。ちょっと切ない失恋の歌。
別に私は失恋したわけじゃないけど、そのメロディーが持つ寂しさがなんだか今の自分にしっくりきた。
しっとりした気分で、歩きながらメロディーを口ずさむ。

歌い終わっても私の気分は曇りがかったままだった。



買い物をしたら、お店の人がおまけをつけてくれた。
少し嬉しかったけど、店を出たら小さな喜びはあっという間に霧散してしまう。

家を出たときと変わらない気持ちで帰路を行く。

また、静かなメロディーが頭に流れて私はその歌を口ずさんだ。
行きよりも少しだけ大きな声量で歌を歌う。



目が、あった。


花の手入れをしているんだろうおばあさんと、私の目がしっかりとあってしまった。
途端に込み上げる焦り。思わず「こんにちは…」と会釈をした。おばあさんも返してくれる。
そのまま俯いて、何事もなかったかのように通り過ぎようと足を早めた。早めようとした。


「すたすた歩けていいね」


隣から聞こえた言葉に、私は足を止めて顔を上げた。おばあさんが穏やかな顔でこちらを見ている。
そこでようやく私は話しかけられたことを理解した。
おばあさんはなかなか高齢のように見えた。さっさと歩く私の姿からそう言ったのだろう。
私は上手い返事が見つからず「最近寒いですね。動くのが辛いです」なんて言った。何も考えてない。とりあえず寒いから言ってみたんだ。

「お勤めの帰り?」

「いえ…ちょっと買い物を」

そう言って下げていたビニール袋を目線の高さに持ち上げる。
おばあさんはそれを見て、穏やかに微笑むと「お休みなさい」と言って踵を返した。家に入るか、作業に戻るんだろう。

「お休みなさい」

私も、止めていた足を動かして再び帰路についた。

何も意味なんてない、ちょっとした会話。偶然目があって、偶然話をしただけの出来事。
もしかしたら、もうあのおばあさんと顔を合わす機会なんてないかもしれない。

だけど、そんな小さな会話に少なからず私は喜んでいた。
なんて形容すればいいのか分からない。でも、嬉しかった。

行きよりも少しだけ顔を上げて、私は残りの帰り道をすたすたと歩いた。

頭の中にあの寂しいメロディーはもう流れていなかった。


++++++
ほぼ実体験。
誕生日に出会った出来事でした。

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