無垢で汚れのない君
邪神軍との戦い最中に強制召喚されたこの地にもいくらか慣れ始めた頃のこと。
「アポロ」
小さくも確かに自分を呼ぶ声に振り返る。
とことこと近づいてくる褐色の肌の少女に、俺は小さく笑んだ。
ここに保護されて一月。
記憶喪失の少女―ノインは未だ周りに馴染めず、俺を頼っていてくれた。
頼りにされるのは素直に嬉しい。だが、いつまでも周囲に心を開けないノインに俺は少し頭を悩ませていた。
俺よりも華奢な手に弱々しく腕を掴まれると無理強いはできないが、流石にこのままなのも問題がある。
なんとかならないかと考えながら隣まで寄ってきたノインの頭を撫でる。そうすると小さな手がいつものようにこちらの腕を掴んできた。
幼く、どこか愛らしい信頼の表れに再び口許を緩ませる。
甘やかしすぎなんだろうか?
妹を持つ兄のような心境になりながら、いつものように庭の方に歩く。
と、急に突風に煽られ思わず顔を覆う。
「きゃっ・・・」
ノインも驚いたのだろう。小さな悲鳴と共に掴まれた腕に力がこもる。
「大丈夫かノイン・・・」
風が吹く中、気遣うように彼女を見やる。
見やって、思考が停止した。
徐々に勢いが収まる風。それと共に風に煽られていた衣服が重力に従って元の形に戻った。
「・・・アポロ?」
平静を取り戻したノインが不思議そうな眼差しをこちらに向けてくる。どうしたと腕を引かれ、そこでようやく俺はノインと向き合った。
白状すると、見てしまった。
ノインの少し短めなスカートの裾が捲れるのを。
自分だって年頃の男だ。捲れていたなら自然と目がそこに向いてしまう。
今、俺の中で最大の疑点は翻ったスカートの先にちらと見えてしまったものにある。
ごくりと生唾を飲んで、恐る恐る口を開く。相変わらず不思議そうな眼差しのノインに向けて。
「ノイン・・・その、君、は・・・」
「何?どうしたの・・・?」
「・・・・・・あの、し・・・下着は・・・?」
「下着?」
こてんと無垢に首を傾げる姿を見て、頭にガンガンと警鐘が響き出す。
この先の言葉を聞いてはいけない!
しかし、時すでに遅く。ノインの唇はこちらの様子もお構いなしで爆弾台詞を投下した。
「・・・下着って・・・・・・なに?」
気が遠退いていくのを俺はリアルに感じた。
+++
彼女は下着の存在を知らない。
記憶喪失・・・なんて恐ろしいものなのか。
いや、もしかしたらノインの故郷では、下着を着る習慣がなかったのかもしれない。よってそもそもその存在を認識してないという考えもある。
まあ今はどうでもいい。
不幸中の幸いにも自分にはスカートの下の肌色が認識できただけで、ハッキリとは見えていなかったことである。
もし記憶に残っていたら・・・俺は一生ノインに顔向けができなくなっていた。いや、今でも十分顔向け出来ない状況な訳なのだが・・・。
当の本人はどこに吹く風、いつも通りちょこんと俺の隣にいる。
「ねぇアポロ・・・下着ってなに?アポロが落ち込んでしまうほど・・・大事なもの・・・なの?」
「そうだな。人間のモラル的にはこれ以上ないくらい大事なものだ」
「モラル・・・??」
再度首を傾げられるがこれ以上は俺の口からは言えない。
ノインが小さな子ども、もしくは同性であったなら簡単に説明してやれるが、ノインは異性・・・しかも年も近い少女なのだ。
俺の全羞恥心を犠牲にしても説明することは憚れる。
これは彼女を何とかして誰か他人に回すしかない。
男の自分にはどうしようもない話なのだ。
そう言い聞かせると、
「・・・わかった」
どうやら知りたい気持ちが強いらしく素直に頷いてくれた。
が、去り際にこちらに向けられたまるで捨てられた子犬のような目がグサグサと俺の胸に突き刺さった。
+++
後日
「ごめんなさい・・・アポロ・・・」
顔を赤らめ俯きながら彼女はそう言った。
どうやら下着の件は理解してもらえたらしい。
だが、こうやっていつものように隣にちょこんと居るノインにはやはり、もっと周囲とコミュニケーションを取らせる必要がありそうだ。
普通、スカートを覗かれた相手とは口を利かないくらいするだろう。
それが無いのも(こちらとしてはありがたいが)些か問題である。
ふぅと溜め息を付きながらいつものように彼女の頭を撫でる。
そうするといつも通りとはいかないが、おずおずと腕に小さな手が触れてきた。
いつも通り、いつも通りの流れ。
「まあ、これも一つのきっかけだったということにしてだな・・・」
「うん。昨日もらったから・・・ちゃんと今日はつけてる」
ぴらり。
「ぶほっっ!!」
「あ、アポロ・・・!?どうしたの?大丈夫・・・?」
がくっと膝をつく俺に、おろおろとノインが心配の眼差しを向けてくる。
無垢で汚れのない君
人前で、特に男の前で惜しげもなくスカートをたくしあげてはいけない。そう彼女に伝える術に俺は頭を悩ませるのだった。
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