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自分定義



自分は、一体何なんだろう?


物心ついた時に、抱いていたのはそんな疑問だった。


幼い自分は「自分が個としての自分である」という認識を持っていなかった。

そう、例えるなら空気のような。

「生きている」という認識も、「動いている」という認識も持っていなかった。


体を動かせているのに、「自分は動いている」と頭が分からない。


言葉にするなら、自分は小さい頃「曖昧」だった。


どんな人だって、生まれながらにして「ここに居る」という認識を持っている筈なのに。
自分はその認識を持てるようになるまで何年か要した。

それでも「ここに自分はいる」という認識は持てたのだ。

「他人」と「自分」の区別はつけられるようになった。



でもそれはあくまで外面の事で、自分は自分の内面に対して「曖昧」過ぎた。




ある人は「俺は男だ」と言う。

ある人は「私は女よ」と言う。




じゃあ自分はどっち?




考えた。


自分の体は“女”のものだった。

「ならば簡単だ。お前は女である」

そうはならなかった。



“女”の体なんだから、自分は女だと、確かに思った。
けれど同時に、女じゃない、とも思った。

じゃあ本当は“男”なのか。
ああ、男なのかもしれないと、確かに思った。
けれど同時に、男じゃない、とも思った。


あれ?じゃあ自分はなぁに?

男?女?
男の子?女の子?
男性?女性?
男子?女子?


どちらも当てはまるし、どちらも違うと思った。


あれ?じゃあ・・・自分は何なんだろう?



不思議な出来事にあったのは、そんなことを考えていた頃だった。

とある場所にいた筈の自分は、気づくと知らない場所にいた。


自分を拾った人は「村の外れに倒れていた」と言った。

自分はその時、今まで居た場所から、全く知らない場所に居ることを瞬時に理解した記憶がある。

とても不思議だったけど、そう考えるようになったのはそれから何年も後の事だ。
その時の自分にとって「全く知らない場所に居る」という事実は、深く考える事でも何でもなかった。


それよりも、自分にとっては重要なことがあったから。



自分を拾ったのは男性だった。

一人暮らしの、親類のいない男性。
人の良い気性で、赤の他人である自分のことを、甲斐甲斐しく世話してくれた。

その頃初めて、自分は自分の思う感情を外に出せるようになった。
それも全て、一つの認識を受け入れたからだと今では思う。




自分は、その男性に強く憧れたのだ。
憧れ、と言うよりは感謝の念もあったのかもしれない。

とにかく自分は、自分もこうなりたいと心から思ったのだ。


その時、一つの考えが自分の中に生じた。



「自分は、男である」


今まではどうしても受け入れられなかったそんな考えが、何故かその時スッと染み込んだ。


勿論、自分の体が女のものであることは知っていた。

だけど自分は「自分は男だ」という認識が、しっかり心に根をはったのを感じた。




それから「ボクは男だ」と、「体は女だけど間違いなく男だ」という認識にボクは疑いを持たなくなった。

自分は「曖昧」な自分からボクになった。それだけの変化。
だけど内面には必要な変化。


ボクは紛れもなく「男」。
体とは真逆の性別だけど、ボクは「男」なんだ。

ボクはその頃にやっと「個としての自分」を完全に手に入れたんだ。


「ボクは男だ」






だけど、「男だから」女の子に惹かれる訳でもなく、「女の体だから」男の子に惹かれる訳でもない。
ボクには「異性」と「同性」の認識というものがなかった。

彼は“男”だから、ボクと“同性”だ。
彼女は“女”だから、ボクと“異性”だとは思えなかった。

それが「心と体の違い」からの矛盾なのか、「認識の仕方」からの矛盾なのかボクには分からなかった。いや、考えようとすら思わなかった。



ボクは気づいていなかった。
未だ自分が「曖昧」の境界線から抜け出せていないことに。





++++++
「性同一性障害」について調べた後の不完全燃焼文。
色々変わったけどティシの過去設定はこれで固定・・・のはず。

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