朝焼け色のライラック


 天馬の指にはぶかぶかで、いびつな形をしたガラスの指輪。皮ひもに通して首からさげているそれは、天馬の宝物だった。
小さな頃、泣いていた自分にかけられた優しい声。指輪を渡してくれた手の暖かさ。それだけははっきりと思い出せる。それ以外のことは、天馬が今よりずっと小さかったせいなのか、霞がかってぼやけてしまっていた。

 指輪をそっと摘んだ。普通の指輪はもっとつるつるしていているものらしい。けれど、この不恰好なでこぼこが天馬は好きだった。何故なら、日にかざせばきらりと光を反射してとても綺麗だということを知っているからだ。
それ以外にもう一つ、これには不思議な力があった。天馬が指輪を人差し指にはめてみる。昔と変わらずぶかぶかだが、気にせず太陽に向けてその手を伸ばしてみた。
陽光に照らされて、ガラスの指輪がきらきら輝く。それに引き寄せられるように、ぱたぱたと2羽の小鳥たちが天馬の元に飛んできた。それぞれ右肩と左肩にとまると、歌うように、交互に鳴き始める。

《おはよう、天馬!》
《おはよー、おはよっ!》

 他の人には鳥の囀りにしか聞こえないそれは、天馬の耳にははっきりと言葉として届いていた。これは天馬に妄想癖があるわけでも、幻聴を聴いているわけでもない。
大きくて、不思議なくらいに透き通ったガラスの指輪。これを指にはめている時だけ、天馬は鳥たちの言葉を理解することができる。
これは首からぶらさげている状態ではできないし、喋れるのは鳥とだけ。試しに飼い犬のサスケの声を聞いてみようとしたことはあるけれど、ワン、とかワフ、としか聞き取ることはできなかった。

《天馬、天馬、お散歩しよう!》
「お散歩? どこに?」
《わたしたち、素敵なところを見つけたの!一緒に行きましょう!》
「へえ、どんなところ? 教えてよ!」

 瞳を輝かせて尋ねれば、二羽声をそろえて《ついてきて!》と羽ばたいた。
今日はいい天気だったし、特におつかいを頼まれてもいないので、天馬は心を躍らせながら小鳥たちの後を追いかけていった。



 踏みしめていた草原の若々しい黄緑はスピードの速い小鳥たちを追ううちにか見えなくなっていて、気づけば深い森の緑に囲まれていた。
いつもならば、入ってはいけないと散々大人たちに注意されているために、近づくことすらない森の奥に天馬は居た。
走ることが得意な天馬でも、さすがに息を切らせて座り込んだ。そこへ天馬の頭上をゆっくりと飛び回り、ちゅんちゅん、ぴぃぴと鳴いている。何かあるのかな。ぐったりとさせていた顔を起こして、小鳥たちの様子をうかがおうとした。

 ふわり。やさしい香りが、風にのって天馬の頬を撫でた。
見上げた先には、大きな家が見えた。古ぼけた木造の館のようだった。
引き寄せられるように天馬は立ち上がり、ふらふらと扉の前まで近づいていった。足は疲れを忘れたように軽い。

 ノックを2回。コンコン、とそこそこ大きな音が出たが、返事はない。ノックをもう3回してみた。やはり、何の反応も無かった。

「……誰も居ない、のかな」
 そろりとドアノブに手を掛ける。ゆっくり回して引いてみると、不思議なほどすんなりと扉がひらいた。
しかし扉が開いたことよりも天馬が驚いたのは、自分を真っ先に出迎えたものだ。
目の前には茶色の円が3つ4つ、待ち構えている。蔓のような何かで上からぶらさげられているようで、その蔓にも茶色の円にも、萎びた葉や褪せた色の花びらがくっついいている。

(――あ、もしかしてこれ、花?)

 姿はだいぶ変わってしまってるうえに、逆さまにぶらがっているそれには、天馬は見覚えがあった。確か「ひまわり」という名の花だ。
天馬の故郷にも、ひまわりの花畑があった。小さな頃に、両親と手をつないで見た青空の下で輝くような黄色の花たちは、とても美しかった。
眩いほどに記憶にはっきりと焼きついたそれは、指輪と同じくらい大切な宝物で、思い出だった。

(それにしても、どうしてこんな所にひまわりが……?)

 暖簾じゃあるまいし、なんて勝手な文句を言いながら、天馬は手でそっと花の間をかき分けて中へと入った。

 途端、先ほど感じたものよりずっと強い、甘い花の香りが天馬を包み込む。さらにぐつぐつと何かの煮える音がしたので、天馬は「すみませーん! 誰かいらっしゃいませんかー!」と、訪ねた家に人が居ない時言う言葉を、秋ねえに教えてもらったとおりに叫んだ。
けれども、やっぱり返事は返ってこない。もう一度、すみません! と叫ぶ。だけども聞こえるのはさっきと同じで、何かが沸騰する音だけだった。
しばらくはじっと待っていた天馬だが、やがて好奇心に負けてそわそわと部屋を見回した。

 床も壁も、もちろん家具もとても古いものだった。全体的に暗い色調で整えられていて、申し訳程度に明るい色をしたカーペットが、ボロボロになって床の上に敷かれているくらいだ。
それよりも凄いのは、そのどれもを多いつくすほどの植物だった。
花瓶や鉢植えが山ほどあり、暗い室内には不釣合いなほどに生き生きした花はもちろん、先ほど扉のところで天馬を出迎えたひまわりのように、枯れた茎や蔓、花びらも木の実も所狭しと並べられていた。
隅に置かれている大きな袋は端が破れていて、大小まばらな種がそこから零れている。
部屋の奥には扉が一つと、大きな釜が火の上でぐつぐつと湯気を出している。
今まで平凡な村で暮らしていた天馬には何もかもが始めてで、ぽかんと口を開けて立ち尽くしていた。
そんな天馬の意識を呼び戻すように、右肩に止まった小鳥がちゅんちゅんと鳴いたので、慌てて指輪をはめる。

《どう、素敵な場所でしょ?》

次に左肩の小鳥が、慌てたようにぴぃぴぃ囀る。

《そろそろ起きるよ、マサキが起きるよ!》
「まさき……?」

 小鳥たちの知り合いかな、と首をかしげていると、部屋の奥の扉がぎいぎい音をたてながらゆっくり開いた。
真っ暗なその向こうから、真っ黒なローブに体を包んだ人影が現れた。

「誰だよ、あんた」

 背格好は天馬と同じくらいだった。フードを目深に被っているが、声のおかげでおそらく男の子だろうとわかった。
フードの奥からのぞく、金色の瞳にきつく睨みつけられて、天馬の心臓がおおげさなくらいに跳ねる。

「あ、あの、ごめんなさい! 俺、松風天馬っていって、ここが素敵なところだって教えてもらったから、そしたらホントにすごく素敵な所で、えっと、」

どきどきする心臓を胸の上から押さえながら、慌てて頭を下げる。肩の上の小鳥たちも、一緒になってぴぃぴぃちゅんちゅん鳴く。今は指輪をしていないけれど、きっと一緒に謝ってくれているのだろう。

「教えてもらったって……そいつらにか?」
「う、うん! この指輪をはめると、鳥とお喋りできるんだ」
「……ふーん。まあ、そういうことなら仕方ないか。お前ら、あんまり無闇に教えるなって言っただろ」

 思いのほか優しい言葉は、両肩の小鳥たちにかけられたものだとわかると、天馬はそろりと顔を上げる。
少年はフードをぱさりと後ろへ下ろす。ピーコックブルーの、少し癖のある長い髪。ちょっと釣り目ぎみな瞳は、さっきとかわらない金色だった。

「ねえ、もしかして君も鳥たちと喋れたりするの?」
「できるよ、それくらい。俺は魔法使いなんだからさ」

 にい、と少年の口の端があがる。きっとこの言葉を大人や、少し耳年増な子供が聞けば震え上がったかもしれないが、天馬はその言葉の恐ろしさをまだ教えられてはいなかった。

「ええっ、じゃあ君って、魔法が使えるんだ!」
「だからそうだって言ってるだろ、わかったら早く帰――」
「すごい!」
「は?」
「だって俺、自分以外で鳥と話せたりする人に初めて会ったから嬉しいや! えっと君、名前教えてよ!」

 さっきまでのしゅんとした態度はどこへやら、嬉々として詰め寄ってくる天馬に気おされたように少年が後ずさる。

「お、おい! 普通はそこ怖がる所だろ!」
「何で?」
「あのなぁ、教えられなかったのかよ。魔法使いっていうのは悪い奴なんだよ、今すぐお前のことを儀式のイケニエにするかもしれないんだぞ」
「えー、それは困るよ」
「だったら……!」
「でもさ、俺は君が悪い奴だって思えないよ。こんなにたくさんきれいな花を育ててるし」

 天馬が笑顔で言い切れば、少年はやや呆れたように、「それだけの理由でかよ……」とため息をつく。

「それだけじゃないよ! さっき、この子たちに向けてる目が、優しかったから。俺は君が悪い奴だって、ますます思えない」
「……変なやつ」

 今度はぷいと顔を背けられてしまった。けれども気にせず天馬は少年に詰め寄った。知りたい。もっとたくさん話したい。
そんな気持ちが膨れ上がって止まらない。天馬の心臓はまだ、どきどきしていた。

「ね、それより名前! 名前教えてよ! あっ、俺はさっき言ったけど、松風天馬っていうんだ」
「あー、もう! 狩屋だよ、狩屋マサキ!」

 怒ってるみたいに叫んだマサキだったが、顔を見れば怒っていないのは一目瞭然だった。
ますます天馬はうれしくなって、よろしく狩屋!と手を握る。

 自分よりほんの少し低い体温。どこか懐かしいぬくもりだった。



灰の息吹
(かすかな残り香)


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