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屋根の上に上り、アレンはぼんやりと夜空を見上げていた。
夜の闇に染め上げられた周囲は、酷く静かだった。
人気の感じられぬ森の中に、ひっそりとあるレオンの家。周囲から隔絶されたかのようなそれは、他人を拒絶するアレンにとってはとても心地良い場所だった。
(僕は、強くなんてないんだ)
夜の闇を映すアレンの瞳が、小さく揺れる。
強くなったと思っていた。レオンにすら届きそうなくらいに。
だが、自分を蔑む人間に対して、足が震えた。逃げ出したくなった。
何も変わっていない。強くなったのは、魔法だけ。アレン自身は何も――。
「アレン」
閑散とした空気を破ったのは、涼やかなクレアの声だった。
下を見下ろせば、ここにいない筈のクレアクレアがそこにいた。
クレアは、ちょっと待っていてと言ってすぐに同じように屋根の上へ上って来てくれた。そしてアレンの隣に腰を下ろす。
(レオンもクレアも忙しくて今日はここへ帰って来れないと言っていたのに、どうして?)
疑問は言葉になることはなかった。それでも、クレアの言葉でなんとなくは分かった。
「ごめんなさいね、街へなんか行ってもらって」
「う、ん」
クレアは、街へ行ったアレンのことを心配して帰ってきてくれたのではないだろうか。
いつもと同じように見えて、何処となく陰りを感じるクレアの横顔は、それが勘違いでも自惚れでもないことを示していた。
大丈夫、と笑って安心させてあげたかった。それでも、弱いアレンは何も取り繕うこともできず、言葉を発することはできなかった。
次第に思考が向かう先は、昼間のできごと。
魔法学園でのクラスメイトだった少年、その嫌悪の籠った瞳、昔の自分、ドラゴンと戦ったこと、死ねばいいと思った、それでも助けてしまったこと……。
あまりに色々なことがありすぎて、アレンの頭はそれを上手く処理できなかった。
何を言葉にして良いか、否、何を言葉にしたいかすらも分からなかった。
「なんで師匠はあんなに強いの?」
だから、ずっと疑問だったそれを吐き出す。
レオンの強さ。レオンの気高さ。
それは、他人を強く惹きつけてやまないほどのもの。眩しすぎて、遠すぎて――。
アレンの胸が、小さく痛んだ。自分とはあまりに違うレオン。自分はこんなにも情けないのに。こんなにも弱いのに。他人が怖くて、他人を拒絶して、あの頃と何も変わらない。
クレアはアレンの問いに何かを感じたのだろう、小さくその眉を寄せて、アレンの頭を撫でてくれた。
「くれあ?」
戸惑いながら、アレンはクレアを見つめる。
冷たいその掌は、とても優しかった。
言葉からは分からない、クレアの優しさを感じられたような気がした。
「強くないと守れないから」
「でも」
アレンは、分からないという感情を隠すことなく、眉を歪ませた。
レオンは強いではないか。誰にも負けないような強さと自信が彼にはあるではないか。
その言葉を言い切る前に、クレアは言葉を紡いだ。
「いくら強くても、強さは足りないの。驕れば、負ける」
その瞳は、海のように深い色をしていた。
吸い込まれそうなそれに、アレンはただ見詰めた。
クレアは、何かを思い起こすかのようにそっと目を伏せた。
夜の冷たい風が頬を撫でる。清閑とした闇夜の下には、ただ風で小さく揺れる木々のざわめきだけが響いていた。
重い沈黙を破ったのは、クレアだった。
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