恋をして、愛を知って
「ごめん」
重苦しい声が、二人きりの部屋に木霊する。
その謝罪の言葉だけが幾重にもなって頭の中で響く。
私は、彼が何を言ったのか、何を謝っているのか、理解出来なかった。
ただ彼を見返す顔は、酷く間抜けなものだったと思う。
「え?」
少し遅れて声をこぼす私に、彼は酷くバツの悪い顔をして、
「できちゃった」
重苦しい声で、そう呟くように言った。
一瞬の間。同じ言葉を繰り返されているというのに、その言葉を理解出来ない。いや、理解したくないのだ。
ほんの僅かな動きで、全てが崩れてしまいそうなほどに張り詰めた空気の中、なんとか言葉を紡ごうとする。
「何、が」
「子供」
頭が回らない。まるで唐突にその機能を止めてしまったかのように。動かそうとすれば、頭が軋む。たったその一つの単語を理解することすら出来ない。
喉がからからと乾く。いつの間にか握り締めていた掌は、嫌な汗でじっとりと濡れていた。胸の奥でじりじりと焼き付くような、嫌な感覚。
(何を、言っているの)
助けを求めるように彼を見つめると、彼は酷く申し訳なさそうな表情で顔を背けた。
――こども。
声にせず、唇だけで呟く。
(こどもが、できた?)
考えたくない。答えを出したくない。
私のじゃ、ない。だって、私はなんともないのだから。
なら、答えは自ずと決まってくる。
「浮気、したんだ。たった一度だったけど。でも、できちゃった」
頭を殴られたような衝撃に襲われる。
どうして。頭が混乱していて、その一言すら言葉に出来なかった。
責めるよりも何よりも、ただその心を占めるのは驚き。
単なる一時の過ちのようなものなのだろう。分かる。いつか一度くらい浮気はされるかも知れないとは思っていた。
私には優しいけれど、いい加減な人だった。自分の感情を優先させてしまうような、ダメな人だった。
だから、浮気の一つや二つくらいあり得る未来だった。謝るのなら、許してあげようとも思っていた。一緒にいられるならいいと思っていた。
(それ、なのに)
それを私に告げるということは、その女との責任を取ろうと思っているということだ。
彼が相手に自分勝手に下ろさせるような男じゃなくて、責任は取ろうとする男で良かったと思う。思っていたより、酷い男ではなかった。
でも、それはつまり――。
「終わり、なの? 私達」
彼を責めるよりも先に沸き上がってくる感情は、ただ別れるのが嫌だという気持ち。
終わりにするなんて、いやだ。
そんなの、いや。
「ねぇ、私……愛人でも、いいよ?」
だから私は、良心の呵責に苛まれながらも、それでもはっきりとその言葉を紡ぐ。
報われない恋をしよう。
許さない関係になろう。
誰に批判されてもいい。ただ、貴方が好きだから。貴方の隣にいたいから。
そう静かに囁いて、私は誰よりも愛しい彼を抱き締めた。