貴方の奏でる音色




 私立桜華高等学校は、音で溢れている。
 ピアノの音、ヴァイオリンの音、チェロの音、クラリネットの音……。音楽科があるため、早朝から夕方まで様々な楽器の音色が響き渡る。

「この、音」
 不意に、そよ風にのって聞こえてきた音に、彼女は思わず呟きを漏らした。
「え?」
「このヴァイオリンの音よ」
「ああ、ヴァイオリンの音ね。誰かが練習してるんだ」
 友人は暫しの困惑後に納得いったように頷いたが、彼女はそれに顔を顰めた。
 そういうことを言いたいのではない。しかし、相手にはその意図は全く伝わらないようだった。
(いいえ、違うわ。これが普通なのよ)
 押さえられない苛だちを感じながらも、心の中で小さく頭を振る。
 ヴァイオリンの音、そう、その答えに間違いは全くない。十人に聞けば十人全てがおそらくそう答えるだろう。これだけ演奏者から距離が離れ、聞こえてくるのが微かなものであれば尚更。
 その人物――彼の演奏ならば、どの曲でも、どんな弾き方でも分かってしまう彼女が普通でないのだ。
 ――たとえ、こんなふうに、いつもの傲慢なまでに自信に満ち溢れたものでなくとも。

(違う。こんなの、違うわ)
 響き渡るいつもとはまるで違う音色に、彼女は苛立ちを募らせる。
 同じ楽曲でも解釈の仕方が違えば、弾き方にも音色にも違いが出る。彼は、華やかで、自信に満ち溢れた弾き方を得意とするが、それだけが正しい弾き方ではない。
 しかし、ならばこれはどんなものかと問われれば、この音色は愁いを帯びたものというわけでもない。儚い音色というわけでもない。それらならば、美しい音色の一つだが、そうではなくて。
 言うならば、消えゆきそうな、否、消えてしまいたいと願うかのような、そんな曖昧な音だ。
(苛々するわ)
 こんな、彼らしくもない演奏。
 こちらが腹立つくらいの自信はどこへ行ってしまったのか。聴く者を惹き付ける、力強さはどこへ行ってしまったのか。
 高い技術で、整った演奏だから尚更それが目立つ。
(ああ、もう!)
 髪を弄ったり、指で机を叩いていたりして、苛立ちを耐えようとしていたが、もう限界だった。
 苛立ちが頂点に達した彼女は、友人の制止の声も全く耳に届かず、彼のいる場所を一直線に目指した。


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