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「おかえりなさい!」
ドアの鍵を開ける音に、寝そべって本を読んでいた私は、飛び起きる。
雄司だ。
一週間ぶりに会う雄司に、嬉しくてつい顔が緩む。
確かにこれならば、職場でこういう顔をしているのかも知れない。
「ただいま」
雄司は、そんな私に小さく笑って、キスをくれる。
ただ触れるだけの、優しいキス。それでも、甘くて、幸せな気分になる。
「ねぇ、今日は何時までいられるの?」
「泊まってくよ」
「え、ホント!?」
嬉しくて、思わず飛び上がる。しかし、喜んでから一瞬遅れてやってくる本当に大丈夫なのかという不安。
雄司は、私と違って独り身ではないのだ。彼の家には、彼を待つ人がいる。
「……お、奥さん、は?」
口に出すたびに胸が痛んだその言葉にも、少しは慣れてきたような気がする。
後ろめたさと恨めしさ。色んな感情が入り混じる。
「仕事が立て込んでるって言ってきた」
悪いとは思いながらも、零れ落ちる笑み。私を優先してくれたことが、どうしようもなく嬉しい。
私は、嫌な女だ。嫌なだけではない、酷い。
自分の幸せのために、彼女を犠牲にしている。考えないようにしているけど、自分でもよく分かっている。
それでも、雄司は私にとって何者にも代えがたいものだから。雄司のためにならば、なんだって背負う覚悟がある。
「ご飯出来てるよ。今日はね、雄司が大好きな美咲ちゃん特製エビグラタンなのですー。プリプリのエビとホワイトソースが絶品! あ、それとも先にお風呂入ってくる?」
嬉しくて嬉しくて、声が弾む。
ご飯の用意でも、お風呂の用意でも、すぐに出来るように私は立ち上がる。
「他に選択肢、ないわけ?」
「え、わ!?」
でも、雄司は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、そのまま私を引き寄せた。
大きくて広い腕に抱きしめられて。雄司の匂いにほっとする。
「俺は、美咲ちゃんが食べたいです」
耳で甘く囁かれて、力が抜けそうになる。
「……へんたい」
「変態で結構」
背けた顔。その所為で彼の真っ正面にきた耳は、格好の餌食で。ぺろりと舐められ、私は肩を震わせてしまう。
あとはもう、例によって例のごとく。いつも通り。私に拒絶することなんてできる筈もなくて。
食事もお風呂も後回し。そんなものは、些細な問題だった。
「美咲ぃー」
食器を洗っていると、後ろから雄司がべったりと抱き着いてきた。
大きな腕の中にすっぽりと入れられてしまい、雄司の匂いに包まれる。
触れ合う温もりが心地よくて、頬が緩む。
「もう、たまには後片付けくらい手伝ってよー」
文句の言葉も、ついつい甘い声になってしまう。
だって、幸せなんだもの。
「俺、不器用だし。美咲堪能係だから」
「なぁに、それ」
そう言う雄司は、私を抱き締めているだけ。
元々手伝いなんて期待していなかったけど、その答えについ笑ってしまう。
「仕方ないなぁ」
「そんな優しい美咲ちゃんがすきー」
幸せだった。
他愛のない会話。触れ合って、じゃれあって。
普通の恋人と変わらない。
でも、どこまでいっても、私達の関係は普通ではない。
第三者を――奥さんを気にして。周囲に隠して、忍ばなければいけない恋。
不倫なのだから。私は愛人でしかないのだから。恋人なんていう、可愛らしくも純粋なものでもない。
許されない関係だというのは、分かっていた。それでも、私は雄司と一緒にいたかった。
雄司も同じ気持ち。だから、私たちは同罪。
不倫という名の罪を背負って。
後ろめたさ?
そんなもの、彼と一緒にいられるのなら、いくらでも耐えられた。
ああ、しかし。
「来週は、あいつの誕生日があるから。ごめん、来られない」
どうやっても、私は彼の一番にはなれないのだ。
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