01.暗い色を湛えた瞳に、睫毛が影を落としている
美しく整えられた部屋は、この部屋の主の為に――妻になる女性の為に、王が自ら手配したものだ。
部屋だけではない。この屋敷そのものが、彼女の為に作られたものだ。
それだけあって、ここは宮中の中でも、とても凝ったものになっていた。
そんな広い部屋の端でただ佇んでいたのは、まだ成人になるかならないかくらいの年若い女だった。
哀しげな雰囲気を身に纏いながら、ただ一人、静かに俯いていた。長い髪が顔へと掛かっている所為で、その表情の全てが隠されている。
その所為で確かなことは分からないが、彼女の顔は窓の外へと向いていた。
おそらく彼女が見ているのは、ここではない。もっと遠く、自分の生まれ故郷なのだろう。
外から吹き込んでくる風が、彼女の髪を揺らす。それでもそれは、彼女の表情を露わにすることはなかった。
「カノンさま、風が大分もう冷たくなっております。お風邪を召されてはいけませんので、窓を閉めてしまってもよろしいですか」
そっと静かに声を掛けると、僅かにだが視線はこちらへと向いた。
その儚げな表情に、息を飲みそうになるのをユエルはなんとか耐える。
小さく頷いたことを確認すると、埃が立たぬように窓を閉めた。
そんなユエルの様子を、カノンはただ虚ろな瞳で一瞬見ただけだった。
カノンの視線は、常に俯いていた。彼女がこの城に来て、ユエルが執事として彼女の世話をするようになってから、笑った所を見たことはまだ一度もない。
多分、それはユエルだけにではない。他の誰もになのだろう。
男である自分がその世話を多く焼いていることを考えると、他の人間にはもっと心を開いていないではないだろうか。
「私の国は……ああ、もう国じゃなかったわね、あそこは今どうなっているの?」
寂しげな声に、ユエルは我に返る。
その桜色の唇が、それだけ言葉を紡ぐのは久しぶりのような気がした。
視線は、相変わらず下を向いたままだった。それでも、少なからずユエルのことを意識して、顔は上がっている。
久しぶりに見えたその顔に、ユエルは静かに呼吸を整える。
意識していなければ、本当に息を飲むような美しさ。王が強引に自分のものにした気持ちがよく分かる。カノンに惹かれない男など、いないのではないだろうか。
「……相変わらずでございますよ。王が変わった以外には、何も変わりません。カノンさまのお父君もお母君も、ご健勝だとお聞きしております」
「そう、だったら良かったわ」
ほぅ、と静かに漏らされた安堵の息。そこに見え隠れする感情に、ユエルは心が痛むのを感じた。
カノンが姫だった国を、この国の王がつい最近征服した。それ故に、彼女の国は実質的にはこの国の支配下にある。
この国との間の戦争で、カノンの国は多くの戦死者を含む犠牲を出した。カノンにとって、この国の国王こそが憎むべき対象だった。
しかし、カノンを見初めた国王が強引に彼女を自分の妃に迎い入れた。
征服されたこともあり、拒否権などなかったが、自国や父母などの安全を約束するという条件で、彼女はそれを飲んだのだ。
「私は、ここで一生を終えるのね……」
小さく落としたようなその声は、無意識だったのだろう。そして、声に出したことすらカノンは気付いていないようだった。
堪え切れない暗い色。落した視線さえも、美しかった。
(誰か、彼女の心を――)
2009.12.12