思い出さずや忘れねば 沖神のプロポーズ。 宇宙で消息を絶った神楽と富士山に登る沖田。 |
三十秒程度のニュースは誰にも聞き留められることなく流れて、すぐに海産物特集に変わった。沖田は食堂のテレビにくぎ付けになったまま、味噌汁を飲むのを忘れて中途半端な体制で呆けていた。ほとんどの視聴者には関係のない、天人の操縦する個人の宇宙船が銀河系のどこかで消息を絶ったという、それだけの情報だった。 「どうしたんですか隊長」 向かいに座った隊士が味噌汁の椀を掲げている上司を見て不審そうに尋ねた。沖田はニュースの内容を伝えようとしたがやめた。 神楽が宇宙に出たのは四年か五年は前で、この隊士は去年入ってきたのだから、その存在すら知らないはずだ。沖田は平素の顔で味噌汁をすすり、なんでもねえと言って誤魔化した。隊士は深くはツッコまず、から揚げを咀嚼しながら「海鮮食いてえっすね」と食堂のおばちゃんを怒らせそうなことをのたまっていた。 目の前の隊士にとっちゃなんでもない三十秒であるのはもちろん、沖田にとっても古い知り合いが消息を絶っただけのことで、もう会わないだろうという気持ちでとっくの昔に見送ったじゃないかと切り捨ててしまえばそれまでだ。 沖田はずっと隊服の内ポケットにあるおもちゃを探って胸元を抑えた。 四年か五年の間、沖田は神楽を忘れたことなどなかったのだ。ただの一度も。 「俺の有給って結構たまってます?」 「あ?無断欠勤とサボり分で全部消化してるわ」 「まじかー」 「仕事戻れよ。昨日までの書類どうした」 「どうしたっけなァ」 すっかり忘れていた不都合を引っ張り出されてとぼけると、土方のこめかみに青筋が浮いた。土方が憤死する時はおそらく自分が原因だと思う。 有給がないことが分かったので勝手に特休を使おうと決めて、荷物を詰め込んで屯所を出た。行く宛はなかったが、できれば宙に近いところが良い。少し考えて、沖田は寝台列車のチケットを買って、甲斐行きの最終電車に乗り込んだ。 どこでも寝られるのが取り柄だが、今は目が冴えていた。古いカーテンの隙間から射し込む眩しいくらいの月明かりに目を細める。窓の外を見れば江戸を抜けて稲穂が実り始めた青い田んぼが広がっていた。今日は満月で、大きな丸い天体が流れていく景色の中で唯一追いかけてくる。 固い寝台で清潔とは言えない布団に包まって、今宇宙のどこかを揺蕩う神楽を乗せた船のことを考えていた。生きているのか死んでいるのか、それを知る術がない。沖田は神楽がどこで何をしているかなんてこの五年間ずっと知らなかったのに、ただ広大な宙の中で誰にも関知できない場所にいるというだけで、心臓がざわざわと落ち着かない。 渡せなかったおもちゃの指輪。 沖田が十八歳、神楽が十四歳だった頃、祭りの夜店で神楽が欲しがっていた最後の一つを、欲しくもないのに掻っ攫ったもの。あげる気なんて毛頭なくて、少しは普通に喋れるようになった頃には神楽におもちゃの指輪なんて相応しくなくなっていて、クリーニングに出していた隊服のポケットから出てきた、プラスティック製のそれを見つけた時に、全部腑に落ちてしまった。 その感情は絶望に似ていた。今更どうしようもないというのに、出会ったときから、大嫌いで、大事にしたくて、惚れていたなんて。 * 富士山の麓は開山日すぐということもあってか、早朝にもかかわらず賑わっていた。登頂口から遊歩道を黙々と歩いていたが、たまに声をかけてくる人間は、単身、軽装で登山する沖田を自殺志願者か何かだと思ったのだろう。沖田はそこはかとない絶望を抱えながら、そんなことは毛頭考えてもいなかった。自分で綺麗に幕引きをできないからこそ、死というものが恐ろしいことを知っていた。 半日かけて山頂に着いて、すっかり登った太陽を無感動に眺めながら、沖田は袂にしまっていた指輪を取り出した。 底にアルミ箔を貼った偽りのダイヤが光っている。嫌がらせという形で目的を果たし、ずっと記憶の彼方にあったそれは、ポケットの中で変わらずにあったはずだ。 沖田は手持ちのライターに着火して、指輪に近づけた。 瞬間、眩い閃光と轟音が辺りを覆う。 瞬時に頭を抱えて受け身をとり周囲を見渡すと、今沖田が立っていたすぐ側に、富士山頂の大自然に似つかわしくない人工物が突き刺さっていた。 「イテテ……」 煙を上げる小型の宇宙船はひしゃげている。乗っていたのが人間なら中もお陀仏だろうが、この船の運転手はちょっと転んじゃった、くらいのテンションで中から這い出てきた。 沖田は尻餅をついたまま、目を丸くしてその様子を間抜けに眺めていた。戦場でだって変わらなかった心拍数がみるみる上昇するのを感じる。 鉄の塊になり果てた宇宙船から登場したその女を、沖田はよく知っていた。 「チャイナ」 青いビー玉みたいな目がこちらをとらえる。かじかんだ手から、今しがた燃やそうと思っていたプラスティックの指輪が零れ落ちた。 「帰ってきて最初に会ったのがお前かヨ。つーかココどこ?」 「……富士山」 「マジでか。江戸目指して不時着するつもりだったのに、座標見誤ったアル」 「テロかよ。人いねえとこに降りろ」 「銀ちゃんの友達は万事屋に突っ込んできたヨ」 「旦那の友達テロリストばっかだもんな」 「そいつはテロリストじゃなくて社長だったアル」 富士山の山頂に降り立っておいて緊張感のかけらもない神楽は、沖田の無用なセンチメンタルを吹き飛ばすように鼻で笑った。 なんて女だ。こっちの気も知らねえで。 「おなかへったネ。なんか寄越せヨ」 ふてぶてしく右手を差し出す神楽に何を言う気も起らなくなって、嘆息してリュックサックからカップヌードルを二つ出した。 「で、お前はここで何してるアルか」 湯を入れて三分待ったカップヌードルを二秒で吸い込んだ神楽が、沖田の手元で湯気を立てる容器を物欲しげに眺めている。 沖田はそれを無視して小さいフォークで麺をすくって啜った。 「……追悼的な」 「誰か死んだアルか?」 「それが死んでなかったんだよなァ」 追悼のはずだったが。死んだと思ったこいつは生きていて、もう会えないと思ったのに最短距離で突っ込んできた。神楽は要領を得ない答えに眉根を寄せて首をかしげている。 「お前行方不明扱いになってたけど」 「ウソ?!」 「なんも知らねーのか」 「銀ちゃんと新八は?」 「あー、ニュース見てたら通夜状態かも」 「そんな大々的にニュースになってるアルか?」 「いや、三十秒くらい。あ、電話すりゃいいんじゃね」 しまいっぱなしになっていた携帯を渡すと、画面を見た神楽が顔を顰めた。 「着信めっちゃ入ってるけど。ストーカーでもついてるアルか」 「どうせ土方だろィ。そう言や電波来てんのかここ」 「5Gアル」 「すげえな」 どうでも良い会話をしながら神楽は慣れた手つきでキーパッドに番号を打ち込んだ。耳に当ててしばらくしてコール音が止む。 「あ、もしもし新八ィ?……うん、今地球アル。……地球のどこ?えっとー、富士山」 縮尺がデカすぎるのはこの際良いとして、でかい地球の富士山の山頂で邂逅したという事実が笑えてくる。 「あー、なんか沖田がいたネ……いや、わかんないけど。明日あたり帰れるんじゃないアルか。うん、……はーい、バイバイ」 実家に帰省の連絡をしたような気やすさで電話を切って、「ニュース見てないみたいアル」と安堵したように膝を抱えた神楽に拍子抜けする。本人すら行方不明だったことに気づかず、地球の実家ですらそんなものか。富士山にまで来てしまった自分が馬鹿みたいではないか。 釈然としない気持ちで、伸びた麺を無理やりフォークに絡めて咀嚼して、ぬるくなったスープを飲み干した。 なんとなく気まずい沈黙の時間を過ごしてゴミをまとめて、じゃ、帰るか。そう言おうとしたはずだった。 「結婚しねえ?」 え?と困惑して漏れた声が重なる。沖田は自分が言ったことを反芻して首を傾げ、神楽は藪から棒に降ってきたプロポーズに面食らって一歩引いた。 「……高山病?ってそういう症状あったっけ」 「……や、待て。整理するから」 沖田は滑らせた口を抑えるように右手を唇に当てる。自分が発した言葉の整合性を求めて、足りない脳みそを絞っていたが、そのうちに限界を感じて考えるのをやめた。 「おめーが、」 沖田の一の句に神楽はまん丸の目を見開いてじっと見る。言葉に詰まって一度唾を飲み込んだ。 「おめーが、俺の知らないところで勝手に死ぬのが我慢ならねえ」 もっと他にもあるはずだったが、今はこれが一番だった。 命を握り合っているはずだった。沖田の獲物は神楽で、神楽の獲物は沖田だった。沖田と神楽はずっと昔に、誰にも負けないと約束をした。 それが反故にされそうになったから、目に見える手綱が欲しかった。 「……それは同意するネ」 神楽が不服そうに頷いた。 「互いにこんな稼業だし、いつ死ぬともわかんねーから」 姉はいつ死ぬともわからぬ身を抱えて土方に気持ちを伝えたし、土方はいつ死ぬともわからぬ身を憂いて姉の気持ちを拒絶した。沖田はそのどちらも肯定も否定もできずにいる。それでも、その二人が理想の形のように思えていたから、沖田は一歩を踏み出せなかった。 「お前絶対私のこと好きアル」 「……どうだろうな」 「私は別にお前のこと好きじゃないアル。ムカつくしウゼーし優しくないし」 揶揄うような声色ではなかった。呆れたように、仕方ないなあと受け入れるように、神楽は沖田を罵倒した。 「ムカつくとかウゼーとか髪掴んで引きずり倒したいとか色々あるけど、」 惚れてる。 恋なのか、愛なのか、沖田にはわからなかった。その等身大に、凛とした強さに、惹かれていることを言語化するのであれば、それだけだった。 神楽の瑠璃の瞳を真っ直ぐに見て沖田は言った。 神楽は腑に落ちたような顔をして笑った。 - - - - - - - - - - お題サイトから。スプートニクに続きます。 |