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沖神の新婚旅行。

 広くはない、どちらかと言えば狭いのかもしれない。リクライニングの一人用の席に座りながらそう思った。宇宙船に乗るのはこれが初めてで、宇宙旅行というのも未知であった。物心ついた時にはすでに天人が襲来しており、比較的宇宙は身近であったのに、自分が宇宙に行くことは想像もつかなかった。
 月までは大体4時間ほどで着くと言うから、リクライニングを使うまでもないかもしれない。
「ワープとか……そう言うのはねーのか」
 誰に聞かせるでもない独り言を聞き留めたのは寝ていると思った見ず知らずの隣人である。
「地球から月までは距離が近すぎて無理だよ。加速してる途中で月に着いちまわァ」
 多少面食らいながらへえ、そうですかと相槌を打つ。江戸の人間のこういった距離感は、未だ慣れないながらも好ましい。
「ワープするなら月で乗り換えて、その先じゃないか?惑星間の移動ならどこへ行くにもワープするだろう。よほど旅費をケチらなきゃな」
「いや、月に用事があるんでさァ」
 沖田の返事に隣の男は眉をひそめる。沖田は月に行ったことがないが、月旅行、と言うのは地球でも聞いたことがない。
「月に?あんなとこ、生命もなけりゃ文明もないぜ。乗り換え用のターミナルの他に簡易ホテルが数件あるだけじゃねえか」
「ええ、それがいいってんで」
「?」
「妻が。新婚旅行でさァ」
「ええ?あんた、奥さんをどこに置いてきたのさ」
 男は狂人でも見る目で沖田を眺めた。狂っているとしたら沖田ではなく、銀河系の彼方から来た強烈な女なのだが、新婚旅行で月に、しかも単身で向かうと言い張る沖田も、この男には充分おかしく見えるのだろう。
 新婚旅行に月を指定したのも、仕事が間に合わず一方的に現地集合を告げたのも神楽だった。事実は事実として、隣人は新婚旅行自体が冗談だと思っているようで、特に説明する義理もないので話を流す。
「俺ァ月には行ったことがないんですが、観光向きじゃねーんで?」
「観光するにも土地がないよ。開国して三十年も経つのに、よく知らずに生きてきたねえ」
 結婚指輪の付いていない左手を口元に当て、沖田は確かに、と思った。江戸のことはよく知っている。攘夷浪士の溜まり場になる恐れのある廃墟、ガサ入れ対象の風俗店、はたまた、野良猫の縄張りまで。
 沖田は宇宙を知らなかった。沖田に宇宙を持ってきたのは、宇宙人の少女であった。
「自分が宇宙に行くなんて、思わなかったんでさァ」
 物心ついた頃、宇宙はすでに手の届くところにあったというのに。



 4時間のフライトは、少しの会話と少しの睡眠で終わった。着陸の振動に起こされ、まず見えたのは荒廃した土地である。
「こりゃ……」
 何もない。サラサラした砂を、飛ばすような風もない。静が支配した星である。入国手続きを終えて、簡素なターミナルを出ると、乗り換え待ちの人々の中で鮮やかな色彩の女が待っていた。
「ヨ!早かったアルナ」
 まるで昨日ぶりのような挨拶をする神楽は変わりなく、感動の再会を期待したわけではなかったが、随分あっさりしたものである。
「お前は連絡が遅すぎでィ」
 神楽から休暇が取れたと手紙が来たのは丁度一週間前で、新婚旅行を提案されたのもその時だった。土方に刀を突きつけて有給をもぎ取ったのも記憶に新しい。思いの外すんなり許可されたのは良かったが、いらぬ気を回されているのもそれはそれで癪であった。
 来れたんだからいいダロ、と未だそんなに上手くならない日本語で悪びれずに言う神楽は、大きな荷物を背負ったままさっさと歩き出した。
「見せたいものがあるネ」
 沖田を顧みることもなく、自分勝手に歩く神楽に着いていく。月の時間の流れは地球のそれとは異なるのだろうか?時計を見たわけでもないから確かめようもないが、体感時間も変わるだろうか。取り止めもないことを考えて、辞めた。元より頭を使うのは苦手である。
 ターミナルから離れれば人の気配もなくなった。ポツポツと見られたビジネスホテルも、ターミナル周辺だけに集中して建てられていたのだろう、あたりには何もなく、二人はただ歪な地平線に向かっていた。

「着いたアル」
 ようやく振り返った神楽が、沖田の向こう側に視線を向ける。つられて振り向けば、真っ暗で底の見えない闇にぽっかり浮かぶ、地球が在った。
「綺麗ダロ」
 得意げに言う神楽を見れば、まん丸の紫の瞳が瑠璃色の球を映して、奇妙にゆらゆら揺れていた。吸い込まれる、なんて。あり得もしない馬鹿げたことを感じて、誤魔化すように目を逸らした。
「見せたかったっつーのは、これかィ」
「そうヨ。私たちの帰る星ネ」
 大股で一歩、急ぐように神楽の隣に立つ。二人横並びで、青い大理石のような星を眺めている。
 人は死んだら星になるのだと、むかし姉は言った。その姉が死んだとき、沖田は初めて姉の言ったことを疑った。人は死んだら、骨になって、土に埋まるのだ。それだけのことだ。
 何の情緒も救いもない死生観を引っ提げて、人を斬って生きてきたが、姉の言うことはやはり本当だったらしい。ちっぽけな衛星から見た、広大な宇宙の中で、一際美しい自分たちの星には、姉の骨が埋まっている。人は死んだら星になるのだと、ようやく腑に落ちた。
 壮大な伏線を回収された気分だった。神楽と出会わなければ、宇宙に出ることも、外から地球を見ることもなかったであろう。
 地球を眺める神楽の横顔をそっと見た。いつだってこの女は、先陣切る沖田の隣で戦っていた。沖田はこの横顔に惚れたのだった。
 なあ、と声をかければ、陶器の人形のような顔がこちらを向いた。
「結婚指輪いらないっつったよなァ」
 袂の青い小箱を取り出した。丸みを帯びたそれは母星のようだ。
「作っちまった」
 ついうっかり。小箱を開いて、華奢な方のリングを、怖いほど白い指にはめた。
「うっかり作った割にはぴったりネ」
 納得いかないように不満げな声をあげるが、それでも少しは嬉しいのか、口元を緩めながら、指輪のついた手を握ったり開いたりしている。ただの男の自己満足に、意外と可愛い顔をしてくれる女なのだ。
「俺の刀。菊一文字。あれ潰して指輪にした」
 十八の時に初めて購入した銘入りの刀は、死地を切り抜け沖田を生かし、一生の友のように思っていたが、新政府の混乱の中、騙りとはいえ切腹を申しつけられた時、短刀に誂え直してしまった。あそこで真選組の沖田総悟は一度死んだ。もう実戦には使えないその刀を、溶かし、延べて、白金に挟んで指輪に仕立てた。神など信じてはいないが、自分をここまで生かした刀に神楽への加護を期待して。
 二人ぼっちで形ばかりの誓いを交わした男女の帰る星は、三八四、四〇〇キロメートル先で、仄かに青く光りながら、つつがなく回り続けていた。
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