幸福論


背中ドンに続く沖←神。


 世の中が崩れていく音が、人々が滅入っていく気配が、濃厚にある。世界が変わり行く中で、風呂場の曇った鏡を掌で擦れば、夜兎特有の自分の白い肌は、つるりと元の通り写っていた。兄とやり合った時の傷はもうすっかり消えてしまっている。
 バスタオルで身体を拭いて寝間着にしているチャイナ服を着て、髪も乾かさず居間のソファにダイブした。家主はまだ帰らない。ここのところ万事屋も閑古鳥が鳴いていて、金もないのに銀時はどこにいるんだか不在がちだ。
 それでも帰る場所があるだけマシだろう。神楽は天人で、元々は地球に受け入れられる立場ではなかった。
 ソファに寝そべりながら戯れてくる定春をいなす。
「定春ゥ、散歩行く?」
 お風呂に入ってしまったけれど、結局髪を纏めて服を着替える。何ができるわけでもないのに、ここで家主の帰りを待つだけでいるのは嫌だった。
 ひったくるように傘を掴んで、急いで履いたカンフーシューズは踵を踏んでしまったので、定春に跨りながら履き直す。どこに行く宛もなかったが、誰を目指していくのかは明確だった。
 定春は神楽の意思を察したように、神楽の行きたい方向へ走る。通り過ぎた屯所は規制線が張られていて、人の気配はない。一週間前から変わっていない。それを横目に奥まった路地裏に入れば、治安の悪そうな男たちに囲まれた、見慣れた制服が、一人立ち塞がっている。
 先陣を駆ける黒い背中。いつも大勢の部下を引き連れているのに、その後ろに続く者は今日は誰もいない。
 こんなに小さかっただろうか。こんなに頼りなかっただろうか。
 去勢を張るように固くした肩の線が、今日はずいぶん狭く感じた。
 どうしてその服を着ているの。どうして刀を抜こうとするの。警察のレッテルを剥がされて、もう意味をなさないその象徴に、どうして執着しているの。

『世の中ってなァ紙一重だぜ。アイスの棒の当たり外れも、おめーが旦那の敵になるも味方になるも、俺が警察になるも人斬りになるも』

 神楽の嫌いな男は、昔そう言って自分を怒らせた。
 それは一理ある。だって現に、彼らが守っていた正義は否定されてしまった。沖田の帰る場所は、なくなってしまった。
 神楽が定春の頭を撫でると、定春は一つ吠えて、真っ直ぐに走り出した。
「どけヨ。散歩の邪魔アル」
 男どもを蹴散らして振り向けば、不意の襲来者に困惑して眉尻を下げた沖田と目が合った。
 世の中が変わってしまっても、天人の神楽の帰る場所がここにあるなら、警察であったこいつが人斬りになる道理があるはずないのだ。
 形は変われど、神楽とその親友が無事江戸に帰って来られたのなら、こいつが守ったことには変わりないのだ。
 そのことにこいつは気づいているのだろうか。教えてやらなくちゃ。沖田が知らなくても、神楽は知っているのだから。

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運命論の続きです。
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