割烹着ヒーロー | ナノ


▼ 四百四病より逃げの苦しみ

 ささやかな飾り付けと、いつもよりほんの少しだけ豪華な食事と、子供たちの笑顔に囲まれたクリスマス。
 まさか名前も知らなかった国でクリスマスを過ごすことになるとは。去年の私は想像もしなかったし、なにより去年の私は元カレと過ごしていた。ちょっといいレストランで、美味しいシャンパンを飲んだりして。この人と結婚したいな、なんて甘い想いに浸っていた。未来のことなど誰もわからないとよく言うが、この状況は想定外すぎる。

 とはいえ、幸せにはかわりない。
 逃げるように日本を発ったけれど、上杉先生と松永さんが色々手配してくれたおかげで生活には不自由していないし、国は違っても子供たちはひとしく愛らしい。やんちゃな子、大人しい子、甘えん坊、人見知りな子。
 日本とは違って、いつでも水道をひねれば安心して飲める水が出てくるわけではないから毎日井戸水を汲んだり、電気が来なくて発電機探し回ったり、壊れたものは自分で修理したり。毎日しゃにむに働いていると、余計なことを考えずに済んだ。

 ああ、幸せ。
 みんなでクリスマスソングを歌いながら、心から思う。

 隣のテーブルの上杉先生を見ると、慈愛に満ちた優しい笑顔を浮かべていた。きっと上杉先生も同じ気持ちなのだろう。穏やかな気持ちで、何度目かわからない乾杯をした。



 次の日の早朝、上杉先生の部屋を訪れると、既に身支度を済ましている状態だった。一週間前にクリスマスの翌日帰国するのだと聞いて、お礼も兼ねて空港まで送りたいと申し出た。日本にいる頃は実家に帰ったときか、友人たちと遠出するときしか運転しない半ペーパードライバーだったけれど、この国に来て毎日のように運転しているから、助手席で青ざめていた上杉先生を見ることはもうない。
 車内では、この国に来てからの話や、学生時代の思い出に花を咲かせた。上杉先生の英語は何故か平仮名に聞こえることも言おうかと思ったけれど、失礼にあたりそうだから黙っておく。野生動物がいつ飛び出してもおかしくないから、運転中に目をそらすことはできないけど、隣に座る上杉先生はいつものように静かに微笑んでいる気がした。

 あっという間に空港につき、改めて上杉先生にお礼を言った。深々と丁寧にお辞儀をしても、言葉をどんなに尽くしても、伝えきれない感謝がもどかしい。


「上杉先生、本当にありがとうございます。この恩をお返しできるように、頑張りますね」

「なにかあれば、すぐれんらくするのですよ。おまえは、わたくしのだいじなおしえご。いえ、たちばをかんがえれば、いんねんづくのかんけいですね」

「え?」

「ざんねんながら、どんなににげてもこのえにしはたちきれない。わたくしとつるぎのように、おまえもはらをくくるときがちかいうちにくるでしょう」


 上杉先生は、なにを、言ってるの。なにを、知っているの。
 細められたようにも見える切れ長の目が、まったく笑っていない。だというのに、声色だけはずっと優しいまま。哀れんでいるようにも見えたし、悲しんでいるようにも見えた。


「つよくなりなさい」

「つよく、ですか」

「ええ。こくなことをいっているのはじゅうじゅうしょうちのうえ。ですが、」

「なります」


 言葉を遮って、続ける。


「上杉先生、私、"まえ"よりずっと強くなりますよ」


 だから、そんなに苦しまないでください。
 上杉先生の手を取り、精一杯の笑顔をつくる。強がりでもいい。虚勢でもいい。崩れ落ちそうになりながら、奮い立った。


「お気をつけて、上杉先生」

「はい、ではまた」



******


 上杉先生が帰国してから数日が経った。しんみりとする暇などなく、子どもたちのために駆けずり回る日々を過ごしている。まだ言葉が不自由なところがある私の主な仕事は料理だ。大量の野菜を刻むのは少々骨が折れるし、配るための料理には色々制約があって大変だけれど、前向きに捉えれば工夫し甲斐がある。見たことのない食材に頭をひねることも少なくないが、みんなにおいしくて栄養があるものを食べさせてあげたい一心で、試行錯誤しながら料理をしていた。
 やっと一段落して、汚れた手を洗っていると、職員の人に呼ばれた。


「紫乃先生、お客様です」


 遠慮がちに小声で耳打ちされた。木々のざわめきと間違えてしまいそうなほど小さすぎる声がかすれ、聞こえづらい。体を傾け、耳をすました。


「若い男性なんですけど」


 瞬間、血の気が引いた。条件反射で浮かんだ顔に、返事をする声が震えた。嫌な予感がする。子どもたちはどこへ。
 あまり他の職員の人を刺激するのもよくない。落ち着いた素振りをして、駆け出したい気持ちを理性で抑えこんだ。


「紫乃、久しぶり」


 異国の空の下、私を見て笑った彼は、運動場で子どもとサッカーをしていた。
 子どもたちに一言いれ、私に駆け寄る。はにかんだ笑顔を見せる彼は、どこに出しても恥ずかしくない好青年だ。だけれど、ただの好青年であれば、ここにいるはずがない。


「子供たちには手を出さないで」


 開口一番、弱みになる言葉が反射的に飛び出した。
 強くなりなさい。
 上杉先生が別れ際に言った言葉を思い出した。

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