童磨
※黄泉帰り主が鬼滅の刃の世界に落っこちた話。
化け物の身体でなければ十は絶命している。
何度も腕を折られ、足を切られ、地獄へ突き落とされる。肺の内側からずたずたに切り裂かれるから、息を止めたままずっと走っている。考えろ、考えなければ。がむしゃらに走っていたって死なないだけでひどい目にあうだけ。というか現在進行形でそうなってるし。
見知らぬ夜の山の中、なぜこんなにも理不尽に殺されているのか。
私を追う男の正体はなんなのか。
あれは、あれこそが、化け物だ。
気づいたときには山の中にいた。水が流れる音、烏の羽音、虫が地面を這う音。様々な音の中、うめき声が聞こえた。
あれは、柔らかな笑みを浮かべ、柔らかな女の肉にかじりついていた。色っぽい話ではなく、文字通りの姿であり。説明を付け加えると、女は絶命し、身体はバラバラになって、かろうじて人の手足が残っている程度で、まさしく肉になっていた。
まず、声をあげなかったことだけは自賛したい。
だが、男の足元にかろうじて生きている女の人を見つけてしまった。迷う時間はなかった。男の背後にまわり、女性を抱き上げ、すぐに逃げる。私の脚力ならば可能だと判断した。
それが間違いだった。
結果、女性は死に、男に追われている。
戦っても勝てない。
逃げても追いつかれる。
嬲られ、甚振られ、その度に立ち上がって、ひたすらに走る。方角はすでに分からなくなっていたが、男にうまく誘導されていたようで、選択肢を奪われていく。
足を止めた途端、動けぬよう足を切られた。かろうじて切断を免れているが、本来あるべき場所におさまってはおらず、あってはならない方向に曲がっていた。直接地面に膝をつき、薄っぺらい慈愛の声を聞いた。
「弱っちいのに思ったよりしぶといね。鬼とも人間とも違うみたいだが、そうだな、食べてみればわかるかな?」
「そんな目につくもの手当り次第食べてたら腹を壊すよ、色男」
「わぁ俺のこと色男だと思ってくれるんだ、嬉しいなぁ。デートは、えーと今したから、じゃあキスでもしようか」
「さっきまで他の女を食べていた口がなにいってんのさ」
会話をしながら空を盗み見た。
化け物の身体が優れているのは再生力と馬鹿力だけじゃない。獣よりも利く夜目、鋭い聴力。その代わり味覚と嗅覚、それから苦痛と恐怖が死んでしまっていたが、おかげで非常識な目に遭いながらも幾分か冷静に考えられるようになっていた。
おそらく、私に男を殺す手段はない。鎌で胴体を真っ二つにしても生きていたし、それどころか楽しげに笑っていた。
次に、鬼と呼ばれる存在。それが目の前にいる男、なのだと思う。
そして最後に、男は太陽が弱点だ。時折空を見る動作。その目を追うと、月や東の空を見ていた。ならば、私にできるのは時間稼ぎだけ。
もう一度走り出す。ようやく男の攻撃に慣れてきた。一定以上の距離をとることはできないが、それでも足をむやみやたらと切られては地面に転がることはなくなってきた。とはいえ、手加減されているのもわかっている。男が本気になれば、化け物の身体を持った私でも逃げ切ることができない。
一瞬でも気を抜くことができない鬼ごっこに終わりを告げたのは朝日ではなく、そびえたつ高い崖だった。は、と短く息を吐く。え、これ、登れるか? いや、登っている間に腕や足を切られる。攻撃を避けながら登る? いやいや、今だって避けるのギリギリなのに。
「うーん、ここで嬲り殺してもいいんだけど、せっかくだし長く楽しみたいなぁ。君ももうちょっと生きたいよね。俺んとこおいでよ」
「は、殺せるもんなら殺してみろ。何度も殺そうとして殺せなかったくせに」
首が落ちた。
一瞬で視界が暗くなる。頭を潰されたと気づいたのは再生してから。
あ、虹色の瞳。見たことのない美しい目が愉悦に歪んでいくのが見えた。
「そうかそうか。ははは、確かにこれは殺せない。ならば、あの方に連れていかねばいかんなぁ」
気づけば腕を握られ、琵琶の音色とともに景色が変わった。
畳、障子、襖、梁。城内を思わせる建物の中。突然の非現実的な現実を目の当たりにし、判断が追いつかない。
青白い顔をした男が、私を、見下ろした。
ここは、私が先制をとらなければ。男の手が動く前に、口を開いた。
「嫁に来ないか」
べべん。
琵琶の音とともに追い出された。