「……俺が俊雄に近づいたのも、最初は復讐のためだったんだ」
愛の交わりを終えた僕と洋ちゃんは、体にべっとりと張り付いた絵の具をシャワーで洗い流した。
その後も、僕らは裸のままベッドに寝転がって甘やかな時間を過ごす。
洋ちゃんの大きな手は、僕の手をぎゅっと握って離さない。
「でも一緒に生活していくうちに、俊雄がどんどん愛おしくなって……」
「うん……」
「何度も何度も、お前を傷つけようと画策したのに……なかなか実行できなくて」
「ん……」
「でも、今ならその理由がよく分かるよ」
僕も洋ちゃんに応えるように、きゅっと手を握り返す。
「俺は最初から……お前が嫌いなわけでも、憎いわけでもなかったんだ……」
幼い頃から胸に秘めてきた想いを語る洋ちゃんの顔は、憑き物が落ちたように晴れやかで。
「ずっと認められたかったんだよ、お前に」
「……そっか」
「昔は、ライバルとして。今は──恋人として」
こんなにも穏やかな笑顔を見せられたら、僕だって自然に笑みが溢れてしまう。
「ふふ……」
「いつも近くに俊雄がいたのに、今日まで気づけなかったんだ。俺は馬鹿だったよ、本当に」
「んっ……」
突然、僕の頬にちゅっとキスが落とされた。
そのキスは行為への充足感と、労りのキス。
そこに言葉はいらなかった。
言わなくても分かる──だって僕たちは約三年もの間、お互いを愛してきたのだから。
僕はそっと瞳を閉じる。
するとそれを見計らったように、洋ちゃんの唇が僕の唇に重なった。
「ん、……ふぁ……!」
洋ちゃんの舌は強引に僕の唇をこじ開けて、中への侵入を目論んできた。
僕は慣れないながらも、必死に彼を受け入れる。
「はっ、ん……んむっ……」
「……」
「はぁっ…ぁ、……洋ちゃっ……!」
「ははっ、俊雄……」
僕が苦しげに息を荒げると、洋ちゃんはクスクスと笑った。可笑しそうに。
「俊雄……後ろはすごい上手だったのに、キスはヘッタクソなのな……はははっ……」
「……なっ!!」
あ、あたりまえじゃないか!
だってキスなんて、洋ちゃんとしかしたことないのに!
僕はからかわれた腹いせに、ぷいっと不機嫌そうに顔を背けた。
「拗ねるなよ……俺はお前の“初めて”を奪えたことが嬉しいんだ……」
「……」
「まぁ、後ろは自分で開発しちゃったみたいで少し残念だけど……キスは俺が一から仕込んでやるから」
「も……洋ちゃんのバカ……!」
「ははは」
笑う洋ちゃんの吐息が、首すじにかかる。
──ああ、幸せだなぁ。
こうして洋ちゃんと一緒に笑っていられるなんて。
ずっと彼の腕の中に包まれていたい。
でも、僕たちにはあと一つだけ、大きな試練が残されている事を忘れてはならない。
「……ねぇ、洋ちゃん? ずっと気になってる事があるんだけど」
「ん、なんだ」
これは今すぐどうにかしないといけない問題だ。
僕は包まれた腕の中から彼を見上げるようにして、言葉を続ける。
「僕らがエッチした場所……まだ散らかったままだよね?」
「……!」
「絵の具とかもぶちまけたから、早く拭いておかないと……」
「……っ!」
「それに朝までに片付け終わらせないと、その……洋ちゃんのお父さんが……」
「あああぁああ……!」
玄関先で事に及んだことを本気で後悔しはじめる洋ちゃん。
真っ青になって片付けに走る彼が、なんだか少し可笑しかった。
◇
あれから、数日後。
僕はいつものようにアトリエに篭ってキャンバスに筆を走らせている。
先日まで描いていた絵は無事に完成し、自分でも満足のいく美しい作品に仕上げることが出来た。
それは、きっと──。
「よ、俊雄」
そう、きっと彼のおかげだ。
「洋ちゃん、今日は早いんだね?」
そっと僕に近づいてくる、聞き慣れた彼の声。
──彼は、野上洋太。僕と同じ高校に通う同級生。
「ああ。でも家のことはちゃんと一通り終わらせてきたぞ」
「ふふ、お疲れさま」
そして、僕の大切な恋人。
「ねぇ、洋ちゃん」
僕は笑って、彼に手招きする。
「ん、どうした俊雄」
「あの絵が仕上がったら、洋ちゃんに一番最初に見てもらいたいと思ってたんだ」
「……?」
僕はそのキャンバスの前に立つよう彼を促した。
先日仕上がったこの絵には布がかけられている。誰にも見られないようにと、僕が前もって掛けておいたのだ。
「布、取ってみて」
「ああ」
洋ちゃんは僕に言われるがまま、そっとキャンバスに掛かった布を持ち上げた。
布の下に隠された絵が、少しずつ露わになってゆく。
「──っ!」
「どう、かな……」
僕は少し照れながらも、ちらりと彼の表情を覗う。
その彼の目は、ずっとずっと僕の絵を見つめていた。
「あぁ……すごい……」
洋ちゃんがポツリと呟いた。
感嘆の声を漏らして、僕の絵をその瞳に映しながら。
「綺麗だ……すごく、すごく」
この絵の題名は──『僕の恋』。
僕が愛してきた、夕焼けの秋空と、紅に染まる庭の草木と、絵の具臭いこのアトリエと。
「本当に……美しい絵だ」
他の誰でもない、たった一人の恋人──。
「ありがとう、洋ちゃん」
僕は、笑う。
「僕はこの絵が入賞することよりも、雑誌に取り上げられることよりも、有名な先生に褒められることよりも……」
「……」
「洋ちゃんに褒められることが……何よりもいちばん、嬉しい」
「俊雄……」
洋ちゃんが僕の名前を呼んだ。ようやく、僕の視線と彼の視線が、交わる。
そして──。
「んっ……」
そのままキスをした。
唇へのキスは、愛情のキス。優しくて慈しむような、情愛のキス。
「愛してるよ、俊雄」
「ん……僕も、洋ちゃんが世界で一番好き」
──愛してる。
真っ白だった僕たちのキャンバスに、新たな一筋の赤い糸が描かれた。
了
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