「先生、彼が来ていますよ」
「うん、わかった。あともう少しだけ待ってって伝えてくれる?」
「わかりましたー」

僕──笹川俊雄は、高校三年生でありながら『先生』と呼ばれている。

「先生、愛されてますねー」
「あはは、やめてよ」

趣味で絵を描いていた祖父に影響されて、物心付いた頃から絵を描き続けてきた。

そのおかげか幼い頃から数多の賞を受賞し、高校三年の今現在で『先生』と呼ばれるほどになった。

今は両親に与えられたアトリエも兼ねているこのマンションに一人暮らし。
いくつもの雑誌にも取り上げられて、自分で言うのもなんだが学校では軽く有名人扱いされている。

「よ、俊雄」

僕がキャンバスに筆を走らせていると、突然、男の声が僕の名前が呼んだ。
その声の主はスタスタとこちらに歩み寄り、ひょこっと僕の視界へと顔を出す。

「洋ちゃん、どうしたの? 今日は遅くなるから放課後は会えないかもって……」
「ん、いや……ちょっと、お前が絵描いてるの見に来た」

そっと僕に近づいてくる彼は、野上洋太。僕と同じ高校に通う同級生。

「そうなんだ……でも洋ちゃんはつまらなくない? そうだ、リビングで待っててよ。お茶淹れてあげる」

──そして、僕の恋人。

「いや、いいよ。俺はお前の絵が好きなんだ」
「洋ちゃん?」
「それと……絵を描いてるお前の顔も好き」

数人のお弟子さんの前で恥ずかしげもなくそんなことを言う洋ちゃんに、僕はカッと頬を紅く染める。

「そういう恥ずかしいことは人前で言わないでよ……!」
「はは、顔真っ赤」
「もう! 邪魔しに来たんなら怒るよ!」
「ごめんごめん、ははは」
「洋ちゃん!」

洋ちゃんは僕が真剣に怒っている関わらず、ケラケラとおどけたように笑っていた。

僕と洋ちゃんは高校一年生の頃からの付き合いだ。恋人同士になってもう約三年にもなる僕たちには、お互い秘密なんてないんじゃないかってくらい仲が良い。

けれど、僕にはひとつだけ悩みがあった。

「俊雄が元気そうでなんか安心した。今日のお前、ずっと上の空状態だったし」
「……!」
「絵で切羽詰ってんのかなーって思ってたんだが、お前の元気な姿を見られて良かったよ」
「洋ちゃん……」

その悩みは僕の仕事とは全く関係はなくて──むしろ、洋ちゃんとの関係の話だ。

「じゃあ俺は家に戻るよ。心配して様子を見に来ただけだからな」
「……っ」

僕と洋ちゃんは恋人同士だというのに、まだ一度も体を合わせたことがない。
こんなことを学校の友人に相談するわけにもいかず、悶々とした日々を送る毎日。

僕たちの関係を知るお弟子さんに一度だけ悩みを打ち明けてみたことがあったが、お弟子さんには『大切にされている証拠ですよ』と茶化される始末。

性についてめっきり疎そうに見える僕だって、さすがに思春期の欲求が起こらないわけじゃない。
洋ちゃんの声や視線で興奮し、夜な夜な自慰にふけることもしばしば。

──だから、今夜は。

「よ、洋ちゃんっ……!」

洋ちゃんとセックスするの嫌じゃないよって、怖くないよって。

「この絵ね、もうすぐ終わるの! だから、だから終わったらすぐ、洋ちゃんの家、遊びに行くねっ……!」
「俊雄?」
「だって今日、洋ちゃんのお父さんはお仕事で家に帰って来ないんでしょう? だ、だから……っ」

ああ、僕はなんてはしたない事を言っているんだ。しかも数人のお弟子さんの前で。
今の僕、絶対真っ赤でいやらしい顔してる。浅ましい奴だと思われたらどうしよう。

僕は涙目になりながらも、おずおずと洋ちゃんへ視線を向ける。
すると、そこには──。

「……俊雄……えっと、うん……待ってる……」

ちょっと困った風な、洋ちゃんの顔。
もしかして僕と同じように照れているのだろうか。

「うんっ……頑張って、早く終わらせるようにするねっ……!」

ああ、どうしよう。すごく恥ずかしい。
すごくすごく恥ずかしいんだけど──でも、こんなにも……嬉しい。


 ◇


「先生、お疲れ様でしたー!」
「おつかれさまー」

今日中に仕上げるはずだったのだが、あと少しのところで集中が途切れてしまった。

こうなっては僕は筆を握ることが出来ない。こんな悶々とした気持ちで色を付け続けたって、見劣りのする酷い作品が出来上がるだけだからだ。

「ふぅ……」

僕はため息を吐いて、自分の使った道具の後片付けに取り掛かる。

「そんなにため息ばかり吐いて、幸せが逃げてしまいますよ?」

一人のお弟子さんが笑ってそう言った。

「え? 僕、そんなにため息吐いてた……?」
「はい。絵を描いてる最中もずっとでしたよー」

ああ、しまった。絵を書いている最中に余計なことを考えてしまうなんて。

「あともうちょっとで完成するはずだったんだけどなぁ……」

僕の絵は、僕の心を映しだす鏡。
だから僕が絵を描いている最中は、絵のみに没頭する無我の境地でなければならないというのに。

「ふふ、でも今から洋太くんの家に行くんですよね?」
「洋太くんに慰めてもらえばいいんですよ! 心も体も!」

僕を元気づけようとして、みんなが僕を茶化して笑う。

僕を想ってのことなんだろうけど、洋ちゃん絡みで茶化されるのは恥ずかしいし、それに……例の“悩み”のこともあって、何ともやるせない気持ちになる。

「みんなして僕をからかうのはやめてよー!」
「あはは! 先生、顔真っ赤ですよ!」
「もう!」

ああ、夜も更けたこんな時間に恋人の自宅に行くなんて、なんてかぐわしく甘美なことだろうか。

洋ちゃんが僕を大切に想ってくれていることはよく分かっている。
それはすごく嬉しい。すごく嬉しいんだけど、でもやっぱり恋人として今夜こそは。

「先生? どうしたんですか?」
「……っ!」

ああ、いけない。弟子たちの前で卑猥な妄想に耽るところだった。
まさか自分の体がここまで欲求に忠実だとは思いもしなかったもんなぁ。

「ほらほら、先生! 早く洋太くんのお家に行ってあげなきゃ。洋太くんきっと待ちくたびれてますよ」
「……そ、そうだね!」

弟子のみんなが早く洋ちゃん宅へ行くよう僕をそそのかす。
彼らが片付けを手伝ってくれたおかげか、僕は早急にアトリエを出ることが出来た。



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