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マイヒーロー


「はぁ……」


オシャレをしようとつい最近気合いをいれて買ったばかりの赤いヒールが、いやに重く感じる。

目に見えない重りが両肩に乗っている気分だった。

こんな時は、あそこに行くに限る。

大通りから路地に入り、居酒屋やバーが連なる細い通りの2本目の角を曲がったそこが、私のお気に入りの場所。


『居酒屋よっちゃん』


夜の暗がりを明るくするもれでた光に、外にいても聞こえる笑い声。

随分と年季のはいったドアをガラガラと横に引くと、いらっしゃいませー!と野太い大将の声が響いた。


「こんばんは〜」

「おっ!また来てくれたのかい!いつもありがとうねぇ!」


人好きする笑顔を浮かべながら出迎えてくれた大将は、店員のお姉さんにカウンターにご案内して!と声をかける。

大将、こと吉田さん。店の名の通り常連のお客さん達にはよっちゃんと呼ばれている。脱サラしてこの店を立ち上げ数十年だそうだが、今も毎日元気に包丁を握っている。


「何にする?」

「焼酎と、なめろうください」

「はいよ!」


元気よく返事をした大将は、早速調理に取り掛かる。

店内を見渡すと、会社帰りのサラリーマンや、ガタイのいいおじさん達が楽しげにお酒を飲み交わしている。

ワイワイガヤガヤとしたこの雰囲気にほっとして、一気に体の力が抜ける。


「失礼します、焼酎ですねー」

「ありがとうございます」


小さく頭を下げながら、それを受け取る。

おつまみがくるのも待ちきれずにゴクリと一口飲むと、クセのある味が口に広がる。

あぁ、美味しい。

お酒は百薬の長なんて言うけれど、本当にそうだと思う。

きっと私はこれがなきゃ生きていけない。


「お待ちどうさま」

「わぁ」


コトリと置かれた皿の上のアジと、目が合う。

大将は盛りつけの仕方もとっても上手だ。


「いただきます」

「あぁ、召し上がれ」


ぱく、と箸でつかんだそれを口にいれると、大将がどこか期待したような顔で私を見る。

思わず、へらりと笑ってしまった。


「うん、美味しい」

「だろ?酒にも合うしな〜」


自慢げに、でもどこか嬉しそうな大将は二口目の焼酎を飲む私をちらと見た。


「ま、今日も好きなだけ飲んでってよ」

「……はい」


大将は、私が元気がない日に限って店に来ることにきっと気付いている。

でも何も聞いたりしないで、ただいつも通りに接してくれる。

ほかほかとした気持ちになりながら、一杯、また一杯とお酒を飲んでいく。

どれくらいたっただろうか。

視界が少しふらつきだした時に、不意に私の横の椅子が引かれた。


「俺も同じの頼む」

「あいよ!」


聞きなれた声にはっとして顔をあげると、そこにはスーツを着た幼馴染みがいた。


「やだ偶然トッシー。仕事帰り?お疲れ〜」

「すっかり出来てんな。何時から飲んでんだよ」

「ん〜7時過ぎくらい?」

「もう結構じゃねェか」


腕時計を見下ろしたトシが、呆れたような顔で私を見る。

トシ。

土方十四郎。

ちいさな頃からずっと一緒に育ってきた、私の幼馴染み。

今は立派に刑事なんかしているが、こいつ昔は結構やらかしていた。

私は知っている。

ま、今もそんなに良い子ちゃんってわけでもないだろうけど。


「んで?今度は何だよ」

「え〜?何が〜?」

「すっとぼけんな、お前がここ来んのは大概落ち込んでる時だろーが」

「…………。」


私が黙り込むと、トシは一つため息をついてよっちゃん塩辛くれ、と声をかけた。

この店を私に紹介してくれたのはトシだ。

もうずっと前になるけど、それから私もここを気に入って、嫌な事があった時や落ち込んだ時は頻繁にここに来るようになった。

それに気付いているのは、大将だけじゃない。


「……仕事で、ミスしちゃって……」

「へぇ」

「得意先にも迷惑かかって、上司が謝罪に行くことになって……」

「おーやらかしてんな」

「やらかしたどころの騒ぎじゃないよ〜」


ガン、とカウンターに頭をぶつければ、トシは何も言わずに受け取った焼酎をごくりと飲む。


「で、やけ酒か」

「うう……」

「よっちゃん、こいつ何杯くらい飲んでる?」

「ん〜、6、7杯じゃねぇか?」


大将が気を遣ってくれている。

本当は10杯くらいだ。


「お前なぁ……落ち込んで酒に頼るのやめろよ。いつか体壊すぞ」

「でも、」

「いいからやめろ。……話ならいくらでも聞いてやっから。せめて飲む前に俺を呼べ」

「!、う〜、トシぃ」


トシの右肩にもたれかかると、重ェ、と失礼なことを言われた。

でも振り払わない、それはトシの優しさだ。


「……まぁ、あれだ」

「ん?」

「それだけ落ち込むってことは、それだけ真剣にやってるって証拠だ。きっと、お前の上司もそれは知ってるよ」

「…………、うん」


トシは、私がどんなことをやらかしていても、いつも優しい言葉をくれる。

味方でいてくれる。


「……いつもありがとうね、トシ」

「そりゃ毎回酔っ払ったお前を介抱してやってることに対しての感謝だよな?」

「うっ、い、以後気をつけます……」

「それも毎回聞いてる」


トシが横にいると、つい安心して飲みすぎてしまうのだ。

仕方がない、ともいえる。


「……トシ、」


煙草に火をつける横顔を見つめながら、名前を呼ぶ。


「あ?」

「ふふっ」

「なんだよ」


気色わりーな、と失礼極まりない言葉を吐くトシにさえ、何だかにやにやが止まらない。


「トシは、優しいね」

「…………。」


黙ったまま煙草を吸って、それからゆっくりと吐き出す。

嗅ぎなれたにおいが鼻に届いた。


「……お前、いつもそう言うよな」


目線はカウンターの向こう。決してこっちを見ようとはしない。

トシは案外照れ屋さんなんだ。


「うん、嬉しいでしょ?」

「別に嬉しかねーよ」

「ひどい、せっかく褒めてやってんのに」

「お前に褒められてもなぁ」

「じゃあ一体誰に褒めてもらえれば……あっ、分かった!あの超グラマラスなお姉さんでしょ!」

「!ぶほぉっ!」

「ちょ、汚い。すいませーん!」

「わ、わりぃ」


店員さんからもらった布巾でこぼしたお酒を拭きながら、トシはお前それどこでっ、と聞く。


「この間2人がホテルに入ってくとこ見たよ。彼女?」

「い、いや、あれはまぁ、なんというか……」

「まぁた一夜限りってやつ?銀ちゃんみたい」

「あんな節操のねェ奴と一緒にすんな」

「いや一緒じゃない?」

「…………。」


反論する余地がないと悟ったのか、誤魔化すようにしきりに枝豆を口に運んでいる。

関係ないけど、枝豆って一度食べ出すと止まらないよね。


「……分かるよ?トシは男だし、たまにはしなきゃ溜まっちゃうっていうのもー」


持ち上げたグラスの中の氷が、カラン、と音をたてて揺れる。


「でも、あんまそういうことばっかしてたら、本当に大事な子が現れた時に苦労するよ?」


よし、もうこれで最後にしよう。

そう誓って、残りのお酒を流し込んだ。


「…………苦労ならとっくに…………」

「え?」


自分の飲み込む音と重なって、よく聞き取れなかった。

だけど、トシは何でもねェよ、と言うだけだった。


「ご忠告どーもな。てかお前の方こそやばいんじゃねーか?」

「何が?」

「男。もう2年はいねーだろ」

「……し、仕事が忙しくて、それどころじゃ、」

「…………。」

「やっ、やめて!そんな憐れむような目で見ないで!」


わー、と手のひらをトシの顔の前でぱたぱたさせると、うざってェ、と手を掴まれ無理やり下げられてしまった。

瞬間、不意に触れた体温に、思わず心臓が小さく揺れる。



……手、大きいな、やっぱり。


「…………。」

「……秋?」

「……え!あ、あぁごめん、ちょっとボケっとしてた!あ、た、大将!梅酒ロックくださいな!」

「まだ飲むのかよ!」


……あー。

びっくり……した。


ブンブンと頭を振って、最後の一個だった唐揚げをぱくっと頬張った。

隣からの批難の声は、聞こえないフリ。



◆◆◆



「あ〜……気持ち悪……」

「だから言っただろーが」


お店からの帰り道。

案の定というか、いつも通りというか、飲みすぎて具合の悪くなった私はトシにおぶわれて帰宅していた。


「トシぃ……毎度ごめんねぇ……」

「たく……もう慣れたけどな」


トシと私の家の方向が同じなことだけが、唯一の救いだ。


「……てかよ、お前こそ何してたんだよ」

「え?何って……」

「……俺が女といんの見た時」

「あー、ほら、あそこ通るとちょっと近道になるでしょ」

「はぁ?」

「え?」


予想外に不機嫌な声を出したトシに、思わず体が強張る。

普段こそ面倒見がよくて優しいが、トシは怒るとめちゃくちゃ怖いのだ。


「な、何で?駄目だっ、」

「おめェ……そう言ってあそこ深夜に通って、無理やりホテル連れ込まれそうになったこと忘れたのか」

「……っあー、」

「っあー、じゃねェよ」


良かった。いまトシの両手が空いていたら確実にチョップを喰らわせられていたところだ。


「近道だからって、あそこは夜遅くに通るな。酔ってるからって自衛心まで忘れんなよ」

「……でも、またトシが助けに来てくれるでしょ?」

「あ?」

「だって、あの時もそうだった」


いま思い出しても、胸がきゅう、となる。

突然知らないお兄さんに絡まれ、今にもホテルに連れ込まれそうだった私の腕を掴んで、突然現れたトシは、まるで……、


「トシは、私のヒーローだよ」


昔から、ずっとそう。

私が落ち込んでいたらいつまででも話を聞いてくれて、前向きになれる言葉をくれて、

そして私が困っていたら、何故か必ず、颯爽と現れては助けてくれる。


「……大袈裟だ。あの時はたまたま、」

「たまたまでも何でも、トシは私を助けてくれたもん。その事実に変わりはないでしょ?」

「……お前、相当酔ってんな」


……酔ってないよ。

本当に、そう思ってるから。


その言葉を飲み込んで、ぽすりと頭をトシの肩に落とした。


「……うん……酔ってるね……」


鼻をくすぐる、トシの煙草のにおい。

……大好きな、におい。

いつから、煙草を吸うようになったんだっけ……。

うとうとする私に気付いていないのか、トシは帰ったら歯磨けよだとか二日酔いの薬はあるのかだとか、そんな母親のような台詞を並べている。


「あんまり酷いようだったら言えよ、俺が、」

「トシ」

「……何だよ」


……トシ、

トシ。

私、

私ね、

本当はずっと、

ずっと前から、

…………。


「……?秋?」

「……すー、すー、……」

「寝たのかよ……」


がっくりと肩を落とすトシの背中で、そっと目を開ける。

トシが、私のこの気持ちを知ったら。

そしたら、どうなるだろう。

もうこんな風に、おぶってもらって、一緒に帰ることもなくなるのかな……。



もう一度、目を閉じる。

すると再び睡魔がやってきて、私はあっという間にそれに飲み込まれてしまった。



大好きな人の背中で、大好きな人の煙草のにおいに包まれて眠る。



私は、いつかこれを手放すことが出来るのだろうか。


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