ひと夏の、


緩やかに風が頬を撫でて僕は自分の足元にあった視線をゆっくりと空へ向けた。
雲一つない空に嫌気が差した。
この季節特有の熱気を含んだ風が心地悪く、僕はまた視線を足元へ戻した。
暑い。
季節が季節だから仕方ないのかもしれないけれど、と半ば諦めながら足を動かすのを止めずに家路を急ぐわけでもなく進んで行く。
また、風が頬を撫でた。
先程の風とは違う、冷気のあるそれに僕は思わず風上に視線を移した。
細い小川の川辺で女の子が一人、こちらを見て微笑んでいた。
見たことのない、同じ年くらいの女の子。
季節に似合いの白いワンピースに、手には白い袋。
その中には、散乱されていたであろうゴミが押し込まれていた。
余程熱心にやっていたのだろう。ワンピースには所々汚れが目立ち、彼女の白い肌もくすんだように汚れていた。
その時の僕はきっと暑さにやられていたのだろう。
普段なら何事もなかったかのようにまた足元を見ながら通り過ぎるのに、
「何を、してるの?」
声をかけてしまった。
彼女は、白い袋を少し持ち上げて先程とは違い少し悲しそうに笑った。
「この小川は、本当は綺麗な小川なの。だけどゴミが増えたから、汚れてしまった。だからまた綺麗にしたいの。」
ただ、驚いた。
普段何気なく通る道にあるその小川はお世辞にも綺麗とは言い難い。
そんな小川が綺麗な小川だったなんて。
そんな小川を、綺麗にしたいと言う女の子がいるだなんて。
「暑くて、ここが綺麗だったら、小さい子は水遊びをしたり、大人は川辺で涼んだり。そんな小川にしたいの。」
彼女は夢を見るように目をキラキラと輝かせてそう語った。
やはり僕は暑さでどうにかしていたのだろう。
僕は彼女に無言で近付いて川辺にペラペラの鞄を置くと袖と裾を捲り、彼女の持つ袋にゴミを入れていった。
一瞬彼女は驚いたような顔をしたけれど、すぐに最初のように小さく微笑んで僕と同じようにゴミを拾っていった。
いくら日が長くなったとは言え、時間も経てば暗くなる。
どれくらいそうしてたかと言えば、そんな季節に暗くなるほど僕らはそうしていた。
けれど、小川のゴミは半分も減ってはいなかった。
「もう、いいよ。」
彼女は悲しそうに、それでも表情は微笑んだままそう言った。
確かに終わりなんか見えない。
僕らがいくらゴミを拾っても明日になればまたゴミは増えているのだろう。
僕は手を止めて、小川を見つめてぽつりと零した。
「明日も、来るよ。」
彼女はまた驚いていたけれど、ありがとう、と呟いた。
泥だらけになって帰宅した僕を見て母親はとても驚いていたけれど、父親は何も言わず、僕を風呂へ促した。
僕は不思議な気持ちだった。
ただ平凡な毎日を過ごして、代わり映えのない日々を過ごしていただけの僕がこの暑い中ゴミ拾いをしたというのに何故が早く明日が来ないかと待ち望んでいた。
暑い日々など大嫌いなのに、またあの少女と小川でゴミ拾いをしたいなんて。
慈善活動のつもりか。
そんなことをして優越感に浸っているのかと自分を叱咤したが、どうしても、楽しみな自分が消えることはなかった。
本当に僕はどうにかなってしまったのかもしれない。

僕と彼女の慈善活動という自己満足はしばらく続いた。
予想通りゴミは減るどころか増える一方だったけど、気が付けば僕は小川へ足を運んでいた。
暑さが本格的になった頃、少女は突然姿を見せなくなった。
それでも僕は小川へ通い、ひたすらにゴミを拾い続けていた。
僕がしていることを知った母親は、そんなことをしてどうする、と僕を叱った。
確かにその通りだと自分でも思う。
それでも僕の足は小川へ向かう。
父親は、何も言わなかった。

少女が姿を見せなくなって2週間が過ぎた頃、終わりの見えなかったその活動が、終わりを迎えた。
ある日を境に捨てられるゴミが減ったのだ。
それから減る一方のそれらが、やっと全てなくなり、小川は元の美しさを取り戻した。
「綺麗に、してくれたんだね。」
彼女が、綺麗になった小川に足を浸け、微笑んでいた。
今までどうして来なかったのかを問うつもりでいたはずなのに、僕はただ、うん、と答えていた。
ただ、彼女が望んでいた小川の姿が、僕の少ない語彙では表すことが出来ないくらい綺麗で、そう答えることしか出来なかったのかもしれない。
最初に見た彼女とは違い、汚れのないワンピースに、白い肌が川辺に映えて、それもまた美しいと思った。
「ありがとう。」
彼女がそう言うと、暑いはずなのに川辺の涼しい風が吹いて、彼女をさらっていった。
それから、彼女に会うことはなかった。

僕は彼女に会う為に何度も何度も小川に通った。
綺麗になった小川は、子供達の遊び場となり、休日には大人達も川辺で涼むちょっとした人気の場所になっていた。
そこに、彼女の姿はなかった。

暑い日々が終わり、小川に人気がなくなった頃、父親が僕を小川へ連れて行った。
「お前、ここで白いワンピースを着た女の子に会ったんだろう。」
父親は綺麗なままの小川を懐かしい眼差しで眺めながら、そう呟いた。
何故それを知っているのかと問えば、父はやっぱりな、と笑った。
父が子供の頃、小川は今のようにとても綺麗で、地元人で賑わう場所だったと言う。
しかしいつからかゴミを捨てる人間が増えて、小川は見る影もなく、人足も途絶えてしまった。
そんな時、父も彼女に出会っていた。
うす汚れたワンピースで悲しそうにしていた彼女に父は何も言えなかったらしい。
「後悔は、していたんだ。」
ぽつりと、蚊の泣くような声で父は呟いた。
「あの時声をかけていれば、と何度も思った。でも自分の力で変わるとは思えなかった。それでもお前は、変えたんだな」
そこでようやく父は僕を見た。
眩しい表情の父に僕はなんだがむず痒い気持ちになった。
何かを変えようとか、大それたことを考えていたわけじゃなかった。
ただ、彼女が悲しそうに笑うから。
綺麗な笑顔が見たかった。
だって、彼女は思った通り、とても綺麗に笑ったから。
そう言えば父は今までにないくらい豪快に笑って、お前も男だな、と僕の背を力いっぱい叩いた。
痛くはあったが、嫌だとは何故か思わなかった。

あれから何度も季節が巡ったけれど、彼女と出会うことはなかった。
小川は美しさを保ったまま。
「パパー!」
息子が小川に足を浸けたまま川辺にいる僕に手を振った。
振り替えそうと手を挙げると息子のすぐ後ろに見慣れたワンピースの少女は綺麗な笑みを浮かべていた。
―ありがとう。
風に乗って言の葉が届いた。
もう一度息子に呼ばれ気が付けば彼女の姿はなかった。
僕は息子に手を振り返し、小さく笑った。
「こちらこそ、ありがとう。」


後書き
お初にお目にかかります、ツキと申します。
56様にお誘い頂き企画参加させて頂きました。
暑い夏に綺麗な川を見ると無条件に足を突っ込みに行きたくなる気持ちと、昨今の川辺の状態への悲しさを衝動的に書き連ねたものですが、夏の夜長の暇潰しになれば、とおもいます。
今後も機会があれば執筆させて頂こうと思いますのでその時はまた、お会いできれば幸いです。
56様、素敵な企画お誘い頂きありがとうございます。

ツキ


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