akaritoowari



昔から彼女は引き留めることがへたくそだった。
それは嘗ての父親然り、浮気症の母親然り。
最低な血縁者に泣いて縋るような真似はしたことがなかった。

昔から彼は拾うことが得意だった。
何でも拾って沢山の大人を困らせた。
そんな大人を引き留めるのが得意だった。失敗なんてしたことがなかった。



akaritoowari



 私が彼と会ったのは心身と冷え込む冬のことでした。疲れきった帰り道、ふと立ち寄った公園でーこんな季節に不似合いな薄着を纏いぽつねんと立って居る彼に話しかけたのが始まりです。
「こんな寒空に、風邪を引きますよオニーサン」
 私もそれなりに、底冷えするような服装をしていましたが彼に比べたらまだまだ。厚着の方です。
 だって彼ったら、綿のパンツに真っ白なシャツ一枚、この一月という気温には不似合いにも防寒具らしいものを一つも身に付けて居ないのですから。それは風変わり、よりも頭のネジが一本吹き飛んでるんじゃないだろうかとも思いました。それかそれを忘れるくらいに、嫌なことがあったのか。
 何にせよ、通りすがりの人のこと。深いことまで関わることは無いでしょう。だからこそ声を掛け、空々しい心配まで口ずさみます。
「…おれ?」
 彼は俯いていた顔を上げて私を見ました。凪いだ瞳の色。夜を注いで詰めたような色彩に目を瞬かせました。こんなにも。寒空の下で印象的な違和感の無い人を、見るのははじめてです。服装は大いに違和感有りなのですけれど。
 よくもこんな人間が立っていて誰も声を掛けないものです。元より人気が少ないところではありますが。
 畳みかけるように私は言いました。
「そう、オニーサン。貴方です」
 近寄れば彼が微かに後ずさります。その足下を見て加えるように溜息を吐きました。
「しかも裸足じゃ無いですか。本当に、酔っぱらいですか貴方。こんな寒い中。凍死してしまいますよ」
「へ、」
「へ、も何も無く。全く。どうしたんですか。コートも着ないで寒空の下。今日日乞食だって暖かい場所を求めて彷徨くのに貴方は突っ立ったまま何をするわけでもなく」
 言葉を重ねていて段々と阿呆らしくなってきました。目の前の彼は通りすがりの私の説教に目を丸くするばかりです。私の生死に拘わる冬の過ごし方云々はどこ吹く風。反応も無く、言葉尻が次第に小さくなっていく私に、彼は少しして吹き出しました。
 軽やかに伸びる声が辺り一面に響きわたります。先ほどまで静謐だった夜が、途端に息をするような。
 暫く彼の爆笑に惚けていましたが、自分が笑われたと悟ると人間どうにもこうにも恥ずかしくなってくるものです。きびすを返し唸りながら私は彼に背を向けました。
「ごめん、待って」
「待ちません」
「俺が悪かったから、ふふっ」
「笑いながら言われても、」
と売り言葉に買い言葉。仕方無しに彼の方を向けばふわりと笑う夜の色彩。

 刹那、目を奪われました。なんと綺麗に微笑む人でしょう。

「ご心配を有り難う。お姉さん」
「いいえ、お気になさらず」
 そこでふと、彼が此処から家に帰るまで寒いだろうと親切心を出したことが今思えば厄介だったのでしょう。私は改めて近寄り、自らのマフラーを彼に押し付けました。
 そう、広げたまま彼の首に巻こうと。
 して、

「は」

 失敗、しました。
 彼が困ったように笑います。
「残念、寒く無いんだ。人間じゃないからさ」
 ぐらり、と世界が傾く予感。上がる悲鳴を辛うじて飲み込んで私はその場で盛大にずっこけたのでした。


 次に目を覚ました時、視界に飛び込んだのは見知った部屋の天井でした。
 あれからなかなかどうして。部屋に帰ったのか定かでは無いですけれど。部屋の鍵もしっかりと締めて私は爆睡していたようです。帰巣本能とは素晴らしい。心中で自らを褒め讃え、立ち上がりました。
 休みとはいえ健康的な一日を。冷蔵庫には買い置きしてあった野菜ジュースがあった筈。取って帰ろうと冷蔵庫の扉を開きます。じんわりと滲みるような冷気は健在の使用歴五年の小型冷蔵庫。まだまだ頑張って下さいねと手をこっそり合わせたところで衝撃。
「あ、起きた?」
と台所に件の幽霊。目を瞬かせて封の固い野菜ジュースを落としました。ごっ、と床の悲鳴。ああごめんなさい、と心の端っこが悲鳴を謝罪しますがなんのその。
「なぜ、貴方が、此処に?」
「女の子を寒空の下で寝かせられないなと思ったら、動けたんだよ」
 いわゆるジバクレイから浮遊霊、はたまた守護霊に昇格かなとのんびりした口振り。
その間の抜けた物言いに溜息一つ。何だかどっと疲れてうなだれる私に彼は一言付け加えました。
「朝食は和食派?」
 あればどちらでも、返す言葉は空々しい冬の静けさで。数十分後、食卓には見事な和食が並びました。手を合わせて頂く前に彼に向き直ります。どう踏みだそうと名前を知らないままではどうにも不便で始末が悪そうだからです。
「送って頂いて朝食まで作って頂いて申し訳がない。申し遅れました。私の名前は明里、と言います」
 彼はふんわりと笑いました。
 日向の下では色褪せるかと思っていた夜の静寂の色。緩やかに溶けて今では見事な調和を生み出して居ました。
「俺は椿。コノエ椿、と言います」
 どうなるか分からないけれど宜しく、と互いに笑ってようやくありついたご飯はとても美味しいものでした。
 さて、家に幽霊が住み着きましたなんて、口が裂けても言えません。
 私に憑いて来たのだから私が行く先々に彼も移動可能かと思いきや違うようです。扉を跨ごうとした彼は、何か見えない壁に阻まれたようで―出かける私の背中を寂しそうに見送って言いました。

 いってらっしゃい、きをつけて。

 実際にその通り平穏無事な一日を過ごして帰れば美味しそうな夕飯が万全の状態で私を待っていました。そして彼、椿さんも。

「おかえりなさい」

 ずっと冷蔵庫の肥やしになっていた食材が見事な変わりようです。彩り豊かなそれに感謝しつつ胃に有り難く頂戴しました。そんな感じでこの奇妙な共同生活は始まったのです。
 しかし幽霊とは言え異性が家に住み着くなんて、なんと不純なことでしょう。今までこんなことは無かったので対処に少しだけ困るというのが年頃の女の素直な感想。腐ってもーそう、そこは女なので全く気にしないというわけではありません。ところがこの椿さんは、さほど気にしていない様子で私の生活を緩やかに矯正していくのでした。
 即ち、掃除は毎日完璧に洗濯機は毎日稼働し三食彩り豊かなご飯という。健康な人生です。
 まるで嫁を迎えたようです。否、嫁ではなくて幽霊で、とり憑かれているのですけれど。しかし身体的な不調は無し、良いことなのではないかとのんびり構える私は大概大物だと。よく言われます。
 そして久方ぶりの人間らしい生活は有り難いこと、と思いながらぐずぐずと彼に慣らされていく私は充実した毎日を送っていました。昔のように突然のアクシデントに巻き込まれることなく、そう。充たされた毎日に。

 油断、していたのかもしれません。


「久しぶり」

 それは雪が沢山降った日の帰り道でした。
 心の奥底を突き刺す記憶。掛けられた声で思考が真っ白になりました。きん、と高い金属音後に世界が音を無くしたような感覚。ぐるりとせり上がる吐き気を抑えて虚ろのまま振り向けば、嫌な感情が見えます。
 唇の動きは「ひさしぶり」。常套句をよく口ずさめたものです。適当に唇の動きを読んで、はい、いいえで応対して注文したものをそこらの人に押し付けてさっさと喫茶店を出ていきました。
 手首を捕まれました。振り払います。肩を掴まれました。叩き落とします。
 周りの人がこっちを見る怪訝そうな顔に、ああ、何か人目を引くような事態になっているのだなと察しました。無音の世界で思考して、最終的に走って撒くという選択肢を選びました。
 時には逃げることも選択肢の一つだと嘗ての私は学習したからです。
 踏み出す足は重く、上がる太股は軽い。真っ黒いパンプスと荷物だけがじゃらじゃらしていて邪魔でした。かと言って捨てることも出来ません。息を切らせて改札口へ。家へ進行方向の電車に乗れば遠くに、件の姿が見えました。左右を見つめ車内の私を見て、未だ何か叫びそうな口を賢明に噤んでいました。扉が閉まります。私は帰路へ。

 耳は、家に戻るまでには治るかと思っていましたが、音を無くしたままでした。

 帰って早々、私はメモ帳に走り書きをして今の状態を椿さんに報せました。彼は酷く驚いた様子で目を丸くしていました。大丈夫、とペンが走ります。
【たまに、なるんです】と返答をして苦笑します。原因は、明らかなのですけれどいつ直るか分かったものではありません。
 暫く筆談の旨を伝えれば彼は夜を揺らして頷きました。幸いにも暫く出かける用事はありません。このままで支障は無いでしょう。それって何の偶然か、兎に角今の私にとって願って止まないことでした。
 世界から音が消えたなら。余計なものも認識せずに済むではありませんか。
 ただ少しだけ不便に思うことは椿さんの存在を音で認識出来なくなったことでしょうか。彼の奏でる生活音は小気味良く、声は耳にそっと触れてくるような大きさで嫌いでは無かったのになと心中で溜息を一つ。
 すると溜息を聞きつけたのか透ける身体がふわりと私の前に降り立ちました。
【どうしたの】
【いえ、少し、】
 答えれば彼は不思議そうな表情を向けてきました。苦笑で返してペン先がさらさらと動きます。
【世界から音が、無くなりましたから。一人の時にはこんな状態になっても何も思わなかったのですが、貴方が一緒に暮らしているのに耳から認識出来ないのは、少し】
と中途半端に書いて書き淀みました。
 なんと表せば良いのかいまいちよく分からなかったからです。
【さびしい?】
 迷ったまま浮かんだ言葉を紡げば彼は困ったように笑いました。透けた手のひらがそっと頭に乗せられた感覚に目を瞬かせました。ありがとう、とその時確かに彼の唇が刻んだ言葉を私は受け取っていたのです。


 次に出かけなければならない日は少しだけ暖かさを感じる二月の始めでした。
 梅が綻び始めた部屋の入り口で、行ってきますと言う私を心配そうに椿さんが見送ります。その、納得行かないような表情に私は首を傾げました。
【どうしました】
【どうしても、行かなきゃいけないのかな】
【ええ、まあ】
 流石に不定期とはいえ仕事を休むのは如何なものかと、と返せば複雑そうな顔をされました。就職活動が上手く行かなかった私は派遣の会社に登録しています。勿論担当の方にはこの不便な体質のことですとか、色々伝えてありますのでその辺りを考慮した仕事場を選んで提示してくれるのですが、今回は流石にのんびりとし過ぎました。生活費諸々が底を突きそうになっているのですから。
 多少とはいえ貯金をしていたのですが、手を付けたくない最低ラインまで触れてしまうと流石に考えざるを得ません。
 そしてそれを見計らったように連絡を寄越してくる派遣会社の担当の、くたびれたスーツのお姉さんの眼力を想うと感謝と、畏怖が沸き上がるのも事実ですが。何にせよ、彼女が選んだところです。多少は融通の利くところでしょうと腰を上げました。真っ黒いパンプスを履いて振り返ります。【行ってきます】と。
【行ってらっしゃい】椿さんの告げる唇は薄く、夜は変わらず煌めいていました。


 多少警戒しながらも恙無く仕事を終え、何事もなく帰路に着いたのは夜の十時を少し回った頃です。
 着いた先で早速歓迎され、渡された手書きの原稿は数千枚。文字数に換算して百十万を越えるものを一心不乱に打ち込んだ手は少し痺れています。
 聞こえずとも話さなくても、という今回の受難の体質を難なくクリア出来る派遣先を見つけた担当の彼女は流石だと思いました。派遣先の家の方は気難しい方のようで、無駄口は許さないという方でありましたから、私の耳が聞こえない体質と文字を書いての会話方法を悪くは思っていないようでした。寧ろ大歓迎という体制だったなあと思い起こしつつのんびり、家までの道を歩きます。
 くたびれたパンプス。そろそろ新しいものも買い時なのかもしれません。透ける夜と闇を見据えてそんなことを考えながらぶらり、歩いていましたら。
 家の近くに誰かがうずくまっているのを発見しました。古いアパートの薄明かりの下。膝を抱えて、まさか、と目を見開きます。
 私のこの体質の原因とも言うべき相手がどうしてアパートの正面玄関でうずくまっているのでしょう。
 しかし、逃げるわけにもいきません。私の家はそこであって、そこでは椿さんが、待っている筈で。
 葛藤を暫く、唇を噛みしめて踏み出せば向こうも近づいてくる私の存在に気付いたようでした。何か言い出しそうな唇を押し留めてメモにペンを走らせます。

【何の用です。私は今耳が聞こえません。手短にお願いします】

 彼は目を瞬かせ、後に苦々しそうにくしゃりと表情を歪めました。けれども無表情の私を見遣っておずおずとペンを走らせます。
【謝りに来た】
【何をです】
【妹のこと】
 がつんと穿つような衝撃に思い切り歯を噛み締めました。
 私が耳が聞こえなくなった要因。それは昨年死んだ妹にありました。一緒に住んでいた彼女が心を病み、自殺未遂を繰り返し遂に死んでしまったのは記憶に深く染み着いています。元はと言えば目の前のこの男が妹を虐めていたのがきっかけでした。家まで執拗に追い回し挙げ句の果てに犯し全てを壊した、この男。何を謝ることがあるでしょう。何を許すことがあるでしょう。
 堪え、済まして彼をひたりと見つめました。
【なぜ、今頃。謝られることなんて、ありません】
 葬式でのこのこと出向いた彼を蹴り飛ばして、二度と関わるなと怒鳴りつけた私の姿を覚えていないのでしょうか。二つきりの家族だった私たちを、裂いた貴方を許すつもりはないとあれだけはっきりと言ったのに。

 妹を灰にしたと同時に私の耳は世界を失いました。

 暫くすれば直りましたがその直るまでの期間、一年もの間。その苦労を何も彼は知りません。
 なのに何を今更。睨めば彼は、震える字を以て書ききりました。
【線香をあげたい】
 別れの挨拶と、謝罪を。させてくれないかと。
 何を馬鹿な、と目の前でメモを破り捨てました。残った表紙部分に帰れ、と表します。
 見たくもない。嫌なものなんて。貴方の顔なんて。
 何も。見たくはない。そのまま追い越した私の手首を、彼が掴みます。
 まって、と唇が動きました。ぐしゃぐしゃに歪んだ彼の顔。ゆるして、ごめんなさい。そう囁く唇。すきだったんです、と紡いだ瞬間。意識がぐらりと揺らぎました。妹の笑顔が浮かびます。同時に、横から突き抜けるような叫び声。

「あかりさん!」

 ああ、世界に音が戻ったと認識する暇すら無く。目の前に彼が立ち阻かりました。その透けていない後ろ姿を認めてようやく私は己を甘やかすように意識の紐を手放したのです。


 妹が一度だけ、彼女をずっと虐めてきた彼を語ったことがありました。
 病院のベッドの上。彼女はその日、とても落ち着いていました。珍しく微笑む顔に果物を差し出しながら私は彼女の言葉を待っています。
「ねえ姉さん」
 彼女は裂いてばかりだった手首を愛しそうになぞって言いました。
「私、彼が嫌いじゃないのよ」
 彼女の髪を輝かせた日の光。昼間が嫌いだと言った彼女は、珍しく自らカーテンを開いて外を名残惜しむように見つめて居ました。
「だって一度だけ彼が謝ってくれたことがあったの。私は、突っぱねてしまって、その後は話さず終いだったけれど。そこから世界に色が、付いたのは確実に彼の周りだけだったわ。―ねえ姉さん」
 彼は泣いていたのよ、と微笑んだ唇は病的なまでに赤いものでした。
「彼はきっと、私が死んだ後に、女々しくずっと泣くわね」
 そう呟いた言葉をどうして忘れていたのでしょう。


「彼女は俺に、事故だったんだと伝えたんだ」
 浅い意識の中で溶けるような椿さんの声を聞いていました。
「その日、とても天気が良くてね。彼女は病室の窓の近くに燕の巣があるのを見つけた。その写真をね、撮ろうと思ってそのまま、落ちたんだ」
 机の上のカメラを手は届かず、枕元の携帯電話に指が掠ることもなく、乗り出しすぎてーあっと言う間に。ゆっくりと言い聞かせるような口振りに頭を撫でる感触。再びでろりと意識がとろけていきます。
「覚えて居ない?俺は、君の妹と同じ病室だったんだよ」
 尤も彼女が落ちたその時には手術の後で、麻酔が抜けきって無かったから何も気付かず爆睡してたんだけどさと言われて記憶の端が少しだけ引き出しを開けました。
 確かに、同室の人はコノエと言う名字だったような。
「君は表情が抜け落ちた人形みたいでさ、彼女は死んだ後もずっと君を慰めようと傍に居たんだけど。限界が、来たみたい。消える前に俺に言付けていったんだ。
 君がどうしても辛い時には伝えて欲しいって。
 事故だったって、彼は悪くないって。ずっと、愛しているって」
 音もなく立ち上がる気配。引き留めたいのに身体が重くて指一本も動かせません。
「もう、これで終わったかな。俺は消えるよ」
 じゃあね、とはじめのような気軽さで扉が閉まりました。


 次に目が覚めた時には、彼は居ませんでした。
 一人きりの部屋で彼の名前を呼ぶ私の声だけが響きます。整えられた室内。ラップを掛けられた料理の数々。
 いつから彼は、私を窺っていたのでしょう。
 耳が聞こえないと告げた時の悲しそうな表情。いつから、どこまでが妹の頼みごとだったのでしょう。
 その日、私は妹が死んで以来はじめて大声でみっともなく一日中泣き続けました。
 何をしても止まることのない涙をおもんばかって隣人が一度私の様子を見に来ましたが、それでも止まることのないものはどうしたらいいか、困った笑みを泣きながら見せますとお菓子を頂きました。それが妹の好きなものだと思い起こして益々涙は溢れるばかりでした。

 涙も一日中流せば止まるもののようです。目を真っ赤にして治らず終いの次の週明けの昼下がり、私は近くの公園に赴きました。寒さに悴んだ手をすり合わせ鶯の群がる梅の木を見上げます。
 椿さんと会ったのは一ヶ月前の寒い夜。月の綺麗な空の下で鮮やかに花開いた色彩を覚えています。
 彼と同じように、その場所に立って見上げますと奇妙なことに気が付きました。その場所から私の住む部屋の灯りが窺えるということです。
 思わず吹き出しました。彼はずっと私を窺っていたのかしらと綻びる感情のまま近くの自販機で甘い缶コーヒーを購入します。その熱さに、指を慣らしつつベンチに座って居ましたらふと、影が差しました。

 こんな寒空に、風邪を引きますよお姉さん、なんて。

 こんな真っ昼間にこんな公園に。来てわざわざこんなどこかで聞いたような声を掛けてくる人と言ったら限られて居ます。
 一度下を向いて、私は精一杯の笑顔を作りました。

「貴方の方が寒そうでしたよ」

 瞬くような夜は変わらず、日向の中でも静かに息をするようでした。


20130310



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