事件の収束は呆気なかった。
あの後、米澤教授はショックのあまり気を失い、そうすると分離されていた倉庫や、結合された仗助くんと億泰くん、バラバラだった行方不明者たちも元の姿に戻り(ナマエさん曰く一生思い出したくない光景だったらしい)、事件の記憶は露伴先生のヘブンズドアーにより消された。
翌日の新聞記事の煽り文句は『杜王町婦女集団白昼夢事件』。それは後に都市伝説として語り継がれることとなる。
ナマエさんの負傷した右目はすぐさま仗助くんが治し、その後仗助くんや、駆けつけた露伴先生に無茶なことをするなとこっぴどくしかられていた。
そして米澤教授はと言えば、ナマエさんがお互いの体を入れ替え、そして彼自身のスタンドを使ってスタンド能力を分離した。そして更に露伴先生がヘブンズドアーでこう書き込んだ。『スタンドに関することは全て忘れる。そして創作意欲がなくなる。』。
数日後、彼は大学教授を辞めた。事件後の彼は今まで通り穏やかだったが、何か人を刺激するようなユーモアや毒のようなものはなくなっていた。やがて、生徒たちも彼の話をしなくなった。
「あれは米澤教授であって米澤教授じゃない。彼のスタンドエネルギーの源は抑えきれない創作欲だった。それが無くなった今、以前の米澤教授は死んだと同じだろうな。」
露伴先生はそう言った。けれど、それを聞いていた彼女は何も言わなかった。
結局僕はまた誰かのためにこの力を使うことはできなかった。日中はあんなに青かった空が、今は茜色に染まっている。日が落ちるのが早くなった。もう夏も終わる。夏の終わりに感じる侘しさと、事件収束の安寧と祭りの後の切なさに、見上げるみんなの顔がどこか寂しそうに映った。
大通りの交差点の近く。コンビニオーソンの隣。そこにみんなは集まっていた。僕は何もしていないのに、まるで何かを成し遂げたかのような達成感に包まれている。
「そんじゃま、元気でな。お前がいてくれて、心強かったぜ、モブ。ツボミちゃんとやらによろしくな。…ま、自分の気持ちに素直になれよ」
「モブくん、この町を一緒に守ってくれてありがとう!元気でね。きっとまた会えるよ。」
「あなたはどこか康一くんと似た将来性を感じるわ。きっといい男性になるわ。」
「まあ色々あったけどよぉ〜〜、お前と過ごせて楽しかったぜ!!また遊びに来いよな!!」
「チョウミシ。発見しました。約1.3光年離れていたもので苦労しましたが…。仲間に伝言をし、迎えを待たせています。どうかお元気で。」
「今度君を漫画のキャラとして登場させるのもいいかもなあ。一見地味だが、圧倒的な力を持ち、けれど青春に悩む等身大の超能力者。…うん、いいじゃあないか?」
「モブくん、杜王町を護ってくれてありがとう。君は何もできなかったと落ち込むかもしれないけど、米澤教授に立ち向かったあの瞬間、君は確かに戦ってたよ。自信を持って。…そっちの世界の私にも、よろしくね」
「ついでにエクボもね〜〜」というナマエさんの声に、エクボがまた反撃して、ちょっとした口論になっている。
日はどんどん落ちていく。みんなの顔に、徐々に影を落とし見えなくなっていく。この町を去る時が来たみたいだ。
「ありがとう。仗助くん。億泰くん。康一くん。由花子さん。ミキタカくん。露伴先生。…ナマエさん。」
夜に溶け込んでいくみんなの顔をしっかり焼き付けて、僕は背を向けて歩き出した。肌を撫でる空気は少し乾燥していて、冷たく、秋の匂いがした。
杉本鈴美さん。僕は、この杜王町に来た意味があったかな?あの日助けてくれたあなたの力に、少しでもなれたのかな?もう一度、会って伝えたかった。ありがとう、って。
◆
長く冷たい夜を抜けたようだった。クラクションの音に目を開ければ、そこは見慣れた大通りで、青信号なのに発進しない車が後ろからクラクションを鳴らされていた。
空気も、匂いも違う。夏の夜の風。こちらはまだじめっとした湿度を感じる。そして人通りも多く、夏休みの終わりに抗うように学生が多く夜を楽しんでいた。
「ーーあ!!!!ちょっとモブくん!!エクボ!!どこ行ってたの!?律くんからメールもらってめっちゃ探してたんだよ!?」
すると、背後から聞きなれた声が聞こえた。でも先ほどまでとは違い、少し甲高い。振り返れば眉間にシワを寄せたナマエさんが立っていた。昼間と同じ青のワンピースにカーディガンを羽織っている。少し表情が幼い。髪は長く、いつものように後ろで結っていた。
「……ちょっと、町を護って来ました。」
「ハ!?大丈夫!?何言ってんの!?熱中症!?」
「…まっ、お前さんは知らなくていいことだぜぇ〜」
そう言って一足先に家へ帰っていくエクボと、釈然としない僕にナマエさんはやれやれと言った風情で携帯を取り出し、メールをしていた。おそらく律に僕を見つけた旨を伝えたのだろう。
夏の夜の人工的な光の海に溺れる僕たち。コンビニの明かり、外灯、携帯電話の画面、車のライト。まるでみんながみんな、それぞれ世界に二人だけのように感じていて、喧騒もどこか遠いBGMのようだった。
「ナマエさん。僕、ずっとあなたに聞きたかったことがあるんです。次あったら必ず聞こうって、思ってたことが」
「…何?」
「ナマエさんの、好きな色は何ですか。」
向こうの世界のナマエさんはカメリアが好きと言った。露伴先生が好む色だからって。そういえば、彼女は最後に米澤教授に何を伝えたのだろう。今となっては聞けない。この目の前にいる彼女とは全く違う人物なのだから。
だからこそ聞きたかった。あなたの好きな色を。何が好きで、何に怒って、これからどんな言葉を紡ぐのか。でもそれは、これから僕が知ることのできるもの。
「…青、かな。入道雲が映えそうな、コバルトブルー。」
少し照れ臭そうに答えた彼女は、それを誤魔化すためか「帰ろ、」とだけ言ってさっさと背を向けてしまった。
彼女が好きだと言った、青の、否、コバルトブルーのワンピースが夜風に揺れる。けれど、それを似合っているだとか、褒めて伝えることはまだできそうにない。だから歩いてゆく彼女の後ろから、ひらひら揺れるその裾を眺めるしかなかった。けれど、突然ワンピースの裾が翻った。振り向く彼女。
「そういえば、言い忘れてたけど、こないだは助けてくれてありがとね。」
小さな微笑みとともに与えられた言葉は、少しだけ、この世界でも僕の存在を肯定してくれるようだった。