例えばそれは、一過性の気の迷いかもしれない。熱が上がって引くように、ほんの一瞬芽生えた感情。好奇心、悪意、邪な思い、ほぼほぼそれは僕にとって負の感情と同じだった。

そもそも、理性がなければ今の自分は居ないと思う。超能力を使って人を傷つけたり、自分の欲望を満たしたりすることに全く興味はないけれど、ほんの一瞬だけ、ああ、この力を肯定して、誰かを救うことができたら。そう考えたことがある。例え誰かを傷つけたとしても。




「ーーーモブくん?」




遠くに陽炎が揺れてる。ミンミンゼミの鳴き声が忙しなくて、彼女の声をかすませた。僕は白昼夢から覚めるようにぼんやりとした頭が徐々に思考を取り戻していくのを感じた。


「……猫、いました?」

「やー、全然。車の下とかも探したんだけどねー」


暑さで参ったというように眉をひそめる彼女の横顔を見る。こめかみから顎にかけて一筋の汗が流れた。生ぬるい風が吹いて、彼女の青のワンピースの裾を揺らす。


夏休みが始まって数週間経った。
8月に入り、夏真っ盛りの気温はどんどん上昇し、日中の気温は軽く三十度を超えていた。

中学二年生の僕と、高校二年生の彼女。学校生活にも慣れ、受験を目前に控え、宙ぶらりんの僕たちはおそらく最後になるだろう自由で無責任な夏を過ごしていた。

と言っても、なんだかんだ霊とか相談所に集まっては、それなりに舞い込んでくる依頼(今の時期は肝試し関連のものが多い)を受けたり、それぞれ漫画を読んだりしていた。僕も彼女も、今のところ宿題をしている様子はない。


「僕の方もまだ、」

「だよねえ。いやー、それにしても暑すぎでしょ…。焼ける…」

「…一旦事務所へ戻りますか」

「そうしよー」


照りつける日差しに観念して、僕たちは踵を返した。今日の依頼は飼い猫が昨日から家に戻ってこないとのこと。一日程度なら心配ないんじゃ、という師匠の言葉を遮って、飼い主さんは依頼をしてきた。きっととても大切に飼われているんだろう。それに、この暑さでは心配になる気持ちもわかる。


事務所に帰ったら、師匠が猫を抱いてるといいな。白い毛並みが綺麗で、ピンクのリボンを首に巻いて、そこに通された大きな鈴が凛と鳴って、



「……モブくん、なんかあった?」

「…え?何かって、」



帰り道を彼女と並んで歩いていると、不意に訊ねられた。彼女の顔を見ると、心配そうな双眸が僕の姿を捉えていた。

何かと言われると、今朝朝の番組の星占いで最下位だったこと。その後セミにオシッコをかけられたこと。夏休みの宿題が全然終わってないこと。日記なんかは3日分溜めてること。今夜はスイカが冷蔵庫で冷やしてあって、夕飯の後家族で食べること。


何もない。けど、何もないのがいい。でも、



「…何も、ないですよ。ナマエさんはどうなんですか?」

「えっ、私?……何もない…。あ、でも今朝の星占いは3位だった。」

「ビミョウですね。」

「うるせー」


そう言って薄く笑うと、彼女も肩の力が抜けたように笑った。


何もない日常の中で、僕はほんの少し思い出してしまったことがある。


それは夏休みに入ってすぐのこと、大通りに面したコンビニの前で、数人の男子高校生がたむろしていた。夕刻を過ぎて、少し街が夜の色を帯び始めたころ、僕は夕飯に使う牛乳が切れたからと買い物を頼まれたんだ。


彼らは近所の高校の制服を着崩していて、派手な髪の色で、堂々とタバコを吸っていた。あの人たちの前を通ってコンビニの中へ入るのは、大抵の人には勇気のいることだろう。
僕も内心いやだなあ、と思いながら、店の灯りの方へ歩いていくと、丁度店内から見知った顔が出てきたのだ。


ナマエさん、偶然だなあ、少し口角が上がる。
話しかけようと少し急ぎ足で歩き出したところ、嫌な事態が起こった。先ほどの高校生たちが彼女を囲んだのだ。


「きみ高校生?この辺の?」

「コイツがあんたのことタイプだって。お話ししてやってよー」

「うっせーぞボケ。なー、これからヒマ?俺らと遊びに行こーよ。友達も呼んでいいからさあ」


断片的に聞こえる会話だったけど彼女の不機嫌そうな表情を見てあまりいい内容ではないだろうと思った。彼女が無表情で何かを伝えて、すると、男子高校生のうちの一人が彼女の腕を掴んで、彼女が思い切り振り払おうとしたその刹那、


パンッッッ、


と、彼らが持っていたジュースの缶が破裂した。うわっ、という声と共にコーラでべとべとになった制服に盛大な不満の声を漏らす。

なんだよこれ、だりぃー、お前ナンパ失敗したからってキレすぎ、あほか、俺そんなに握力ないわ、口々に騒ぎ出す彼らにコンビニの店内や、通行人が好奇の視線を向ける。そんな中、辺りを見回していた彼女が、早々に僕を見つけた。

バッチリと交わった視線。僕は、頼まれていた牛乳も買わずに元来た道を帰った。小走りで。段々、駆け足になって。夕飯のクリームシチューはどうしようなんて、そんなこと何も考えずに。




僕は思ってしまったんだ。あんな些細なことで。この力が使えたら、彼女に嫌な思いをさせた奴らをぶっ飛ばして、そして、僕が彼女の手を掴むのにって。



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