女装女子高潜入の翌日。私はいつものように放課後、霊とか相談所にいた。
今朝は朝刊やニュースで『白昼堂々女装して女子高に侵入!?』の文字が大きく踊っていて、学校でも話題になっていたし、モブくんに「メディアに進出しましたね」なんて皮肉を言われていた先生。けれどそんな空気ももう落ち着いた。
昨日は立て続けに2件も依頼があったけど、今日は暇なようで各々好きなことをしている。霊幻先生はデスクチェアに座り夕刊を読んでいるし、私はソファーで課題をしている。モブくんはその正面でお茶を啜っていて、何気ない日常の時間が流れる。
そんな中、ふいにモブくんがテーブルに湯のみをことりと置いて、口を開いた。私も霊幻先生も、何とはなしに視線を上げる。
「あの、僕、肉体改造部に入ることになりました」
「「は?」」
ハモった。気持ちいいくらいキレイに。
ぽかんと口を開けて見つめる私たちに、モブくんは相変わらずの無表情で淡々と言葉を続ける。
「部活に入ることにしたんです。肉体改造部です」
「……い、いやいやいや。肉体?改造部??おま、誘われてたの脳感電波部だろ。正反対の部活じゃあねえか」
「……ど、どういうこと。モブくん、マッチョになりたかったの」
「いえ、」
口々に疑問を投げかける私たちに、モブくんはやっぱりマイペースにお茶を一口含んでから喋り出した。
どこか近くで豆腐屋の気の抜けたラッパの音が聞こえる。
「……実は、僕、好きな子がいて。」
「えっ」
「…は?」
急に肉体を改造する部活に入部した、と伝えられたと思ったら、今度はまさかの好きな子がいる発言をされて私は目が白黒となる。
……まさか、モブくんに好きな子……???
衝撃の事実に頭が追いつかないと同時に、じわじわと寂しさにも似た、置いていかれたという気持ちが胸を占める。
「初恋の子なんです。でも、その子は僕や、僕の超能力には興味がなくて。だから、その子に少しでも認めてもらえるように、自分を鍛えよう、って。そう思って入部したんです」
脳感電波部は断りました、と続けたモブくんに、やっぱりまだぽかんとしてしまう。
……そうか、モブくん。好きな子いたんだ。それに、もう自分の目標まで見つけている。
私は目の前で照れたように言うモブくんが、どこか遠い存在になってしまったように感じた。
私はモブくんを、どこか自分と重ねてみている節があった。同じ超能力者ということを除いても、彼とは通ずるところがあると思っていた。
不器用なところ。人と関わるのが苦手なところ。自分自身を、よく理解していないところ。
だから、自分が何をしたいのかよくわからない。将来の夢も目標も、誰かを好きになることもできない。けれど、それは私一人じゃない、きっとモブくんも同じ気持ちでいるはず。そう、勝手な仲間意識を持ってしまっていた。
けれどモブくんは私なんかより先に目標を見つけ、好きな子もいて、それを取りに行ける行動力も手に入れている。短いけれど同じ時間をこの事務所で過ごしていたはずなのに。成長していないのは、私だけ。
そんな言い知れぬ不安感と寂しさを感じていると、今までぽかんとしていた霊幻先生がいつものにやりとした笑みを浮かべて言った。
「やるじゃねーか!モブ!」
「えっ…」
「いやー、まさかお前に好きな子とはな!こないだまでランドセルしょったおどおどしたガキだったのに……」
「いや、それもう2年も前の話ですし」
「まあ、自分が決めたことだ、しっかりやれよ」
そう、励ましの言葉をかける霊幻先生は、素直に弟子の成長を喜んでいた。私も、本当は同じ気持ちで祝いたかった。けれど、胸に引っかかったトゲのようなものが邪魔して上手く言葉が出てこない。
そんな私を置いて目の前で展開されていく会話。
「……はい。あの、それで部活のある日はバイト遅くなるか、休ませてほしいんですけど……大丈夫ですか」
「おう。ナマエもいるし大丈夫だろ。なっ」
「えっ……」
ふいに、唐突に振られた話。
ぼんやり2人のやり取りを聞いていた私はハッと我に返る。そんな私に2人の視線が注がれる。ちらり、とモブくんの方を見ると、初めて会った時のような黒々とした底の読めない瞳をこちらに向けていた。
私は、精一杯笑顔で言葉を紡ぐ。
「……うん!私もいるから心配しないで。その子に振り向いてもらえるよう、部活がんばってね」
私は、上手く笑えてるかな。口角、引きつってないかな。頭の隅でそんなことを考えてしまっていた。
口にした言葉は本音のはずだった。けれど、心のどこかには、羨ましさや、寂しさが混在している。そんな本音を悟られぬよう、精一杯務めたつもりだった。
けれど、モブくんは私の言葉に反応せず、変わりにやっぱりいつもの無表情でじっ、と少しの間こちらを見つめてきた。そんなモブくんの様子に霊幻先生も少し怪訝そうな表情をする。
そして、ようやくその小さな口から言葉が紡がれた。それは、きっと本音ではない。私と同じ。なんとなくそう、感じ取ってしまった。
「……ありがとうございます。がんばります」
ほんのり口元に笑みをたたえて、モブくんはそう言った。そしてそのまま「たまには僕がお茶いれてきますね」と思いついたようにそう言ってこの場をあとにした。お盆に先生と私とモブくんの、空になった湯のみを乗せて給湯室へ向かう。
「……」
「……」
残された先生と私の間には何とも言えない沈黙が流れていた。
モブくんが話し出す前までは、普段と何の変わりもない、心地のいい沈黙のはずだったのに。今の話でそれぞれの心に、何の変化があったのだろう。
給湯室から聞こえる沸かし始めのやかんの音を聞きつつ、気づけば私は霊幻先生に話しかけていた。
「……すごいですね、モブくん。好きな子がいるなんて」
「……なんだ、もしかしてショックなのか?」
「……いや、」
バサリ、と再び夕刊を広げておもしろそうな笑みで訊ねてきた先生だけど、当の私の歯切れの悪い返事に紙面に向いていた視線がこちらに注がれる。
しかしそれもすぐに新聞に戻された。私の視線もノートの解きかけの数学の問題に移される。もう一度ペンを持ったけど、進まない。数式が頭に入ってこない。いつもだけど。
「……お前は学校に好きなヤツとかいねーの?」
「……いないです。そういう先生は、彼女いるんですか?」
「俺はまあ、いないというよりつくらないだけだから」
そんなことを言う先生にちらりと視線を移すも、そんな冗談を言えるくらいだから当然、過去には好きになった人や、彼女の一人や二人いただろう。
モブくんも、先生も、学校の人たちも。みんなにあって私にないものってなんだろう?家族愛や、友情の延長線上にあるもの?それとも、全く別の感情なのだろうか。
恋ってなに?人を好きになるって、どうすればできるの。
昨日のプリクラ機の幽霊のことを思い出す。
「……私、好きな人って自然にできるものだと思ってました。だから、小学生の頃、友達の恋バナに入れなかったのも、好きなアイドルグループの話に入れなかったのも、私はまだその時じゃないと思って安心してた」
「……」
「けど、いつになっても好きな人はできない。自然に恋をして、結婚して、家庭を持って、そうして過ぎていく平凡で短い人生が私にもあるって、そう思ってた。けれど、本当にそうなのかな、って、最近思うんです」
「……」
「私は、人を好きになれないんじゃないか、って……不安で、」
こんなことを言って、きっと先生を困らせる。こんなの思春期のありふれた悩みだってこともわかってる。けれど、それは大人が思うことだ。今の私たちにはこれが大きな悩みなのだ。過ぎた日の思い出の一ページじゃない。今、十代を生きる私たちの悩み。
私は恥ずかしい気持ちを抑えて先生の答えを待った。給湯室ではやかんの湯気を吹き出す音が徐々に激しくなっている。まるで、答えを急いでる私のように。
「……お前なー、まだ十代だろ?気にしすぎなんだよ、いろんなこと」
「え……」
「お前の言う通り、お前はまだほんとに好きな奴に出会ってないだけだって。高校卒業して、大学でも行ったら途端にサークルだ合コンだってすぐに彼氏の一人や二人できるよ」
「……」
「だからそんな気にすんな、なっ?」
なだめるようにそう言った先生は、またすぐに夕刊へと視線を戻した。そんな先生の言葉と姿に、
『大人はみんなそう言うんだ。』
そんな、ありふれた言葉が浮かんでしまう。
私は先生に何を期待していたのだろう。何を言って欲しかったのだろう。勝手に期待して、勝手に落ち込んで、バカみたいだ。
先生の言葉は正論なのに、何かもっと、自分を安心させてくれるような言葉をくれるとでも思っていたのか。そんなわけ、ないのに。
「お茶、はいりましたよ」
「あ、ありがと…」
「サンキュー」
再び沈黙の流れたこの場にタイミングよくモブくんがお盆に乗せていれたばかりのお茶を持ってきてくれた。それにお礼を言って湯のみを受け取る私と霊幻先生。
そして私たちはまた、さっきと同じ定位置について各々のことをする。先生はデスクチェアで夕刊を読んで、私は課題の続き。モブくんはいれたてのお茶を冷ましながら飲んでいて、ただのいつもと変わらない、放課後の光景。
けれど、私たちの心の中にはさっきよりほんの少しだけ、小さな溝ができたように感じた。ただの、私の気のせいかもしれないけれど。
右手にシャーペンを持ったまま、解きかけの数式はやっぱり答えが出なかった。
☆
そんな会話をしたのが昨日の放課後。
今日も学校を終えた私は放課後霊とか相談所へバイトに行くべく帰り支度をしていた。
カバンを持って廊下へ出ると、そこでふと並んで歩く同級生の男女が目に付く。べたべた手をつないだり腕を組んだりはしてないものの、ハタ目で見て付き合ってるのがわかる程度の雰囲気。学年でも有名なカップルだった。
「……」
果たして自分と同い年の男女が、自分の想像もつかないような関係でいることが不思議であり好奇心がわく。
手をつないだり、キスをしたり、…その先も。いつか自分もそういうことをする相手が現れるのか、恋をしたりするのか、と考えるけど現実味がない。
仲良さげに隣を通り過ぎていく2人にドキドキしつつ、私は隣のクラスの出入り口に向かった。
昨日の事務所での一件もあり、少しモヤモヤしたようなさみしい気持ちを抱えながら。けれど、ハルやアンナと帰ってる内にそんな気持ちも晴れる、そう思って教室を見回した。けれど、
「(……あれ?)」
キョロキョロと見回しても教室に2人の姿はない。もしかすると先に帰ってしまったのかもしれない、と更に落ち込むも、とりあえず誰かに聞いてみようと手近な人を探していると。
「宮田さんと松本さんなら委員会の仕事で会議室に行ったよ」
ふいに背後からそう声をかけられて振り向くと、そこには頭一個分くらい上から、見下ろす男子生徒の姿があった。制服のボタンは開けられ、ゆるいネクタイ。髪は校則の6トーンよりずいぶん明るめの茶髪。私でも名前くらいは知ってる、学年でも目立つ派手な男の子だった。
赤坂シンジ。ハルとアンナと同じクラスの、金持ちのチャラい男。話したことは無いけれど、あまりいい噂は聞かない。
赤坂くんにそう言われてスマホを確認してみると、確かにグループラインで『委員会で遅くなるから先帰ってて!』とメッセージが届いていた。サイレントマナーにしてたから気づかなかったみたいだ。
「……ほんとだ。教えてくれてありがと。それじゃあ、」
あまりかかわり合いになりたくない奴とはいえ、親切にしてもらったのでお礼を言ってその場をあとにしようとした。ハルやアンナと帰れなかったのは残念だけど仕方ない。そう思いながら踵を返した。けれど、
「ねえ、ミョウジさんってレッドツェッペリン好きってほんと?」
そう、再び背後から声をかけられて思わずパッ!と振り向く。その時の私は驚きと、嬉しさが混じったような顔をしていただろう。私の顔を見て赤坂くんはおかしそうにくすりと笑った。
慌てて表情を引き締める。
「……好きだけど。なんで?」
「実は俺も大ファンなんだ。宮田さんと松本さんから聞いたんだよ。ねえ、よかったらこれからお茶しない?奢るよ」
「ハルとアンナから……?」
あまり趣味の話を他人にしたことはない。知らない話を永遠にされても戸惑うだろうし、みんな興味がないと思っていたから。
でも、たしかにハルやアンナには話した。けれどそれを赤坂くんが知ってるのには違和感を覚える。だって2人は……特にハルは赤坂くんのようなタイプは苦手通り越して嫌いだろうし、話す接点なんてないはずだ。
目の前でニコニコと笑うほぼ初対面の男に怪訝な顔を向ける。やっぱりかかわり合いになるのはよそう。趣味が同じっていうのも胡散臭いし。
「えっと、ごめん。これからバイトなんだ。また時間がある時にね」
そう言ってやんわり断って足早にこの場を立ち去ろうとする。もちろんまた今度なんてあるはずない。
そもそもこの赤坂くんは、勉強もスポーツもそこそこできて、顔立ちも柔和だしフレンドリーでたしかにモテる。けれど実家がお金持ちということもあり、お金で人を雇って悪いことをしているとか、関係を持った女の子の扱いが酷いとか、ロクな噂を聞かない。
所詮噂は噂だけど、さわらぬ神に祟なしだ。それに、なんとなく本能で感じ取る。あまり関わってはいけない人だ、と。
しかし立ち去ろうとする私の足を、再び容易に止める一言を赤坂くんは放つ。
「君が超能力者だってみんなにバラすって言ったら?」
「……は?」
思わず低い声が出た。少し厳しい表情で振り返った私を見て、また赤坂くんはくすりと笑う。その様子が気に入らなくて更に眉間にシワがよるのがわかった。
「この前の集団白昼夢事件。あれミョウジさんも一枚噛んでるよねえ。いや俺さ、あの時校舎裏でまあ色々してたんだけど、女の子が帰ったあとにあんなことが起きるじゃん?超びっくりしてさあ」
「……」
「あ、これ証拠写真ね」
「……!!」
そう言って目の前に突きつけられたスマホの中の写真に目を大きく見開く。そこには崩れゆく階段をなおして、駆け上がっていく私の姿が写っていた。まさか、あの時こいつが校舎裏にいたのか。アングル的に、非常階段の裏。そこで女の子とそういうことでもしていたのだろうか。
まさか集団白昼夢、と一件落着したあの事件に、こんなにハッキリした目撃者がいたなんて。それも、今の今まで誰にも口外せず、当人の私に写真を突きつけてきた。明らかに、何か脅し目的でしかない。
「……なに、それ。合成写真?超能力だなんて、そんなくだらない引っ掛け方するなんてびっくりだよ」
あくまで冷静に、シラを切る。けれど内心嫌な汗をかきそうだった。よりによってこんな奴に。一度弱味を握られたら何をされるかわからない。それどころか、もし学校に、友達に私の能力がバレてしまったら……そう考えると泣きそうな不安が襲ってきた。
「ふうん?あくまでシラを切るんだね。まあいいけど。でも俺の言うことを聞かないと後悔するのはミョウジさんの方だと思うよ?」
「……ハッタリでしょ、」
「そう思ってくれてもいいけど。まあ言うだけ言うよ。今日の放課後、ある場所に君の大切な親友2人を呼び出してる。」
「……何?」
こともなげにあっけらかんと言った赤坂くんに更に不安がこみ上げる。そもそも、委員会だったら昼休み、一緒にごはんを食べた時そう言うだろうし、赤坂くんが私の個人的な趣味を知ってたのだって不審だ。
赤坂くんの言うことがほんとなら、ハルとアンナを脅して私の情報を引き出し、更に2人を私をおびき出す口実にしてどこかに拘束でもしてるとすれば……。そんな嫌な考えが次から次へと頭をよぎって、思わず動揺してしまう。
キッ、と赤坂くんの方を睨む。もしそれがほんとなら、こいつは絶対に許さない。そんな気持ちを込めて。
「お〜〜怖い怖い。そんな睨むなよ。大丈夫だって今はほんとに2人は委員会に行ってるだけで、何も手荒なこともしてないしただ呼び出しただけ。ほんとにそれだけ。」
「……」
「大変だったんだぜ?1人は俺が話しかけようもんなら噛みついてきそうな勢いでさあ、もう1人も大人しそうに見えて強情で、なかなか言うこと聞かないし。でもまあ、ちょいと脅せばすぐ従順になったよ。まあ、信じるか信じないかは君次第だけど」
「……あんたの目的は何?」
軽い口調で人を脅すとか、そんなことをのたまう赤坂くんに嫌悪感がこみ上げる。
こいつは人を大切にできない、酷い奴だと確信する。金で人を買うのも、関係を持った女の子をぞんざいに扱うのも、自分の目的のために人を脅すのも、自己中心的で人を物としか扱えない奴のすることだ。
だから、そう問いかけた私の言葉にも赤坂くんは脳天気に答えた。あくまで笑顔を絶やさず、無邪気な子供のように。
「目的?べつにそんなのはないけどさあ。あわよくば楽しみたい、面白いもんが見たいだけ。だって毎日退屈じゃねえ?毎日毎日、同じような奴らと机並べて同じような勉強して。金があれば大抵のものは手に入るし、それにそこそこのルックスがあれば人生なんてイージーモードさ。」
「……」
「だからこそ退屈なんだよ。毎日退屈で退屈で、死んじまいそうなくらい。そこにあんたみたいな非現実的な存在が現れたら誰だって食いつく。それだけのことさ」
呆れた言い分に返す言葉もなかった。けれど、その言葉には少しだけ、説得力があるようにも感じた。
思春期には特にそう思うかもしれない。変わらない日常。漠然とした将来への不安。義務教育を課せられて、それぞれの個性を殺して平等が正義とされる狭い教室という名の社会に閉じ込められて。
何者にもなれない不安を、退屈を、みんな鬱屈とした思いをどこかに抱えているのが私たちなんじゃないか。
ざわざわとした放課後の廊下の喧騒。普段会話をするように見えない私たち、特にそうでなくとも目立つ赤坂くんと教室の出入り口で何やらヒソヒソと会話をしていたら、当然目立ってしまう。気づけば周囲の視線はどことなくこちらに集まっていて、それに赤坂くんも気づいたのか念を押すように私に訊ねる。
「……なあ。お茶をするだけでいいんだ。とりあえず俺と帰ろうぜ」
安否のわからない親友2人と、周囲の不審な視線。それに押し負けた私はひとまずこの場を離れるべく赤坂くんの問いかけに頷いた。
「……わかった。とりあえず出よう」
そう言った私に赤坂くんは当然と言うようににっこり笑って、歩き出した私の隣に並んだ。相変わらず周囲の視線は謎の組み合わせの私たちに向いている。とりあえず以前の流血事件の時みたいに、変な噂にならなければいいけど…。そう思いながら学校をあとにした。
☆
「……ねえ、バイト先に休むって連絡いれたいんだけど」
学校を出て、赤坂くんに着いて大通りへ出てきていた私たち。賑わうそこは同じように制服を着た女子高生やカップルで溢れている。ハタから見れば私たちもそう見えるのだろうか。けれどその実脅されて着いてきた超能力者と、脅したゲスい男子高校生でしかない。初めての制服デートがこんなやつだなんて御免だ。
スタバに入ろうとする赤坂くんに背後から声をかける。すると振り返った彼は「ああ、いいよ」と軽い感じでそのへんの自転車止めのアーチのあたりに向かった。私もそれに続いて通行の邪魔にならないところで足を止める。
「……」
スマホを立ち上げて電話帳を開く。ふと見上げるとその様子を上からのぞき込む赤坂くん。意外とデリカシーがない。反射的にその画面を隠した。
「……なに」
「いや、ロックかけてないんだなー、と思って。不用心だよ」
「関係ないでしょ」
赤坂くんの言う通り、元来のめんどくさがりな性格からスマホにロックかけてなかった。けれど、そんなことこいつには関係ない。
そういうと赤坂くんはハイハイ、とあしらうようにそっぽを向くからムカつく。そう思いながらもとりあえず先生に電話をかけるべく通話ボタンを押した。
プルルルルッ、
「……もしもし、霊幻先生?」
「…おー、ナマエ。どうした。また物騒な事件でも起きたのか?」
「え"っ、い、いえ……全然そんなんじゃあ、ないんですけど……」
コール数回のあとに、やっぱり先生はすぐに電話に出てくれた。先生の声を聞いて少しほっとしたけど、物騒な事件、という言葉に思わずぎくりとしてしまう。それに、昨日の一件があったから少し話しづらい。やっぱり所詮は雇い主と従業員、そしてただの同僚。あまり仕事に私情を挟むのはよくないのかもしれない。
「……えっと、い、委員会、で……それが少し長引きそうで……バイト、休ませてほしいんです……」
「……ふうん?委員会な…。お前そんなん入ってたっけ?やる気なさそうなのに意外だな」
そう思った私はとっさに誤魔化すような嘘をついていた。ふいに視線を隣に向けると赤坂くんが意味あり気な目でこちらを見つめていたからすぐに逸らす。
先生が不審そうな声で訊ねる。スマホを持つ手にじわりと汗が滲む。居心地の悪い、空気。目の前では楽しそうにクレープを食べながら歩く女子高生たちが通り過ぎていった。
「し、失礼ですね…。入ってたんですよ言ってなかったけど……そ、そういうわけで、今日のバイトは……」
「おーいナマエちゃんいつまで話してんだよっ!」
「!?ちょっ、」
「……は?」
なんとか誤魔化すように冗談めかして言ってみたけれど、電話口からはどこか訝しげな空気が伝わってくるようだった。そんな空気から逃れるように早々に電話を切ろうとした私に、急に背後から肩にかけて腕が回される。
いきなりのことに驚いて見上げると案の定赤坂くんが馴れ馴れしく肩を組んで電話口にも聞こえるような声でそう言った。電話の向こうで先生の更に驚いたような怪しんだ声が聞こえる。
「す、すみません先生ちょっと騒がしい場所で……えっと、そういうことで今日はバイト行けないんです!!ほんとごめんなさい!!それじゃ!!」
「ちょ、オイ、おま……」
焦った私は電話口でまだ先生が何かを言っていたのにもかかわらず勢いで電話を切ってしまった。ツー、ツー、と通話口から流れる音に呆然とするも、すぐに隣の男を睨みつけるように見上げる。
「勝手なことしないでよ!!」
「いいじゃん別に。バイト先の上司だろ?ナマエちゃんこそ委員会とか嘘ついてさ……もしかしてそいつには知られたくなかったとか??」
「な、……べ、べつにそんなんじゃあ……それと気安く名前で呼ぶな!」
「ハイハイミョウジさん。」
悪びれもせずやれやれと言ったように手のひらを広げ外人ポーズを取る赤坂くんにどんどん怒りがこみ上げる。
しかし歩道の端とはいえ、人が大勢集まる通りでなんだか騒がしい(主に私が一方的に)言い合いをしていれば自然と注目を集める。痴話喧嘩か何かと思ったのか、女子高生や主婦、キャッチのお兄さんらしき人までじろじろと視線を感じて少し押し黙る。
でもたしかに、霊幻先生やモブくんには知られたくなかった。昨日の今日でまた相談や面倒事を押し付けられてはそれこそ呆れられてしまうと思ったのと、単純に弱味につけこまれてこんな奴にいいように言う事を聞かされていることを知られたくなかった。それに、
大人しくなった私に赤坂くんは言葉を続ける。見上げると、その目は純粋な好奇心に満ちていた。
「……さっきさあ、バイト先の人のこと“先生”とか呼んでたけど、もしかして超能力の先生とか?そういえば集団白昼夢の前日も流血事件があったらしいし、あの日君は何かと戦ってたとか?じゃないとあんな派手なアクション起きないよなあ。だとすると、君のバイト先ってそういう超常現象とか、オカルティックなものを扱うところだったりして???」
矢継ぎ早に興奮したように言った赤坂くんの言葉が、あまりにも的を射ていてたじろぐ。こいつ、カンは鋭いというかさすがに頭はいい。私の能力だけじゃなく予想外のところにも目をつけられて動揺する。
思わず口をつぐんだ私に、更に赤坂くんは思いもよらぬ言葉を投げかける。
「なあ、バイト休むことなんてないよ。俺もそのバイト先に連れてってよ。目的の場所に行くにはそれでも遅くないからさあ」
「……な、」
ニヤニヤとした笑顔でそう言う赤坂くんに、途端に不安や恐怖を感じる。さっき私の親友を脅した、と言われた時もそうだった。こいつは、私だけでなく私の大切な人まで傷つけようとしている。ハルやアンナだけでなく、先生やモブくんまでも。
そんなことは絶対にさせない。私の大切なあの場所に、こんなやつを踏み入れさせたりはしない。
「嫌だ。私はなんでもする。だから、ハルやアンナや、……私の大切な人には手を出さないで」
「……」
語尾がかすかに震えた。そんな様子を見て赤坂くんは少し言葉を切ってじっとこちらを見つめていた。
正直、こんな下衆な奴が、人のお願いなんて聞いてくれるはずがない。それどころか、下手に出れば嬉々としてその弱味につけこんでくるだろう奴だと思っていた。けれど、私にはそう願いを乞うしかなかったのだ。
うつむきながら答えを待つ私に、ほんとに、ほんとに意外にも赤坂くんは告げた。
「……わかった。君の大切な人には手を出さない。約束するよ。」
「……え…、」
「ほら、行くよ」
淡々とそれだけ告げた赤坂くんは踵を返してさっさと目の前のスタバに入って行こうとする。そんな姿に呆気に取られていた私だが、慌ててその後を追った。
やっぱり、人の考えていることなんてさっぱりわからない。別にこいつがいいやつなんて言う気は更々ないが、けして善と悪がハッキリ区別つけられないように、こいつはこいつの考えがあるのだろう。そう思いながらお店の扉をくぐった。