「お話とは」


「いい香りですね、今夜はライスカレーといったところかな?」


「……申し訳ありませんが、手短にお願いします」



こちらの緊張と焦れた心うちを見透かすように軍人は余裕のある態度を崩さない。ふむ、と店内を見回しては壁に飾られた絵画や装飾品に興味を示していた。


「いえね、ほんのご忠告とご協力頂きたく足を運んだのですがーー先日小樽運河より一人の男の遺体が上がりましてね。警察が捜査しているのですが……難攻しているようでして」


「……それは物騒な話ですね。お忙しいのに捜査に協力とは、帝国軍の方々には頭が下がります」


「犯人はまだ捕まっていません。サーベルしか持たぬ警官には些か荷の重い話……なにせその上がった遺体、顔が潰されて上半身の皮を綺麗に剥ぎ取られていたもので」


「………」


「おっと、気分を害したらすみません。こんなお食事時に」


柔らかな物腰で神経に触る言葉を選んでくる。この男が何らかの疑いか攻撃意思を私、もしくはこの七ツ屋へ向けているのは肌で感じとった。
そしてその心理戦はたしかに成功していた。男の言葉を聞いて内心はひどく動揺していた。まずはあの刺青人皮が本物の人間のものであるほぼ確証に近い情報と、被害者の男は網走脱獄囚の一人、津山睦雄かもしれないということ、そしてその情報が漏れることを防ぐためか、とにかく身元を特定させないために顔が潰されていたということ。


当然あのおじさんの顔が浮かんだ。この刺青人皮を質入れしてからすっかり顔を出さなくなったあの初老の男。もしかしておじさんが殺したのだろうか、そんな嫌な疑惑が頭を過る。



「ところで、ここ最近動物皮のような、妙な品物が質入れされませんでしたかね」


「……さあ、どうだったか……。一日数十人というお客さんを相手にしますんで。動物の皮なら時たま猟師の方が持ってきますが、大抵は顔見知りの毛皮商へ売ることが多いでしょうね」


「そうですか。では少し台帳を検めても宜しいかな?もしかすると剥いだ皮を売り飛ばした輩がいるかもしれません。それが見つかれば犯人像にぐっと近づく」


「まさかそんな、悪趣味な」


心臓の音が相手に聞こえてしまうのではと思うほど速度を増す。台帳には刺青人皮の記載はしていない。もちろん動物皮云々とも書いていない。おじさんの後に訪れた客に融資した金額を少しずつかさ増しして記入しただけだ(結局女将には質草と釣り合いが取れないと叱られたが)。

大丈夫だ、この男が番台の下のボロ布を開かない限り足がつくことはないだろう。そう平静を装いパラリ、パラリと静かにページを捲る男の指先の動きと紙の音だけがスローモーションのように土間に響くのを聞いていた。そんな最中に男がぽつりとこぼす。


「……先月は来なかったようだね」


「…え?」


「軽く遡っただけで一年以上、毎月月末に“純金製の芍薬の指輪”を質入れに来る人物が、先月は来なかったようだから」


ひゅ、と喉の奥が小さく鳴ったその音を唇を噛んで押し止めた。膝の上に握った拳が震えている。たった数分眺めただけでその変化に気づいてしまうのか。

なんだ、この男は。一体何者なんだ。

本来なら「ああ、そういえば先月は来ていませんね。どうしたんでしょうか」で済む話だ。しかしそう答えればおじさんの身元が調べられてしまうだろう。恐らくおじさんの名前は偽名、住所は不定だが幾らこの広い北海道の中といえこの男相手にそう長くは逃げられないだろうと思わせた。



「そういえば、きみは占いが得意だと聞いたよ。私の部下たちも非番になるときみの元へ通うのだと聞かされた」


「……なんですか、急に」

「人間の知性の根源は“騙すこと”だ。ヴェスヴィオ火山の噴火も、サンフランシスコの大地震も、あまつさえ未来から来たという眉唾話も、語り手さえ伴えばそれは真実となる」



突然脈絡のない話を始めた男に一瞬なんのことかと思ったが、その言葉をゆっくりと咀嚼してそして理解する。自分の置かれた状況の違和感に。初めは刺青人皮の隠蔽について疑われているのだと思った。質屋が人間の皮を買い取るにはそれなりの理由が必要だ。埋蔵金の話を聞いた私たちが人皮を懐に隠したと。けれど違う。この男は初めから私やこの七ツ屋のことを知っていたのだ。調べた上で私に訊ね、じわじわと酸素を奪うように追い詰める。


指先が動いた。ほんの数センチ、数ミリ、危機を察知した動物的本能が無意識下で体を動かしたに他ならなかった。番台の下、手のひらの先には護身用のナタがあると女将に教えられていた。


このナタを取ったところで果たして私にこの男の体へ振りかざす度胸はあるのか。そんなことを考えている余裕などなかった。しかし私の指先がその木製の柄の部分に触れる前に、私の右腕は何者かによって背後から捻り上げられたのだった。


「いっ、……!!」

「こらこら二階堂、もう少し優しく」


「しかしこの女ナタを中尉殿にぶっ刺すつもりでしたよ」


「おや、それはいけないね」


なんの気配もなく背後から現れた男は私の右腕を捻り上げると片膝に体重をかけて体を抑え込んだ。私のほんの僅かな攻撃意思も読まれていた。それだけでなく背後から現れたということは裏口を通じて中へ侵入したということ。それを理解した瞬間にサッと血の気が引くのがわかった。女将は今、どうしている。


「離せ!!お前ら女将に何しやがった!!」


「きみが大人しくしていれば危害は加えない。今は二階堂ーー……どっちかわからんが、ともかく私の部下が彼女の身柄を確保している。何も心配はいらない」


「………」


「……さて、きみが取るべき行動はわかるね?」



ここに来てから男は一度も声を荒げなかった。優しく聞き分けのない子供に諭すような口ぶりは癇に障り、同時にひどく恐ろしかった。死神。もし本当にそんな存在がいるのなら、この男のように優しいのかもしれない、そんなことを思った。
私はただそんな男を足元から睨みつけることしかできなかった。


22082022



prev | index | next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -