「ありがとう、白石。ほんとに助かった」



「何言ってんの、作戦考えたのほとんどナマエちゃんだろ?アンタペテン師の才能あるぜ」


「嬉しくないなあ…」



「これ、少ないけど。何か美味しいものでも食べて」と私は当初の約束だった謝礼金を白石へ渡す。白石との契約を女将へ伝えたところ、なんだかんだ質草の一部を換金してくれたのだ。口は悪いけど人の良い女将だと思う。白石もまた差し出したそれをおう、ありがとよ。と気持ちよく受け取った。自らを脱獄王と名乗った男だ、気のいい兄ちゃんに見えるがコイツも脛に傷のある人間なのだろう。


「暫く小樽にいるの?」

「おう、冬までは滞在するつもりだがーーその先はわかんねェな」


「そっか、じゃあまた会うかもね」


「そうだな。まあナマエちゃんが無事に故郷とやらに帰れるに越したことはないが」


「たしかに」



それじゃ、別れ際の握手を交わして、白石は後ろ手を振りながら夕暮れの雑踏の中へ紛れていった。それを見送ると私はなんだか数年分のような疲労をどっと感じ、少しの間その場でうつ向いて立ち尽くしていた。
白石はいいやつだった。女将もそうだ。けれどそれは運が良かっただけで、ともすれば私は右も左も分からない百二十年前の世界で途方に暮れ夜を彷徨っていたかもしれない。そう考えると自分が置かれた現実を痛いほど理解できた。そのストレスを、気が抜けた今ようやく感じたのだろう。


今日は女将にお願いして早く休ませてもらおう、そう考えながらふらふらと踵を返したところ、またも肩に分厚い手のひらの感触があった。振り返ればそこには出会った時のように白石が立っていて、あの時と違うのは彼がほんの少し息を切らしていることだった。


「白石?何か忘れ物……あ、飴ちゃんまだ欲しいの?好きだねえ」


「いや、……じゃなくて……」



どうやら飴が好物だったらしい白石は、私が報酬として冗談で差し出したフルーツキャンディをまんざらでもない顔で口の中で転がしていた。てっきりまだ欲しいのかと思い訊ねると否定された。白石は少し息を整えると先ほどまでの口八丁とは打って変わって言葉を選ぶようにあー、とかうー、とか唸って目をキョロキョロとさせた。



「……妙な、刺青の男には気をつけろ」


「…妙な、刺青……?」


「それだけだ。あばよ、ナマエちゃん!!」



両手の人差し指で宙を指すポーズをして、白石は今度こそ雑踏の中へ消えていった。ふと気づいてポケットに入れていた飴玉を確認すると二つほど消えていた。抜かりのない男だ。けれどそんな男がわざわざ踵を返して、そして言いづらそうに言葉を選んでまで私に伝えたかったその真意とはなんだったのか。あの時はただ夕闇に紛れる男の背中を見送るだけで、その重大さに気づけなかった。








「………」



あれは約四ヶ月前のことで、あれ以来白石とは顔を合わせていない。私は結局未だ現代に帰れておらず、それどころかすっかり質屋の仕事を覚え、女将の当初の思惑どおり店の看板娘(無賃金)として働いていた。
質屋の仕事というのはどうやら常連相手の接客が多い。中には誰かと話すことを楽しみとして訪れる人もいる。そんな人たちにとってこの時代では荒唐無稽な未来の話や、雑談や悩み相談、そんなことをしているうちに気づけば店はずいぶん繁盛していたようだ。機嫌がいい女将は昼食のニシン蕎麦のニシンを一匹増やしてくれたりした。


そんなふうに忙しなく、そして順応とは恐ろしいもので特別不自由なくこの四ヶ月を過ごしてきた私にとって白石のあの言葉は忘れかけていたものだった。


けれど思い出した。触れるのも憚られる生々しい人の皮膚の感触に刻まれた奇妙な刺青。恐らくこれこそ、白石由竹の忠告したかった“妙な刺青の男”なのだろう。



女将は台所で夕食の支度をしている。まな板の上で包丁が刻む音や鍋が煮える音、夕飯時のいいにおいが漂ってくるとどこか郷愁を煽られるのはいつの時代も同じなのだろう。そんな暖簾を下ろした後の店の番台の奥で、数日前に仕入れた刺青人皮をまるで悪いことをしている気分で広げ、そして再びボロ布に仕舞った。これは恐らく関わってはいけないことだ。あのオッサンが嘯いていた埋蔵金の話も、きっと誰にももらしてはいけない。




「御免ください……」




戸締まりを終えたはずの木製の扉がギィ、と低い音を立てて開くのを聞いた。ハッとして布に包んだ刺青人皮を番台の下へ隠すと声のした方へ振り向いた。低い、少しくぐもった声の男だった。街灯の明かりがぼんやり薄暗い店内へ入り込み、その男の額にあてられたそれを鈍く照らした。



死神。



真っ暗な闇を背後に背負ったまるで死神のような男だと思った。男の身なりは威厳のある洋服ーーいわゆる軍服というものを身に着けていた。色は高貴な白。なのに暗闇にぼんやりと浮かぶその姿は不気味という他ない。


「すみません。今日はもう暖簾を下ろしましたので」


「それは失礼しましたお嬢さん、ですが少し小耳に挟んで頂きたいことがありまして」


あくまで冷静に対応する私を嘲笑うように軍人は高貴な振りをしてこちらとの距離を詰める。鋲を打たれた軍靴の足音がコツ、コツと冷たく店先に響き渡る。そして軍人は私の眼前で立ち止まると柔らかく目尻と口元を綻ばせた。明かりの下で見た男の顔は額からその半分が爛れており、その傷を頑丈な額当てで保護し、隠しているようだった。おおよそその傷でよくこのように生きていられたな、と思わせるほどグロテスクなものだが、髭を蓄えた紳士風の物腰はその凄惨さを中和してしまう。



「半刻ほどお時間宜しいですかな」



店先には不釣り合いな夕刻の匂いが漂っていた。



21082022



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