ことの発端はこうだった。金曜日、授業終わりに図書館に立ち寄った私は数冊の本を手に取り内容を確認していた。というのも来週末が期限のレポート課題が出されたので、週末のうちにある程度進めておきたいという考えがあったから。
広々とした放課後の図書館はどうやら似た考えの学生で溢れていた。私は人気の少ない隅の方の席を確保し、溜まった一週間の疲れと戦うように眠い目をこすりながら課題に合いそうなコンセプトを探す。


ちなみに課題のテーマは『日本におけるロシア語の発展』だ。専攻科目とは関係ないものの、第二外国語を必修としているこの大学では、二年目以降に七種類の外国語の中から一つを選ばなければならない。そんな私は知らなかった、人気のある言語を第一希望に入れ、それ以降を適当に固めた結果、高確率で倍率の低いロシア語に当たってしまうことを。


ゼミの先輩からその忠告を聞いたのも後の祭り、しっかりロシア語を履修登録してしまった私はその文法と発音の難解さにすっかり骨が折れていた。加えてロシア語の発展……と言われても正直日露戦争や領土問題、キャビアやマトリョーシカのイメージしかない。無学でごめん。と思いつつ、まずは手始めに歴史書を捲っていた。
そんな私の手元にひとつ影が落ちてきて対面の椅子が引かれる音がした。促されるようにそちらを見ると学生らしき女性が一冊の本を眺めて座っていた。ページを捲るその人差し指にはレトロな金色の指輪が嵌っている。いわゆるゴールド、という響きは似つかわしくない、丁寧で上品な指輪だった。その中央は何か花のモチーフで装飾されている。



「………」


「………!」



私たちの年代でこういう指輪を着けているのは珍しいな、とあまりに不躾に見すぎたからか、目の前の女性は本に落としていた視線をこちらへ向けて、目が合ったことに身構えた私に対してにこりと優しい笑みを浮かべたのだ。コミュ症の私は軽く会釈をして逃げるように資料へと向き直った。なんだか胸がドキドキしている。というのも、何故だかこの人とは初めて会った気がしなかった。けれど、初対面の人間にそんなことを言うのは余りにも変なやつじゃないか。


そんな心のモヤモヤを抱えながら暫く作業をしていた私だったが、気づけば眠気に負けてその場でうたた寝してしまったのか何なのか……ともかく、そういう時の記憶は曖昧で、だから次に目覚めたときに眼前に広がる景色が、轟音と黒い煙を撒き散らしながら蒸気機関車が走り抜ける様子だったとしても、暫くはああ、妙な夢だなあと呆けていたのも仕方のないことだ。


21082022



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