飛んだ。画面の中、力強く床を蹴った小さな体はそのコートの中にいる誰よりも高く、そして目の前にボールがあることを知っているように一分の迷いもなく、爽快に、飛んだ。思わず感嘆を漏らすことも忘れてしまうほど、その小さく黒い背中が再びコートに降りた時、ホイッスルの音とともに攻撃が決まったことを知る。



「ーー……なんっ……ちゅーバネ」



ぽつり、呟いた侑の言葉がしんと静まり返った放課後の体育館に落ちる。部活終わりにみんなで囲んだラップトップの画面の中、小柄ながら常人離れした跳躍力と俊敏さ、そしてスタミナを見せる自分たちの未来の対戦相手、になるかもしれないその選手と彼を擁する高校に部員たちの目は釘付けとなった。


「スパイカーもすごいけどセッターほんまに人間かいな!?機械ちゃうん!?」

「いやあのウシワカ止めたミドルやろ。まだ一年とか腹立つわ〜〜」

「それ拾うリベロもさすがよな。見たらいっつもおるもん」

「いやいやこのチームの基礎支えてるんはオポやろ。あの人おらな守備穴だらけやで」

「つかあのリリーフサーバー心臓に毛ぇ生えとんか!!よおあんなぽっと出て活躍できんな!?」


あまりの衝撃に静まり返っていた体育館にじわじわと興奮の波が押し寄せる。皆口々に注目選手のポジション名を出すが、そのどれもに納得してしまうほど粗削りだが存在感とエネルギーに満ちたチームだった。
自分たちと同じ漆黒のユニフォーム。選手層は薄いながら、件の跳躍力オバケを筆頭にセッター、スパイカー、ブロッカー、オポジット、リベロ。どれも粒揃いであることを確認してぺろり、と侑が舌を出す。かあっこええなあ……!!!と目を輝かせて嬉々とする表情はまるで戦隊ヒーローを前にした子供のようだが、その目にはたしかに叩き潰したる、と闘志に満ちたぎらぎらとした鋭さを宿していた。そんな侑にナマエが周囲を見回すと、どの部員も彼と寸分違わぬような顔をしていてさすが苛烈不退転の稲荷崎……とその頼もしさに背筋が伸びる思いだった。


11月中旬。秋の過ごしやすい空気を通り過ぎて、めっきり冬のしんとした冷たさを感じるようになった頃。ここ最近の部活終わりには、こうして代表決定戦を勝ち抜いた全国52校の内の数校をピックアップして近々の試合を見る、というのが通例になっていた。
そうして本日最後に観たのが宮城県代表、烏野高校対王者白鳥沢学園の代表決定戦時の試合だった。


夏のインハイでは自分たちと準決勝を争った記憶に新しい白鳥沢を倒してその県代表の王座を奪ったという烏野とは、どんなところか、と思っていれば聞けば落ちた強豪、飛べない烏、などと揶揄されている決して目立った高校ではなかった。しかし試合が進むにつれて徐々にエンジンがかかり、リミッターが外れてくるとそれはもう、超攻撃に特化した泥臭く雑食なチームで彼らはすぐに稲荷崎の闘志に火をつけた。

一方ナマエは烏野の大きな武器の一つである、シンクロ攻撃を見て梅雨の終わりの、まだ自分がみんなと全く打ち解けていなかった頃にした会話を思い出す。


『ほしたら、もしかして後衛におる時にリベロがトス上げて、他の全員でスパイク打ちに行ったら、攻撃力マックス……言うこと?』


アタックラインを踏み切って、トスを上げたリベロの球に全員が食らいつく超攻撃的戦法。あの時角名が言っていた、諸刃の剣、という言葉通りに守りを一切捨て、攻撃のみに全力投球する様にまさかこんな滅茶苦茶な攻め方をするチームがいるなんて、とナマエは驚くと同時にその異質なエネルギーに言い知れぬ恐怖を覚えた。そうして同時にもうあれから5ヶ月か、と過ぎた季節の早さに感慨深くなる。



「ーーえーー、ほな、今日の部活はここまでやけど。最後にいっこ報告がある」



そんな盛り上がる空気の中、監督の間延びした声が響く。普段ならばこのままお開きという流れだが、続いた言葉に部員たちの私語はぱたりと止み、視線はパソコンモニターから監督の方へと向けられる。一体何事か、という注目の中、ひとつ咳払いをした監督が話を続けた。そうして彼の口から紡がれたのはナマエもよく知る一人の選手の名前だった。



「侑。お前に全日本ユース強化合宿からの招集がかかった。来月の5日から9日までの5日間。場所は東京、味の素ナショナルトレーニングセンター」



行くか?という監督の野暮にも思える確認に、少し離れた場所でも、侑が息を飲むのがナマエに伝わった。全員で座り込み、動画を見ていた体勢から思わず一人立ち上がった侑は行動とは裏腹にいつもよりずっと冷静な、けれどその胸の内に溢れる興奮を抑えきれないというのが伝わってくる表情で、はっきりと監督へ返事をした。


「はい。行きます。」


その答えに監督が頷いたのを皮切りに、部員たちの興味は画面の中の他校の試合から一気に彼、宮侑とユース合宿へと注がれる。

「〜〜〜〜………ッッッシャアアアアア!!!!」、とその場で大きくガッツポーズをする侑に、どっと沸いた部員たちが一斉に立ち上がり彼を取り囲む。「やったやんけ侑!!!すごいな!!!」そう声を張り上げて興奮のままに拳で肩を殴るのは銀島で、その隣では小作もまたすげーー!!を連発しながら侑の背中をバシバシと叩いている。そんな光景を少し離れた位置で見守る北と大耳は笑顔で拍手をし、そのまた隣では幼なじみ故に感慨も一入、目頭を押さえるアランに苦笑しながら祝福の言葉を投げかける赤木など。体育館の中はちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。



そんな彼らを遠巻きに見ながら、呆気に取られたように拍手をするナマエはこの事の重大さをいまいち把握できていないようだった。助けを求めるようにちらり、と隣を見上げれば、そこにいるのは例の如く淡々と拍手を繰り返すローテンションな同級生で、その視線に気づいた角名もまた、何。と言うように切れ長の目でナマエを見下ろす。



「……全日本、ユース…?」

「19歳以下の日本代表。」

「………!?!?!?」


「……の、卵みたいなもの。2年後の世界選手権に向けて全国の15、6歳の選手の中から一握りの有望株が招集される。その中から実際の代表を選ぶための実験的な合宿。」


「…………すご、い」


「ね」


盛り上がる輪の中心で屈託のない笑顔を見せる侑に、ナマエは角名の説明を聞きながらただぼんやりと拍手をすることしかできなかった。元々、自分とは正反対というか、住む世界の違う人間だとは思っていた。それは侑だけではなく、その片割れの治や、隣の角名や、幼なじみの銀島さえも。そんな彼らと同じ時間を過ごす内にその存在をどこか身近に感じてしまっていた。そんな夢から一気に覚めて、はっと現実を思い出したような感覚。
侑が楽しそうに笑うのを、望むものを手に入れるのを心底嬉しいと思うのに、何故だか焦燥を掻き立てられる。ナマエはそんな焦りや矛盾した気持ちに葛藤するように、きゅっと自分のジャージの胸元を握った。思うのは生まれて初めて、負けたくない、という感情を自覚した時の、何倍も強くはっきりとした闘争心。ナマエはそんな気持ちを抱えながら暫く隣に並ぶ角名と共に眼前の光景を見守っていた。











散々盛り上がった空気もひとまず落ち着き、お開きとなった本日の部活。あの後ナマエは興奮した周囲の空気に気圧されながらも、なんとか侑におめでとうを伝えることができた。彼が試合中にごく稀に見せる、目を細めた優しい笑顔で「おう、」と一言返したその表情を見てナマエはこの人が積み上げてきたとてつもないバレーボールへのエネルギーと愛を思ってひとつ胸の奥がじんとした。


そうして今はがらんとした体育館の中、未だ残っている二年組やアランの視線を背中に一人開け放した扉の側に佇む片割れの元へ歩いてゆく侑。夕暮れ時を過ぎた冬の冷たい風が時折吹き抜けて、ジャージ越しにもナマエやみんなの体を冷やす。



「ユースとは、やりよるなあツム」



自分の斜め後ろの位置に立ち止まった片割れの気配を感じて、治は振り返ることなく淡々と言葉を紡いだ。その声色はとても落ち着いていて、それを聞いた侑は始めこそにやにやとしたどや顔で治へと近づいていたのが、段々とその表情を険しくする。
夜へ傾いていく空を見上げながらひとりごちるように呟いた治の言葉を皮切りに始まった二人のやり取りはすぐさま「悔しがれサム!!」と声を張り上げた侑によっていつもの喧嘩へとなだれ込むかと思われた。そんな会話を遠巻きに見守っていたナマエたちの元へ監督に呼び出されていた北も戻り、ナマエと目を合わせたのちにこの状況の原因である双子へと視線を移す。


ユース代表候補に選ばれたということは、もちろんそれ自体の嬉しさはあるが、その背景に常に治との勝負があるということが今までの二人にとって、そして今の侑にとって大きい要因だった。それが彼らの日常でもあった。そうして今回こそ、その勝負に勝ったのだ、と鼻を高くして片割れの悔しがる面を拝んでやろうと嬉々と見に行ったならば、その当人はいつもの無表情を崩さず、それどころかどこか納得したような、清々しい表情をしていてそれがとてつもなく侑の癇に障った。

そうしていつものように吠えれば、それにも噛み付いてこない。この男、宮治はしれっとした表情ながら悔しさはいつもその侑より一枚上手な言葉に出る。悪く言えば負け犬の遠吠え的なものだが、何度戦って、勝っても、飄々としながらも悔しさを滲ませる治のその言葉に侑はどこかほっとした。そして高揚した。次があるのだと。それはこの先も、いつか彼がラーメン屋で言っていたようにギネスに載るようなセッターとスパイカーになったとしても、永遠にそう続いていくんだと信じて疑わなかった。そんな侑の中に一抹の不安が生まれて、それが怒りとなって態度に出る。




「ツムの方が俺よりちょびっとだけ、バレーボール愛しとるからな」




しんとした寒さが頬を撫でて、侑は内心なんやねんそれ、と思ったがそれを口に出すことはなかった。口に出して、その先に続く言葉を聞くのが怖かったのだ。
すっかり黙り込んでしまった二人の背中を見つめてナマエは体育館の鍵を片手に、そして他の部員たちも今日ばかりは茶化すこともできずに事の成り行きを見守るしかなかった。そんなナマエの肩をぽん、と背後から叩いたのは主将の北で、振り向いたナマエに手のひらを差し出した彼が言う。


「鍵なら俺が閉めといたるから帰り。もう遅なんで。俺はボールだけ磨いてくから」


そんな北の言葉に窺うように周囲にいる銀島と角名に視線を移せば、二人とも無言ながらその提案を肯定するように何度か頷く。それを確認してナマエはじゃあ、お願いします、と差し出された手に鍵を乗せた。そうして北が鍵を受け取ると同じく残っていたアランが俺も手伝うわ、と気の良い笑顔を見せ、すっかり夜の色に染まった体育館外の空を背景に相変わらず微妙な空気の中立ち尽くす双子にしゃあない奴らやな、と子供の喧嘩に慣れ切った保護者のような表情をする。


「ほな、お疲れ様でした。お先失礼します」

「おん」

「気ィつけて帰りや〜〜」


「失礼します……ミョウジ行くよ」


「……うん」


銀島が決まって気持ちのいい挨拶とともに頭を下げると、それに返事をした北と手を振って見送るアランの隣を角名も通り過ぎてゆく。ナマエはそんな去ってゆく二人の背中を横目に、最後にもう一度、立ち尽くす瓜二つの後ろ姿に視線を移した。そうして並んだその背中を、この体育館で、コートの中で見られるのはあとどれくらいなんだろう、とふと考えた。この先もずっと続いてゆく気もするし、呆気なくその終わりが訪れるような気もする。そんな後ろ髪引かれる思いを抱えつつ、ナマエは自分の名前を呼ぶ角名に曖昧な返事をして先輩たちに頭を下げつつ体育館を後にした。












「なあ、愛知にもお好み焼きってあるん?」


「……そりゃあるだろ、関西のとはちょっと違うけど」


「へーー、どんなん??」


「紙とかアルミホイルに包んで食べるおやつみたいな」



「「へーーーっ」」



テーブルの中、埋め込まれた大きな鉄板の上でソースの焦げる香ばしいにおいがする。仕上げにマヨネーズと鰹節を振りかけて無事完成したお好み焼きを、角名は目の前でおんなし顔をして感嘆する同級生二人に冷めた目を向けてからコテで切り分けた。そんな角名が注文したのは明太もちチーズ。彼の選んだメニューに「女子力高っ!!」「いつの間にそんな小洒落たモン置き出したんやこの店!?」と散々いじられた角名はまだその恨みを根に持っているようだ。そんな彼のじとりとした視線をものともせず、というか気づかず、能天気なアホ二人、銀島とナマエもまたそれぞれ注文した豚玉をうまそ〜〜と嬉々として切り分けてゆく。



「にしてもユースとかほんますごいなあ」



三角形に切り分けた大きな欠片をあち、と少々火傷をしながらコテで食べ進めてゆく銀島。そう、話を振られてあとの二人は核心に触れられたように少し口をつぐんでから同じようにお好み焼きに口をつけた。


あの後着替えを済ませた三人はなんや腹減ったなあ、といつもと違わぬやり取りをした後、帰る道すがら通り掛かった近所の商店街の中で、古くからそこに店を構えるお好み焼き屋のソースのにおいにその空腹を余計刺激された。そんな銀島を筆頭にお好み焼きええな!とすっかり粉もんの口になったナマエは帰りたいとこぼす角名の制服を引っ張って銀島と二人、半ば無理やり付き合わせることに成功した。
店内は赤い木目のデコラ調のレトロな家具で統一されており、油や煙草で黄ばんだ壁と、香ばしいソースのにおいが庶民や学生の味方、B級グルメの良さをたっぷり演出している。そんな中、銀島の言葉を聞きながら角名は「正直もんじゃの方が好きだけど……」とこの場で口に出したなら戦争が起こりそうなことを考えながら黙々と明太もちチーズを食べ進めてゆく。そんな心中にも関わらず、ほとんど強制連行とは言え、二人に付き合って彼がこの店に来たのはやはり心のどこかでユース候補に選ばれた侑に対して思うところがあったからで、そんな自分の本音に本人は気づいているのか、それとも気づかぬ振りをしているのか、ともかくやはり分かりづらいながらも角名は黙って二人のやり取りを聞く。


「やっぱ高校出てもバレー続けるんやろな。オリンピック出る前にサインもろとかなな〜〜」


「………スナは?」


「……なにが」


「やっぱりバレーボールで食べていこうと思ってるんかなって」


銀島の改めて感心したような言葉の後に、一呼吸置いてナマエがそう訊ねた。質問をした当人はあち、と散々冷ましたにも関わらずまだ熱を持っていたらしいそれに苦戦しながら頬張っている。そんなナマエに視線を寄越しつつ、角名はその問いかけの真意を悟っていたがあえていつものようにしらばっくれて見せた。そんな彼の態度にも慣れっこと言うようにナマエは、ようやくその欠片を嚥下するともう一度丁寧に訊き直す。


「さあ……先のことはまだわかんないよね。進学はするつもりだけど」

「そっか」

「でもまあ、才能だとか、センスだとか、口当たりのいい言葉に乗せられて、それだけでやっていけるほど甘くない世界だとは思うよ」


「………」


「そういうもの、全部無意味に思えるくらい頭オカシーバレーバカが山ほどいるって稲荷崎に来てわかったし」


そう言って一口汗のかいたグラスを持ち上げてお冷やを飲む角名を正面に見つつ、ナマエはたしかに、と彼の言葉に納得した。
彼と出会って少しした頃、そのイントネーションの違いからナマエは出身地を訊ねたことがある。聞けば愛知からスカウトされて稲荷崎に来た、という角名。高校生にして親元を離れて寮暮らし。そう聞けば誰もがああ、よほどバレーボールが好きなんだな、と思うだろうが当の本人を前にすればその熱意はひどくわかりづらかった。


そんな角名がこの先の自分の進路とバレーボールを、どう考えているのかナマエは密かに気になっていた。そうして得た答えは等身大の高校生らしい曖昧なもので、ナマエは少しほっとすると同時に彼の言葉の中にスランプ時の治や、自分と違わぬ迷いのようなものを感じて何考えてるかわからんこいつも、やっぱりきちんとバレーボールと向き合ってるんやな、と思う。それを掻き立てるのは時に才能やセンス、積み重ねた努力をも簡単に凌駕してしまう圧倒的なひとつのものを好きという気持ちを持つ人間。
それを知れてよかったとは思うよね、と相変わらず淡々と言葉を紡ぐ角名の真意はやはりいまいち読み取れないが、その感情や表情の起伏の乏しさに紛れて、本当は誰よりも勝気な彼の一面がその言葉の端々に垣間見える。



「……でも、ま、負けるためにバレーやってる訳じゃないから」



それを他人に悟らせないポーカーフェイスで角名は言う。けれどあっけらかんと紡がれた言葉に、覇気のない瞳の奥に、いつも試合中盤から追い込みをかけるように見せる角名のバチバチとした好戦的な熱が宿るのを見て、あ、彼はきっとこの先もバレーを続けるやろうな、とナマエは確証もなくぼんやりとそんなことを考えた。そうしてひとつ笑顔を浮かべると、相変わらずもそもそもと明太もちチーズを食べる角名に言葉を投げかける。


「ほんなら、私もスナが稲荷崎来てよかった思うよ」

「は?……なんで」

「やって友達になれたやん」

「おん、俺もそう思う」

「うわーー、やめろよそういうノリ。俺を巻き込まないで」


少し照れくさそうに言ったナマエの言葉に銀島も笑顔で頷いて同意する。そんな二人に角名は心底嫌そうにげんなりとした顔をして、けれどもナマエの問いかけに、ずっと自分の内にぐるぐると抱えていた気持ちを口に出すことは案外心の整理がつくというか、嫌な気分ではないな、と角名は気まぐれに考える。そして目の前で能天気な笑顔を見せる二人といるのもまあ、けっこうおもろいし悪くはないかな、と相変わらず素直でないことを思いながら。


「てかミョウジ、さっきから口に鰹節ついてるよ」

「え"っっ、そんなん早よ言ってや!!!」


相変わらずの無表情で自分の唇を指差し淡々と指摘する角名にナマエははずかし!!と慌てて紙ナプキンで口を拭う。そんなナマエを小馬鹿にする笑みを浮かべながら、角名は残りのお好み焼きを食べ進めていく。銀島にとれた??と確認を頼むナマエと、それに頷いて親指を立てる二人のやり取りを横目に見つつ、もんじゃもいいけどお好み焼きも案外悪くないな、などとぼんやり考える角名だった。







店を出た後、商店街を抜けた先で角名と分かれた銀島とナマエは、この5ヶ月間で最早日常の一部と化した帰路を隣り合って歩くということに、何故だか今日は感慨深さを感じていた。それは銀島と、角名とナマエが初めて初夏の夜の体育館で、サーブやスパイクの練習をしてから今まで、本当に色々なことがあり、共に過ごしてきた時間の尊さを思ったからだった。
すっかり気温が下がり、星の瞬く夜空を見上げたナマエがはあ、と息を吐くとうっすらと白んだ外気との温度差にもう冬だなあ、とナマエは過ぎる時間の早さを思った。隣を歩く銀島もまたウインドブレーカーのポケットに手を突っ込み、寒いなあ、とひとりごちるように言った。そんな二人の背後から一台の自転車がやってきて銀島の隣を通り過ぎてゆく。その前照灯に照らされた先にはこぢんまりとした公園があり、ふとそちらへ視線を向けた二人が懐かしい眼差しをする。


「昔ここでよお遊んだよなあ」

「うん。鬼ごっことかサッカーとか」


「ナマエ逃げ足だけはごっつ速かったもんなあ。鬼ごっこもケイドロもなんかんや最後まで生き延びとったし」


「へへへ」


「あ、そこの家ナマエが花鉢割ったとこやで。オッサン元気かなあ」

「ほんまこの幼なじみはしれっと傷口をえぐりよる」


ハハハ、と楽しい笑顔を見せる幼なじみに、もうええやろ時効時効。と渋い顔をするナマエ。銀島とはナマエがこの町に引っ越して来た頃、小学生からの幼なじみで、家がお隣さんで、中学の頃は思春期故に少し距離が離れたこともあったが、それでも今までなんだかんだとつかず離れずの腐れ縁、いい幼なじみとして付き合ってこられた。結果として小中高、と同じ学校に通った訳だが、それも来年に控えた大学受験を境に終わりを迎えるだろう。
ナマエはまさか高校二年生になって、こうして選手とマネージャーという形で改めてこの幼なじみと関わることになるとは思わなかった。春高優勝という同じ目的を抱える仲間として。鈍くさいナマエに手を差し伸べてくれたのも、いつも隣にいて変わらぬ笑顔を向けてくれたのも、そしてこうして、あの5ヶ月前の何も持たなかった自分に変わる切っ掛けをくれたのも、いつもこの幼なじみだった。


「ありがとう、銀。稲荷崎のマネージャーに誘ってくれて」

「……どおしたん、藪から棒に。そんなん、俺の方が感謝しても仕切れんわ」

「ふふ」


「ほんまはずっと心配やってん。ナマエ、運動苦手やしバレー初心者やのにキッツイことばっか言われて、辛いんちゃうかて。誘ったらあかんかったんちゃうか、て」


「あーーね。その節はほんとにね……」


「せやけど、ナマエはどんだけ時間かかってもちゃんとやり通す奴やて知ってたから。鬼ごっこも、苦手な水泳の授業も、バレー部のマネージャーも」


「ぶ、鬼ごっこは関係ないやろ」

「あるある。逃げることへの執念がすごかった」

「ははは、なんやそれ」


「やからほんまに頼んでよかった思てる。俺も、たぶんみんなも」



ありがとう、向かい合った銀島にそう言われて、ナマエは改めて客観的に自分の成長を知ることができた。ナマエは思わず鼻の奥がつんとするのを、外気の冷たさのせいにしてず、とひとつ鼻をすすった。そんなナマエに銀島は再び前を向いて、少し先に見える自分たちの自宅を前にして突然大きく両手を夜空に投げ出して大声を出した。そんな銀島の唐突な言動に近所迷惑を考えたナマエがぎょっとするも、熱い吐息とともに吐き出された言葉はナマエや、恐らく他の部員たちが胸に秘めていて、それでも口に出せない気持ちをストレートに表現していてナマエは何も言えなかった。



「………あーーーー!!!……まだまだ、みんなでバレーしたいなあ」



口に出すと終わりが訪れるのを認めてしまうようで怖かった。今日の放課後の体育館、侑が治の言葉の続きを訊けなかったように、成長の先にある変化を自覚するのが怖かった。それでも、ものすごいスピードで成長する彼らに、追いつきたい、まだアイツの隣にいたい、と思うナマエはその歩みを止めるという選択肢も、迷う時間も持ち合わせていなかった。そうしてアイツ、侑がユース合宿に挑戦するならば、自分もうじうじしている暇はない、と改めて闘志を固める。



「……銀、私、前から悩んでたこと決めた」

「!!前、て、志望校のこと?」

「うん。ちょっと怖いけど、やっぱり挑戦してみようと思って。第一志望、がんばってみる」


変化を恐れる銀島に、ナマエはこのタイミングでは酷か、と思いつつもこのタイミングしかないとも思い、自分の決意を口にした。夏に進路調査書を提出し、インハイに向けて部員たちが本腰を入れる中、初めて真剣に自分の将来と向き合ったナマエは、この冬の季節の訪れまでじっくりと時間をかけて調べ、考え、そうしてまた新たなる高みへと踏み出そうとする自分の思い人を切っ掛けに今日、改めて決意をした。そう口に出すと言葉の重みにナマエはいい緊張を感じる。


「こないだ最後のオープンキャンパス行って、そんで決めた。もう模試の予約も済ませたから、ひとまずそれまで勉強に集中するわ。あ、もちろん部活にはちゃんと出るし、目下の目標は春高優勝やからそこは心配せんといてな」

「……模試いつなん?」

「12月5日。」

「ユース合宿始まる日やん」

「そう。偶然やけど。あ、お互い変な心配したくないから侑には黙っててほしい」


ま、心配なんかせんやろけど、と笑うナマエの横顔を見て銀島はわかった、と珍しく小さな声で呟く。銀島が今何を思うかはナマエにも理解できた。初めて彼らと出会い、バレーボールに真摯に向き合う姿を見て心が沸き立ち、負けたくないと思い、走り出したくなった。それに対して不器用な自分がもどかしく、置いていかれるような焦燥に駆られた。けれどそのどの感情も、以前までは漠然と大学へ進学し、就職して、と平凡な人生に疑問を持たなかったナマエにとって、初めて生まれたかけがえのない大切なものたちだった。


挑戦する勇気を持てたのは、きみたちに出会えたから。




「……私、銀のその真っ直ぐで真面目で優しいところ、昔からずっと尊敬してた。なんの取り柄もない私とずっと友達でおってくれた」

「な、んやねん急に。照れるやろ、やめぇや」

「やって銀がこんな私のこと、ちゃんと見てて褒めてくれたから。銀にはもっともっと銀が思ってる以上にいいところもすごいことも沢山あるのに」



「……」

「そのこと忘れんといてほしいし、伝えたくなったから」



やから、大丈夫。先の見えない将来、たった17年ぽっちの人生でその先を左右するような大きな決断を迫られる現実は非情だ。そんな銀島の不安な心をそっと落ち着かせるように優しく呟いたナマエの声色は彼の鼻腔の奥をつんと刺激した。そうして気づけばお互いの家の前へと到着していて、銀島はまさか情けない表情を見られる訳にはいくまい、とやや急ぎ足で自宅の門をくぐる。が、そこで思い出したように未だこちらに手を振るナマエへと振り向いた。そのまま家に入ろうか、としていた矢先ナマエはきょとんとした顔をする。



「ナマエ!!模試がんばれや!!めっちゃ応援しとる!!」



そう、冬の寒空に声を張り上げて伝える幼なじみの、その真っ直ぐで熱い気持ちのぶつけ方に、やっぱり銀はええ奴やな、とナマエは破顔してありがとう、と言葉を返すのだった。


05092021



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