「なあ、ナマエこれやねんけど」

「侑。どしたん」

「………」

「………」


「……ふーーーーん???」

「へえ〜〜〜〜????」


「お前らうっさいねんどっか行けや!!!」

「べつにうるさくしてねえじゃん」

「顔がうっっさいねん!!!!」


「そうそう。こないだまで犬猿の仲やったのに知らん間に名前で呼び合うよおなっとって、微笑ましいなあ〜〜〜思てただけやで」

「オッホホホ」


「しばく!!!ほんましばくお前ら!!!特にサム!!!」



インターハイまで残り二日。強化合宿や真夏のうだるような暑さも乗り越えて彼らはここまでたどり着いた。……という感慨深さも目の前で繰り広げられる幼稚な兄弟喧嘩に薄れてしまう。
ナマエは腕に抱えた冊子を配りつつ、呼び止められた侑の方へ向かう。とあるページの一文を指差して質問をする侑に答えを返しているとなんだか身に覚えのある冷やかしの視線を感じた。見ると案の定そこにはにやにやとした悪い笑顔を浮かべた治と角名が二人を遠巻きに見て噂しており、それにまんまと乗せられた侑によりいつもの口論が始まる。

ナマエはそんな三人を横目にやれやれ……と思いつつ冊子を配る作業を再開した。何より彼らの背後から感じる並々ならぬ威圧感がこわい。結局オイお前ら喧嘩すんな、という主将の一言で場の空気は一気に静まり返り、大人しく三角座りをする三人。それに苦笑いしつつ配り終えたナマエも元いた場所へ腰を下ろす。


「お。すご。やるやんミョウジさん」

「やろ!」

「ちょっと俺の名前“砂”になってんだけど。ちゃんと校正してよ」

「えっ、嘘。すまん」



言われてスナに指定されたページを開くと彼の言う通り誤字を発見した。スナ、ごめん。でも一発変換できんきみの名字にも多少責任はある、とナマエは思う。


そんな彼らはここ、稲荷崎高校で行う最後の練習を終えて最終ミーティングの真っ最中だった。部員の手にはB5版の藁半紙のしおりが渡っており、そこには注意事項、チェックリスト、当日の会場地図や最寄りの交通手段、もしもの時の連絡先などが記されている。ここ数日かけてナマエがなんとか作り上げたものだ。

全員の手に行き渡ったことを確認すると監督から大まかな流れの説明、注意事項、そして本番へ向けた軽い挨拶があることを伝えられた。しおりを見ながら口々に話をしていた部員たちだったが、監督が椅子から立ち上がると一瞬にして口をつぐむ。



「……えー、ほな、ざっと説明。集合時間は明日の朝7時グラウンド。目的地は大分県総合体育館。大会は翌日からやけど一日前乗りで行く。移動手段は例の如くガッコのバス。高速使こて約8時間サービスエリアで休憩2回。宿ついてからは近所の市民体育館アップのために借りてますーー……なんか質問あるやつ」


はい、と手を挙げた一年生がしおりを見ながら監督に問う。その質問にそれぞれ手元の冊子を確認し、監督の回答を聞きながらメモをしたり、細心の注意を払って確認し、そして情報を共有する。
インハイこと全国高等学校総合体育大会。名前を見るだけで仰々しい感じがするが、彼ら稲荷崎男子バレー部は明後日、県の代表を背負ってその舞台に立つのだ。正直このしおりを作っている最中も実感は湧かなかった、とナマエは思う。それがどれほど誇らしいことなのか、スポーツに限らず今まで最前線で戦ったことがないナマエはよく理解していないのかもしれない。


質疑応答が終わり、監督がひとつ咳払いする。一年生はそれを緊張と好奇心が入り混じったような表情で聞き、二年生はワクワクと目を輝かせ、そして三年生は落ち着いた表情で紡がれる言葉を待った。それぞれの大会。それぞれの感情が入り混じる。



「まあ、なんや、今さら何いうんも野暮っちゅーもんで、今日できてへんかったディグが明日急に上手なるわけでもない、今日は今日にしかできへんし、明日は明日にしかわからん。やから今日、何をするか考えろ。練習も大会も挑戦することに変わりはない。うちは守りやなく、攻めの稲荷崎や。昨日も今日も明日も、挑戦者しか要らんねん」





「ウッッッッッス!!!!」



「(キマった………)」



監督の言葉を聞いた部員たちの士気が上がる。いつか監督が見せてくれた写真の中、漆黒の布地に金の墨で力強く筆された『思い出なんかいらん』、の横断幕をナマエは思い出した。それを隣から覗き込む北は「俺はこのスローガンあんま好きやないんやけどな」と口にしたが、どこかのセッターは好みそうな言葉でぴったりだな、と笑ったのを覚えている。



大きな声を出すこと。しっかりごはんを食べること。審判のハンドサインを覚えること、スコアブックを書けるようになること。何度もスパイクを打ってみること、海につま先をつけてみること。全部挑戦だ。
初めは中途半端な優しさで安請け合いしたマネージャー業務。それがみんなを見てると負けなくない、なんて思えてきて、ルールやゲームメイクを知ると段々面白いと思えてきてやってみたくなった。ボールに触れてエンドラインに立つとみんなの誇りと緊張を知り、毎日、毎日毎日飽きるほど繰り返す練習の中で、彼らがどれほどバレーボールに真摯に向き合っているかを知って、望む頂の景色を見て欲しいと思った。そのためにできることがあるなら尽くしたい、それが現在のナマエの素直な気持ちだった。けれど大会を目前に控えて実感がないのは、彼女自身がその先をイメージできていないから。



「まあ、思う存分暴れたれや」



「ハイッッッッッッ!!!!」


そう言って締めた監督に選手たちは立ち上がって大きく声を張り上げる。試合開始のホイッスルが鳴る直前の、緊張と高揚とが入り混じったぴりぴりとした空気を感じ取って、心身ともにみんなのコンディションはいい状態であることを知ってナマエは小さく笑った。

そうしてミーティングはお開きとなり、明日に備えて早よ帰れ、という監督に急かされるようにみんなロッカールームへ向かう。ナマエは明日バスに乗せる荷物の最終チェックをしてから帰る旨を監督へ伝えた。


「ほんなら俺鍵返しときますわ」


「(珍しい……)」


戸締りをした体育館の鍵の返却を買って出たのは侑で、監督は少し訝しげな顔をしながらも……そおか、と彼の手に鍵を託す。そんな様子を横目で見つつ、ナマエもまた汗をかいたジャージを着替えるべく女子更衣室へと向かった。









「……あれ、主将帰らんのですか」


「ん、おう、荷物の中身確認して帰ろ思てな。お前こそ何してん、早よ帰り」

「私もおんなしこと考えてました」


男子バレー部部室前、念のためノックをしたナマエは返ってきた返事に驚く。てっきりもう全員帰ったものだと思っていた、と考えながら失礼します、と扉を開くとそこにいたのは帰り支度を済ませた北主将。部室の片隅に座り込んだ彼はどうやら明日バスへ乗せる備品の最終チェックをしているようだった。さすが主将、抜かりない。


「……テーピングあと2本入れとこか。そこの棚から取ってくれる?」

「あ、はい」


私が来る必要はなかったかも、と思いながらも一応中へ入ったナマエに北はそう声をかけた。部室入って右側、在庫確認表により管理されたストックが整然と並べられた棚から言われた通りテーピングを二つ取り出す。差し出された北の手にそれらを乗せれば、箱の中へ仕舞いファスナーを閉じた。
よっしゃ、と屈んでいた膝をひとつ叩いて立ち上がり伸びをする北。改めて向かい合うとやっぱり背ぇ高いな、とナマエはぼんやり思った。普段周囲が大きすぎるのだ。


「ありがとうございます」

「おん。ミョウジもおおきにな。しおりよおできとったわ。春高ん時も頼んでええか」

「もちろんです」


そう言って珍しく少し笑顔を見せる北につられてナマエも小さく笑う。部活終わりだからだろうか、それとも大会を目前にした心境の変化だろうか、心なしか柔らかい彼の雰囲気に自然とずっと気に掛かっていたことをナマエは口にする。


「主将は……」

「ん?」

「監督の言うてた新しい飛び道具、あんま乗り気やないんですか?」

「ああ、はは、あれなあ」


訊ねてみると案外笑顔を見せてくれたので、心底嫌なわけではないのだ、と理解する。強化合宿の最中、監督が提案した新しいこと、を本番で試そうという話になった。それに返事はしたものの、どこか納得のいかない表情を浮かべていた北がナマエは少し気掛かりだったのだ。


「いや、なんでも新しいことに挑戦する姿勢はおもろい思うし稲荷崎らしいなあ思うよ。せやけどそこで俺を使うんは得策か否かと考えただけや」


「……そう、ですか」

「このことは監督にも言うたし、それでもゴーサイン出してもろたからあとは今まで通りのこと本番でもやるだけやわ」

「………」


そんな北の言葉を聞いてこの人はずいぶん自分を過小評価する、とナマエは考える。なにか運が向いてきている、ここを踏み越えたら失敗する、時に肉体を凌駕するような感情のエネルギーでさえ、信じない。この人はたぶん自分の感情でさえ物事を決定する基準にしない。信じているのは日々の積み重ねとそれにより得た確かな技術と筋肉のみ。目に見えるものだけ。

ナマエにはそんな北があまりにも自分自身を過小評価しているように見えて不思議で仕方なかった。それがほんの少しもどかしくも感じた。


「はは、なんや、不満そうな顔やな」


「エッ!!!イヤ!!!そんなことは!!!」


「自分思てる以上に顔に出とるから自覚しいや」


「(ええええ………)」


「昔な、自分はレギュラーじゃなく、後輩に自分より天才がおって辛くないですか、て聞かれたことがあってん」


「………」


「せやけど天才……言う言葉が正しいんかわからんけど、そう言われる奴が明日やりたいことと、凡人の俺が明日することは全く違う。尊重はすれど、そこに俺は優劣を感じへんし辛いと思ったことはない。インハイで試す新しいことも俺の身の丈には合ってへんのちゃうかと思っただけや」




「………それでも、私は腹立ちますけど。主将にそんなん言うた人も、自分のこと凡人やて言いはる主将も。やって、私らにできんこと山ほどできる主将が、凡人なわけないやないですか」



つらつらと口から滑り落ちた言葉に、はっと気づいた時にはもう遅い。やった。やってしまった。なんだか熱くなって主将にめちゃくちゃ失礼なことを言ってしまった、とナマエは動揺する。思わず逸らした視線に夏だというのに冷たい汗がじわりと肌に浮かぶ。
北は何も言わない。塵ひとつ落ちていない部室の床、見つめた視線の先の朱色の室内サンダルは動かない。


「……………す、すみま………」

「ふ、ははははは」

「!?」

「言うなあ」

「す、すみません!!」

「なんでや、謝ることない。俺のことえらい過大評価……いや尊重して言うてくれたことやろ。ありがとうな」

「………」

「入ってきた時は侑に食いころされんちゃうかってくらい貧弱に見えたけど」

「(野犬……)」


「えらい頼もしなったな」


そう言って嬉しそうに目を細めて笑う北の表情を初めて見た、とナマエは呆気にとられる。そんな彼女の頭にぽん、とひとつ手を乗せた北はそろそろ帰るでー。とそのままナマエの頭をぐっと下へ押し込み自分はさっさとカバンを持って部室の外へ出てしまう。それにぐえ、と情け無い声を出したナマエはいや、首変な音鳴ったんですけど……とまさかそんな抗議もできぬまま急かされて同じように部室の出入り口をくぐる。


すっかり薄暗くなった廊下に出ると北が部室の鍵を閉めて歩き出す。それにナマエも続いた。どこかで夏の虫が鳴く音が聞こえる。ふいに「あ。」と声を漏らした北に「えっ。」とナマエが反応する。


「中々部室来んなと思たら案の定まだやっとるわ」


薄暗い廊下の窓の向こう、北が示した先には消灯して戸締りをしたはずの体育館から再び明かりがもれていた。それを見てナマエはえっ。なんで。と一瞬考えたが、すぐにあのうさんくさい笑顔とともに鍵の返却を買って出た男の顔を思い出す。侑、今日はあんだけ早よ帰り言われとったのに……と恐る恐る隣の主将の顔色を伺う。


「すまんけど、マネージャー。アイツ引っ張って帰ってくれるか」


「えっ、あ、はい」

「部室の鍵も渡しとくわ」

「あ、は……ハイ……」


オーバーワークに北の正論パンチが飛ぶか、と見上げた横顔は、やはり今日は何故だかいつもより穏やかで。しゃあないやっちゃなあ、とごちる北はどこか楽しげにも見えた。


そう言って託された部室の鍵と、問題児の世話を承諾したナマエは差し出されたそれを慌てて受け取る。そうして外へ出るとすっかり日は暮れたというのに蒸し暑さを感じる、湿り気を帯びた夏の夜風が二人の肌を撫でた。それに乗せてほんのり届く制汗剤のにおい。素朴なせっけんの香り。
そのまま家路に着くかと思った北主将は、ふと考えるような素振りを見せてからひとつナマエへ言葉を紡いだ。「あのな、俺も考えてんけど」。


「腹立つのは俺も一緒や」

「えっ!?!?!?スンマセン!?!?!?」

「聞けや」

「ス、」

「お前はお前が思とる以上になんでもできるで。自信持ってくれな俺もムカツク。」



当たり前のことのように、淡々と紡がれた言葉にナマエは自分へ向けられたものと思えず一瞬フリーズする。そんな、まさか。けれど先ほど自分が主将へ伝えた言葉もまた、彼にとっては同じような衝撃だったのではと考えるとナマエはなんだか不思議な感じがした。
ほな、また明日。今日は早よ寝えや〜、と親戚のおじさんのような台詞を最後にようやく家路に着く北。その後ろ姿に手を振りながらナマエはこのマネージャーの仕事が終わったら、高校を卒業したら、私にできることってなんなんやろ、と考える。

目の前の小さな目標を乗り越えてたどり着いたインターハイという大きな目的を前にして、今まで漠然としていたその先のことから目を逸せなくなった。


そんな不安を心の奥にしまいつつ、ナマエは未だ激しく打ち付けるボールの音が響く体育館から、問題児を引っ張り出すために歩を進めるのだった。


24072021



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