吹き抜ける風が冷たい。ブレザーと、中に厚手のカーディガン、タイツと、スカートのポケットには使い捨てカイロまで入れている。凍える体をなんとか内から温めようと、昼休み、ココアかカフェオレかコーンポタージュか、とにかくあたたかい飲み物を求めて自販機へ行ったならば、なんだか体育館の方が騒がしい。
悩んだ末ボタンを押すとがこん、とコンポタのスチール缶が吐き出される。それを取り出して手を温めていると、一緒に来ていた友人が私の服の裾を掴みながら体育館の方を指差した。


「大変大変。昼練で宮兄弟が喧嘩してるて。見にいかん?」

「ええ?最近大人しかったのになあ。先生呼ぶ?」


教室へ帰る道すがらそれとなく中を確認するとたしかに、外まで大声が聞こえてくる。男子高校生て、兄弟て、こんな血の気多いもんなん?と心配になる乱痴気っぷり。騒ぎを聞きつけてちらほらと集まりだしたギャラリーに混じって、友人に促されるまま隙間からその様子を覗いてみた。



「あの子がどんだけお前を好きなんか知らんと、よおそんなこと言えんな」


「なんやねんお前!!!」


「お前には想像もつかんやろけど、一個の道だけ信じて進める頭おかしい人間なんかそうおらんねんぞ」


「…………」


「いっつも迷って、不安になって、でも負けたくなくて、しぬほどの葛藤の末にそれでも取捨選択して進んでくねん。そんな人間が大半の中で、お前に憧れて、勇気出して告ったあの子の気持ちを少しは慮れよ!!!」


「………は……?おま、何言うて」



周囲が騒つく。え、なんの言い合いしてるん……?告白?そんな喧騒の中、治くんが紡ぐ言葉は、私の気持ちであり、そして彼自身のものでもあるのだと悟った。
憧れた。自分の欲しいものを脇目もふらず全力で取りに行けるところ。そのためならある意味残酷に、余計なものを切り捨てられるところ。ずっと見てた。他人に嫌われることを臆せず、どこまでも素直に、純粋に、バレーボールに愛を捧げるところ。バレーが好きだと、屈託のない顔で笑うところ。眩しかった。

きっと私は、私たちは、そんな侑くんに憧れと、尊敬と、少しの嫉妬を感じていた。それが私と治くんを結びつけた縁だったんだ。


「…俺は、ずっと飯に関わる仕事やるって決めとってん。80歳なった時、俺より幸せやって自信持って言えたんなら、そん時もっかい俺をバカにせえや」


侑くんのジャージの胸ぐらを掴んで言う治くんの胸元に、同じように侑くんが手を伸ばす。そして立ち上がって、二人の視線が合う。顔はおんなじ、身長も、体格も、性格もよお似てるなあと感じるところがある。けれどこの先二人は別々の道を行く。


「上等やないかい。くたばる時に、どや俺の方が幸せやったぞ、言うたるわ!!!!」


二人が袂を分かつ、この瞬間にどれだけの人が気づいただろう。少し落ち着いた空気に、なんや、もう終わりかー、と詰まらなさそうに掛け金を自分のポケットに仕舞うギャラリーたちを横目に、私は目の奥が熱くなった。
手に握ったコーンポタージュは少しずつ冷めてゆく。吹き抜ける一月の風に友人は立ち尽くす私を急かすように早く教室戻ろー、と少し先を歩く。

私はここ最近の、自分の中の感情の変化を丁寧に噛み締めながら、ひとつ返事をして体育館前を後にするのだった。









その日の放課後。薄暗い廊下にぼんやりとこぼれた図書室の青白い光。だだっ広いその部屋で、私を含め数人の図書委員がブッカー貼り、そしてラベル張りをこなしていた。
窓の外はもうすっかり日が暮れている。部活動もそろそろ終わる頃だろう、と考えつつ静かに手元の作業を進める。考え事をする時に単純作業はいい。長時間暖房にあたっていたせいか頬がほんのりのぼせているのを感じつつ、考えることはひたすら、昼間の出来事。

そんな時、入り口の扉が静かに開いた。視線を向けるとそこに居たのはバレー部主将、北先輩。てっきりもう引退されたのだと思っていたから、思わぬ人物の登場に目を丸くする。
ジャージを着ているから部活終わりだろう、目が合うと先輩はつかつかとこちらへ歩いてきた。


「担任から人手足りんて聞いて。誰か用事で帰らなあかんのやろ?」


「あっ、はい……予備校あるんでそろそろ……」


「ほな、俺が代わりにやるからええよ」


淡々とした北先輩の言葉に男子生徒はアザス!!と頭を下げて帰り支度をする。北先輩はもう一度私と目を合わせると新書と、フィルムと、ハサミ、定規など、慣れた手つきで用意して目の前の席へ腰を下ろす。
帰り支度を済ませた男子がもう一度北先輩へお礼を言うと、淡々とおん、とだけ返事をして先輩は作業へ移る。部活終わりなのに、頼まれたとは言えほんとに律儀な人だなあ、と思う。

そんな視線に気づいた北先輩がこちらを見て、止まっている私の手をじっと凝視するから慌てて作業を開始した。侑くんが来た時とは違う緊張感が図書室内を包む。これは予定より早く終わるかもなあ、と助っ人兼追い込み役に感謝をしつつ黙々と手を動かした。








北先輩が来てから作業効率はぐんと上がった。ものの一時間もしない内に残りは僅か、あとは私たちでやるからいいよ、と残りの後輩たちを返した。
あとほんの少し、しんと静まり返った図書室に、しゅ、とフィルムの掠れる音や、ハサミを動かす音だけが響く。


「進路、ご実家の農業を継がれるって聞きました。治くんから」

「おん。米農家やねんけどな。うまいことできたらミョウジさんも食べたってな」

「はい、ありがとうございます」


二人になった気まずさからか、それとも安心からか、ふいにぽろりと言葉がこぼれ落ちた。北先輩は一度ちらりとこちらに視線を寄越して、また手元に落とす。
北先輩は見た通り賢く、真面目で、あの手に負えない双子すら一声で取りま とめるリーダーシップを持った尊敬できる先輩だ。クラスも特進で、司書教諭である彼の担任も鼻が高いと言っていた。理系の国公立も難なく狙えると。


「あの、どうして家業を継ごうと思ったんですか?」

「ん?……なんで、言われてもなあ」


ずっと疑問に思っていた。治くんも、この人も、山ほどある選択肢の中で、そのたったひとつを選んだ理由を。怖いと言いながら、葛藤しながら、険しく困難に見える道を何故選ぶのか。



「俺がやりたい、思たからちゃう?」


「…………」


「自分がほんまに欲しいものは、必要なものは、自分が一番よおわかってるやろ」


そう、彼のくれたシンプルな言葉が、ぽっかりと空いた心の穴にすとんとはまった気がした。そんな私を尻目に北先輩はさっさと自分の分の作業を終わらせてしまい、戸締り確認するからミョウジさんも早よ終わらしや、と急かしてくる。私は我に帰ったようにはっとして、慌てて残りのラベル張りを終わらせた。



「忘れもんないか?」

「はい、……たぶん」

「たぶんて。もう遅いから送ってくわ。鍵職員室返してくるから下駄箱んとこで待っとき」

「え、あ、………はい、あの。」

「ん?」

「………色々と、ありがとうございました」


「青春やなあ」


「えっ」


外はすっかり暗くなっている。そうお礼を言うと、戸締りを終え、鍵を指に引っ掛けた北先輩がちょっと笑って言うものだから、え、この人どこまでわかってるん……!?と背筋をぞっと冷たいものが走る。さすが稲荷崎高校バレー部主将。一筋縄ではいかない。
そう怯えつつ、職員室へ向かう背中を見送って、私も言われた通り下駄箱へ向かう。先ほどまでの図書室の暖かさとのギャップで、ひやりとした夜の空気に身を震わせる。吐き出した息が白くなる。

私は宮治くんが好きだ。いや、正確にはまだはっきりと好きかはわからないけど、気になってる。これが私の、今の正直でシンプルな気持ち。


そう自覚すると、ほっと心の奥にあったかい火が灯ったような気がした。


24052021



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