「なあ、ナマエ、宮治くんと付きおうてるってほんま……!?」
「っ、ぐ、」
週明け。昼休みを迎えた私は一気にざわめきを取り戻す教室の中でイチゴ牛乳を飲んでいた。左手にはカツサンド。近所のパン屋さんで売り切れ必死の人気商品を今朝運良くゲットすることができた。そんなささやかな昼食の楽しみに突然爆弾が投下される。
内緒話をするように声を抑えて私に訊ねてきたのは吹奏楽部の友人。去年、今年共に遠征の付き添いという名目で私を東京の春高へ連れて行ってくれた張本人である。
私は思わぬ質問にイチゴ牛乳を気管につめた。ごほごほと咳き込む私にご、ごめんと背中をさすってくれる友人。
「な、なんで。付き合ってないよ」
「や、やんなあ。びっくりした。ナマエ、侑くんが好き言うてたのに、なんの間違いかと思って」
「………なんでそんな話になってるん?」
「先週放課後、二人で商店街歩いてるの見た言う子が何人かおって、最近ナマエ治くんと仲良さそうやし、もしかしてって………」
「仲は………悪くはないけど………でも付き合ってはない」
「友達てこと?」
「………う、ん……」
そう純粋な目で改めて問われて、自信を持って答えることができなかった。何しろ、私にとってもこの関係が何であるかよくわかっていない。治くんが私に対して、自分と侑くんの違いは何か、侑くんの何に私が惹かれたのか、その答えを知りたかったようなことを言っていたけど、本当のところ今彼が何を考えているのかはわからない。
図書室で一度、ちょっかいをかけられたことはあったけど、あれ以来特に肌に触れてくるようなこともない。かと言って単なる友達か、と聞かれれば違うような気もする。
特に後ろめたいことはしていない筈なのに、なんだか自分の中で言い訳ばかりが浮かんでしまう。そもそも、私が告白相手を間違えさえしなければ、こんなことには。治くんとの関係も、始まることはなかったのだ。
「…………」
「………ナマエ?どしたん」
黙り込む私に友人が顔を覗き込んでくる。そんな彼女に、なんでもないよ、と返して残りのカツサンドと、イチゴ牛乳を流し込む。今週も委員会の仕事は溜まっている。じゃあそろそろ図書室行くね、とふにおちない顔をする友人を残して教室を出た。
あの告白がなければ治くんと話すこともなかったのなら、間違えてよかったのかもしれない、なんて少し考えてしまった自分にため息をついた。
*
カリカリと、ノートにシャーペンを走らせる音がちらほらと聞こえる。今日の図書室の利用者は少し多い。暖房がよく効いた居心地の良いこの部屋を昼寝場所にする生徒も多い。私はカウンター業務の傍ら、ブッカー貼りの終わった本にラベルを貼っていた。
先週大量に入荷した新書は、まだまだカバーのかけられていないものがある。今週どこかの放課後に何人かで終わらせないといけないな、と思いながら作業を進めていると、がらりと勢いよく扉が開いた。なんだか既視感。
顔を上げると相変わらず威圧感ある佇まいの宮侑くんがそこにいた。
「……これ、返却お願いします」
「あ、はい。ちょっと待ってください」
そう言って差し出されたのは先週貸し出された月バリ。返却にも立ち会えるなんてラッキーだ、と思いつつ二度目ということもあってから私の心臓の脈拍は思いの外落ち着いていた。けれど書き物の音、暖房のぬるい風、心地よかった空間に少しの息苦しさを感じるのは、やはりこの人に特別な感情を抱いているからで。
「ありがとうございます。返却完了です」
「……自分さ、」
少し緊張しながらバーコードを読み取り、モニター画面を確認してものの数秒で返却作業は終了。名残惜しいけれど、そう侑くんに告げると彼はすぐに踵を返すと思ったのだが、カウンターの向こうに立ち尽くしたままの彼は静かに言葉を紡いだ。誰に。私にだ。
「治と付き合うとるん?」
問われた言葉に、デジャヴを感じる。けれど単なる興味本位の噂話とは違う、と感じた。握った手の中に汗が浮かぶ。こちらを見据える目は冷たく、ああ、初めて治くんと話した時と同じ目をしてる、と思った。
「付き合って、ないです」
「……ほおん。なんや、近頃アイツの周りチョロチョロおんの見かけたから、てっきりそうか思とったわ」
「………」
「バレー辞めるや言うたら、今度は女かいなて。ま、今までとえらいタイプ違うみたいやし、すぐ飽きるやろ」
ほな、せいぜい楽しんで。そう言って踵を返す侑くんの後ろ姿に、思わず椅子から大きく立ち上がった。反動でがたん、と立てた大きな物音と、校内屈指の有名人と地味な図書委員の意味深な会話にそれとなく部屋の視線がこちらへ集まる。
「……治くんは、そんな軽い気持ちで言うてるんやないと思います。飽きたら辞めるとか、そんな覚悟で」
「………は?何言うとん自分」
「…………」
「そんなん、俺が一番わかっとんねん。」
入り口の前まで歩みを進めていた足を、私の眼前まで引き返してきた侑くん。カウンター越しでも、目の前に立たれるとその威圧感に怯んでしまう。
それに、侑くんの言うことは最もだ。私なんかよりずっと、彼らがお互いを一番理解している。私がとやかく言う権利なんてない。そう考えると、威勢よく立ち上がったにも関わらず何も言えなくなってしまった。黙り込む私に侑くんはけ、とひとつ白けたように視線を外して、そして私へ一言置き土産を残していった。
「俺、うじうじした女嫌いやねん」
その言葉を最後に再び踵を返した侑くんは勢いよく扉を開き、そして閉めて出て行った。残された私はしんと静まり返った図書室の空気なんて気にならないほど、深く真っ青な気持ちに沈んでいた。
24052021