時刻は夜10時30分。とある図書館にて。

10時には閉館するこの図書館には、今は周りに誰も居ない。その館内で私は、こっそりうーんと伸びをした。

(今日も1日、仕事頑張った〜)

腕を思い切り伸ばし切り、背中を伸ばしてはあと一つ息を吐く。

私はこの近くに住んでいて、此処でバイトをしている高校2年生だ。高校生になったと同時にバイトを始めたので、かれこれ一年以上はこの小さな図書館で働いている。

小さい頃からこの図書館が好きで、バイトしたいと思っていた願いが叶ったのだ。決して楽な仕事ではないが、この温かみのあって落ち着く空間で、大好きな本と触れ合っているだけでそんな苦労も忘れてしまう。

そんなこの図書館のバイトの私だが、仕事は未だ終わっていない。

実は、何ヵ月か前からシフト後のこの時間で本棚の本の整理をしているのだ。
最初は一つ本の位置がずれているのが気になって直していただけだったのが、最近は日課のようになってきている。

私は図書館に備え付けてある机を離れ、本の整理をし始めた。本を一つ一つ手に取る度、独りでに心が躍る。


そして数十分が経ち、今自分が居る部屋の本の整理を全て終わらせた。よし、頑張った、自分。と心の中でガッツポーズを決め、他の部屋の整理もしてしまおうと歩き始める。

扉を開けて直ぐ正面にある時計を見ると、もう時刻は既に11時を回っていた。

あまり遅くなると怖いし、この部屋が終わったらもう帰ろう。そう決めて本棚の前まで歩いて行き、早速見つかった棚の番号と違う本を手に取る。しかし、その本の番号を見て私は少し嫌な予感を覚えた。そしてその本の背表紙と、上の方を交互に見比べる。

(どうしよう、これ、明らかに届かない……)

その本の本来の場所は上の方の棚にあったのだ。前の部屋では、私の届く範囲にしか本棚の高さが無かったからこの可能性を忘れていた。

どうしよう、いつも使っている踏み台の椅子は遠くの部屋に置いてきてしまったし、だからといって放っておくのも気持ち悪い。私は心の中だけで頭を抱えてうんうんと唸った。

……でも、矢っ張り踏み台を取りに行った方が良いかもしれない。時間はかかるかもしれないけど、きっとそれが最善だ。私は少しだけ心が重くなりながら出口の扉へ移動しようとした、その時だった。


「おい」


後ろから短く低い男の人の声がして、私は心臓が飛び出そうな程驚いた。
驚きを口に出さないようにもの凄く努力をしたが、その努力は報われず私の口からは変な悲鳴が漏れた。

恐る恐る振り向いてみると、其処にいたのは鳥打帽に遮光眼鏡を掛けた長身の若い男性。
その瞳はどこまでも低温で無感情な冷気を纏っていたが、何故だか私はあまり恐怖の感情は芽生えてこなかった。その代わりに変な声を上げてしまったことへの羞恥が一気に込み上げてくる。

「一寸其処を退いてくれないか。本が入れられないんだが」

「あっ…ご、ご免なさい……」

私は男性が本を返す邪魔をしていたことに気付き、慌てて横へ移動する。というか私、何で今までずっとこの男の人に気づかなかったんだ。いやでも、この男の人も、一応もう閉館時間けっこう過ぎてるんですけど……

色々なことが頭の中をぐるぐると回る中で、男性が私のことを冷ややかな目でちらりと一瞥した。そしてどうするのかと思ったらいきなり片腕が上から伸びてきて、驚く暇も無く持っていた本を取り上げられる。「あっ」と驚きの声を上げた私を気にする様子もなく、先刻の本は男性によって元の位置の本棚へと収められた。

一連の素早い動作に目をぱちくりさせてしまう私に、男性は呆れたように口を開いた。

「全く……堂々と扉から入ってきた癖に、俺が居ることに微塵も気づかんとはな。バイト
とはいえ、二年も続けているのならもう少し学習したらどうだ?」

男の人の冷ややかな言葉に、私は俯いて「済みませんでした…」と謝ることしかできない。ああもう、悔しいけどぐうの音も出ない……って、あれ?


「あの、どうして私のバイト歴……」


私が辿々しい口調になりながらも尋ねると、男の人が「そんなことか」と冷たい口調で言った。

「簡単なことだ。君は外見からどう見ても学生だし、この図書館でバイト可能なのは高校生からだと貼り紙に書いてあった。それに、三年ならこの時期にこんな所で悠長にバイトをしている暇は無い筈。そしてこの遅い時間に本棚の整理をしている君が受験勉強を放っておくような人間だとは思えない。だが、一年目にしては手際が良すぎる。よって、君は高校2年生だと判断した。それだけのことだ。」

何処か虚空を見つめながら紡がれた言葉に、私は驚嘆してしまった。凄い。私のことなんて少し見ただけの筈なのに、こんなに沢山の情報を見抜いてしまうなんて。どれだけ頭の回転が早いのだろうか。まるで、不可解な事件現場に颯爽と現れてあっという間に事件を解決する、推理小説に出てくる名探偵みたいだ。

私がすっかりこの男の人の言葉に感動し
てしまっていると、その人は不審そうに顔をしかめて私のことを見下ろした。


「……どうした?君のような小娘にも判るように説明した心算なんだが。もしかして、ショックで頭でも可笑しくなった……」


その男の人が言い切る前に、私は無意識に身を乗り出してその手を取っていた。とても驚いた様子の男の人にも構わず、私は興奮気味に語りかける。

「凄い……凄いです!一寸見ただけで私のことこんなに見抜けた人なんて、初めて見ました!!よろしければ、お名前教えていただけませんか!?」


手を取ったまま一方的に話し続ける私に男の人は驚きを隠せないようで、困惑気味に口を開いた。

「綾辻、だが」

「綾辻さん!」


その口から発せられた名前を、私はしっかりと復唱した。そして握っていた手を離し、少しだけ距離をとって精一杯の笑顔を向ける。


「綾辻さん、こんなに素晴らしい頭脳を持っているなら、きっと貴方はどこかでは非常に有名な人物の筈です!私、貴方が何者なのか、自分で調べて突き止めてみせます!きっとですよ!待ってて下さいね!」


それじゃあ、早速調べるので失礼します!そう言って扉を開けて、部屋を飛び出した。

あの人が何者なのか、何をしているのか、それを想像するだけで、何だか胸がわくわくする。何だかよく判らないけど、私、あの人のこと、もっともっと知りたい!そう考えながら、私は高鳴る胸を押さえて深く深呼吸をした。


その頃、綾辻は独りで自分に挑戦のようなものを突き付け出ていった少女の背中を呆然と見つめていた。そして、まだ少女の小さくて柔らかな掌の温もりが残る手を見つめ、深い溜め息を吐く。


「どれだけ馬鹿なんだ、彼奴は……」


そう吐き捨てた綾辻の瞳に宿る鋭い冷気は、いつもより少しばかり、緩んでいたという。

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